他人の距離だから
隠す気もないらしい好奇心の色に、軽く瞠っていたティシェの蒼の瞳がすぅと冷えていく。
「面白可笑しく話す気はない」
「ああ、誤解はしないでください。個人的興味が多分にあるのは否定しませんが、私は任ぜられた世話役としての仕事を全うすべく、お悩み事があればその力になるのも責務です」
本音を混ぜつつもすらすらと言葉を並べるシロワは、胸に手を添えてさらに揚々と言葉を続ける。
「それこそ関係のない人物に話すことによって、お悩み事の解決への糸口、あるいは光明への一筋に繋がったりするかもですよ?」
茶目っ気に笑ったシロワの姿に、ティシェは少しばかり呆れを混ぜつつも関心を抱いてしまった。
よくもまあ、次から次へと言葉が出てくるものだ。
だが、不思議と嫌な感じはしない。
いつの間にか緩んでしまっていた口の、その端が小さく持ち上がる。
「それは、あるかもしれないな」
ティシェが表情を和らげれば、シロワはいたずらが成功した子供のように、にひっと小さく歯を見せて笑った。
*
二人は竜舎の端に場所を移し、座したティシェは壁に背をあずけて天井を見上げた。
明かり取りの窓から差し込む陽が少しだけ眩しい。
側で身を丸めるカロンの背を撫でながら、ぽつりと言葉を落とした。
「……べつに、悩み事ってわけでもないんだ」
ティシェの隣で両膝を曲げて座るシロワが、その膝を抱えて少しだけ身を乗り出して首を傾げる。
「じゃあ、ティシェさんの中では、もう答えは出ているということですか?」
「そう、なるな」
カロンを撫でる手が止まり、ティシェは視線を落とした。
「押し込めようとした。蓋をしようとした。けど、もう無視できないくらいには大きく膨れていたらしい」
シロワはふーんと軽く相槌をしつつ、こてんと首を傾けて続きを待つ。
「私のせいだと思っているし、悪いことをしてしまったなと思ってもいる。でも、謝りたくはないんだ」
「悪いことをしたと自覚しているのにですか?」
シロワの問いに、ティシェはふいに息を吸い込んだ。
吐息が震える。
「……いや。悪いことをしたとは思っていないんだ。だから、謝りたくない。謝ってしまえば、それは悪いことだったということになってしまう」
蒼の瞳がくっと歪み、それを見たカロンが彼女の手に擦り寄った。
そんな彼をまたやんわり撫でながら、ティシェは気持ちを吐露する。
「悪いことをしてしまった、とは思っている。でも私は悪いことをしたとは思っていない。……だから、苦しいんだな」
事態を招いてしまったという自覚はある。だから自責も感じている。
なのに、とてもずるいことだ。ティシェはそれを『悪いことをした』とは思っていないのだ。
「それはどうしてですか?」
そこへ、するりとシロワの問いが滑り込む。
「……だって、会えた、から。私は出会えてよかったと思ってしまっているから。それを『悪いこと』にはしたくないっ――」
はっ、と大きく息をした。
なるほど、自分はそう思っていたわけか。
ティシェは思わず天井を仰いだ。
ずっと奥底で燻っていた自責に、己に対する嫌悪が絡みつく。
身を丸めていたグローシャが頭を持ち上げて振り返り、ピルゥと気遣わしげな声をもらした。
そこへ「うーん」と間延びする抜けた声がした。
シロワが両手を組んで伸びをする。
「まとめてしまえば、悪いことしちゃったなあって申し訳なく思ってるけど、悪いことしてないから謝らないよってことですよね?」
手を下ろしたシロワは、今度は腕を組んでふむとしたり顔で頷く。
「なら、謝りたくないよ、ごめんね、でいいのでは?」
「は――?」
ティシェは反射的に聞き返してしまった。
シロワはすっくと立ち上がって、結った髪を揺らしながらティシェを振り返る。
「簡単なことですよ。謝れないことを謝ればいいんです」
「……だがそれは、一方的な気持ちの押し付けになってしまう」
「でも、ティシェさんは苦しいですよね?」
こてり、シロワは首を傾げて訊ねる。
ティシェは言葉に詰まって閉口してしまった。
「なら、自分の気持ちをそのお相手に伝えて、その先をまかせてしまうのも一つの方法だと思います。まるっと相手の懐に飛び込んじゃえばいいんですよ」
シロワはにひっと小さく歯を見せて笑う。
「ティシェさんが考えて答えが出せないということは、その気持ちの行方はお相手さん次第ってことじゃないですか。それなら、ティシェさんにできることは、今の気持ちをちゃんとお相手さんに伝えることです――と、このシロワさんは思います」
胸に手を添えたシロワは頭を垂れる。恭しさを装ったわざとらしい礼だった。
だが、「でも」とシロワはゆっくりと顔を上げる。
「このまま現状維持をするか、一歩踏み込んでみるか、それを決めるのはティシェさんですけどね」
頃合いを見はらかったように、外へと通ずる外戸口から風が吹き込んだ。
森の匂いをまとう薫風がシロワの結った髪を、そしてティシェの髪を撫でていく。
「――さて、シロワさんはお兄ちゃんに怒られる前にお仕事に戻ります」
シロワが外戸口を見やる。
釣られるようにティシェも視線を向ければ、遠目ながらにボワの姿が見えた。見える姿は小さいのに、鋭い視線を感じる。
肩を跳ねさせたシロワの身体が、くるりと瞬時に宿舎の方を向いた。
「で、では、ティシェさんの部屋のお掃除をしてきます。何かご用があれば遠慮なくおっしゃってください」
それだけ言い置くと、そそくさと、けれども慌ただしく彼女は竜舎を去っていった。
「シロワに付き合わせてすまないな」
入れ替わるようにボワが竜舎に入ってくる。
彼は、あのお喋りめ、と息を落とす。
シロワと同じ蜂蜜色の瞳が、彼女が出て行った戸口を呆れの色をまとって見やっていた。
それに対してティシェは、いや、と首を横に振る。
「私が付き合ってもらっていたんだ。随分と曖昧な話だったのにな」
蜂蜜色の瞳が戸口からティシェへ移って瞠った。
ボワは「そうか」とだけ呟き、外戸口を振り返る。絶えず吹き込む風に瞳を細めた。
「トール殿ならば木陰で休んでいた」
ティシェがボワを見上げる。少しだけ強まった風に白銀の髪が舞った。
「……どうしてトールだと」
「さあ、なんでだろうな。だが、ティシェ嬢の顔が明るくなったように見えたから」
小さく肩をすくめ、ボワがティシェを見る。
ティシェは蒼の瞳を瞬かせ、静かに外戸口を見た。
青嵐が吹き付ける。まるで突き動かされるように、ティシェは自然と立ち上がっていた。
「――どうすればいいかじゃなく、私がどうしたいか、なんだな」
言葉は風に溶け、ティシェはゆっくりと歩き出す。蒼の瞳は真っ直ぐ前を据えていた。
そんなティシェの後ろを、身体を起こしたカロンが追いかけていく。
グローシャものっそりと身体を起こして一人と一頭のあとを追うも、その途中でふと足を止める。一度ボワを振り返って、ピルッ、と彼へ一つ鳴いた。そして、満足げな様子で竜舎を出ていく。
ボワはどこか晴れた気持ちで彼女らの後ろ姿を見送り、竜舎を振り返る。
吹き込む風によって舞い上がった床材や埃を前にして、さて、と軽く息を落とした。
「掃除をするか」
小さく苦笑し、彼は用具入れへと向かった。




