第55話 エルフの森
「はっ、はっ、はあっ!」
少女は森の中を駆け続ける。
息が上がる。
既に足も体力も限界だったが、それでも彼女は懸命に動かす。
森の奥に入ってはいかないと言われていたのに――。
わかっていたのに――。
それでも入ってしまった。
他でもない。母の病気を治すためにこの薬草がどうしても必要だったのだ。
――逃げなければならない。
今、自分を追いかけている奴に捕まってしまったら終わりだ。
やがて少女はチラリと視線を後ろに向ける。
奴の姿は見えない。
だが、安心はしない。
確実に奴は自分を追いかけてきているのがわかる。
どこに潜んでいるのかはわからないが、周囲の草木の声が自分に教えてくれているのだ。
さらに、奴らは執念深い。
見つけた獲物は絶対に逃さないはずだ。
(――どうしてこんな事になったんだろう)
少女はこれまでの出来事を振り返る。
トワノ大森林の奥にある里。
少女たちはそこで静かな暮らしを送っていた。
そんなある日、奴らは突然現れた。
森を荒らし、少女たちを襲い殺す。
無論、こちらも抵抗した。
この里にも戦士はいる。
森を知り尽くした凄腕の弓兵、高い魔力と様々な魔法を操る魔法使い。
しかし、奴らの恐るべきはその数とその特性。
それによって、戦士たちは一人、また一人と倒されていった。
結局、少女たちは里を捨てる選択を選ばざるをえなかった。
里を滅ぼされ、追い出された少女たちは山の麓で小さな集落を作り、そこで暮らすことになった。
それから半年が経った。
外の人間たちは一向に助けに来る様子はない。
――いや、元々少女たちは一部の例外を除いて、外との接触を極力しないように盟約を結んでいた。
それ故に、こちらからも助けを呼ぶことができない。
仮に呼んだ場合、盟約は破られこの森に眠る資源を巡って、数多の人間たちが押し寄せる事になるかもしれない。
それを長老たちは恐れていた。
故郷の危機に何を悠長な、という意見も若い衆からあったが、長老たちはそれでも沈黙を続けた。
少女もどちらかと言うと、若者らと同じ意見だったが、長老たちに言える勇気はなかった。
……大丈夫だ。もうしばらくすれば、アイツらも食べる物が無くなって森から出ていく。
何度も少女は己に言い聞かせた。
さらに半年。
外へ助けも呼べずに、ほそぼそとした生活を送っていた
……大丈夫。大丈夫。戻った時に集落なんて新しく作り直せばいい。大丈夫。またいつか元通りに。
ひたすら祈り続けるそんな少女を嘲笑うように、母が病に倒れてしまう。
急いで里の薬師に診てもらう。
瘴気からくる流行り病で、おそらく森の方の奴等が撒き散らしているのが原因らしい。
薬草を煎じて飲めば治るらしいが、その薬草は森の方。
――今となっては奴らの巣と化している場所にあった。
悩みに悩んだ末、少女は薬草を積みに森に入る決心をした。
……大丈夫。小さい頃から皆の中でかくれんぼは一番だったから。
不安を子供らしい根拠のない自信で、湧き上がる不安に無理矢理フタをして少女は向かった。
そしてそのツケを払うように、少女はあっさりと奴らに出くわしてしまった。
「グギュルウウウウウウウウ!」
「ひっ」
遠くから聞こえる咆哮にこれまでの回想を打ち切る。
少女は身がすくみあがるが、それでも走る足を止めない。
止めてはいけない。
集落まであと1キロ。はたして逃げ切れるか。
(――ごめんなさい、お母さん)
思わず逃げられなかった最悪の状況を想像してしまい、母に心の中で何度も謝る。
「グギュルアアアアアア!」
「~~っ!」
再び聞こえてくる咆哮に、少女は耐えるように涙目で歯を食いしばらせる。
時たま奴はこうして吠える。
威嚇か。はたまた、どこかで怯える獲物の姿を見て楽しんでいるのか。
どちらにせよ、少女からすればたまったものではない。
体の震えが止まらなくなってきた。
「あぅっ!」
遂にバランスを崩した少女はつい木の根に足をひっかけて転んでしまう。
「痛ぁ……」
それでも少女は起き上がって歩き続ける。
帰るんだ。そして、この薬草を母に届けるのだ。
しかし、少女の希望を断ち切るように、バキバキと後ろの林を破壊しながら、声の主が姿を現す。
一見、巨大な爬虫類のような見た目だ。
しかし、頭部はやたらと巨大で、体の至る所から魚の鱗や植物のようなツタのようなものが生えており、自然界が生み出されたとは思えない歪に過ぎるデザイン。
「ギュルルルルゥ!」
「ひっ」
奇怪な咆哮をあげる魔物は、次にその大きな口を開き少女に迫ってくる。
「きゃああああっ」
最早これまでかと思ったその瞬間――。
「ウインドウ!」
「ギュルゥ!?」
飛んできた小型の竜巻を叩きつけられた魔物は、遠方まで吹き飛ばされて樹木に叩きつけられる。
「怪我はないかい?」
竜巻が飛んできた方向に目を向けると、旅装束の上にマントを羽織った男が立っていた。
特に目立った特徴もない。地味で普通の青年である。
――でも、なんだろう。
すごく穏やかだった。
傍には人食いの魔物がいる、こんなに危ない状況なのにだ。
青年はゆっくりとした足取りで少女の方へ進む。
「もう大丈夫だよ」
魔物と向き合いながら、背中越しに言った青年のその一言で、少女は安心して腰が抜けてしまった。
一方で青年は腰に携えた剣を引き抜く。
「グギュゥ~!」
一方で魔物の方はせっかくの食事を邪魔された魔物は怒り心頭で突進してくる。
「ライトニング」
青年は短く小さい詠唱を一つ唱えると、剣に雷撃を纏わせる。
「ギュ――⁉」
寸前、本能からか魔物は全力止まる。
その上で身体から生え巻き付けたツタ……のような触手を飛ばしてくる。
「――シッ!」
しかし、青年は払う様にそれらをあっという間に全て斬り伏せる。
――そして体中から尖った鉱石のようなものを撃ち出してくる。
「トカゲなのか、植物なのか、鉱石型なのか、滅茶苦茶だな……。アイス!」
ボヤきながらも、男は氷の塊を作り盾にして、それらを防ぎ切る。
二人はそのまま氷塊に隠れてしまう。
「ギュルウウウウ!」
邪魔な氷の塊を破壊する魔物。
しかし、そこには二人の姿は影も形もなかった。
「――終わりだよ」
ようやく見つけたと思ったら、男は静かに剣を鞘に納める。
既にその刀身に雷は無くなっていた。
魔物の視界が次第にズレていく。
ようやく魔物は自分が真っ二つにされたと気付くと同時に絶命した。
「……怪我はないかな?」
「ひっ」
なんなく魔物を倒してみせた男に、少女は思わず後ずさってしまう。
助けてくれたのは感謝している。
だが、それでも怖いのだ。
魔物を倒したその強さもさることながら、なにせ少女は里の外の人間を見るのが初めてなのだから。
「君はエルフだね」
男は少女の長い耳を見てそう言った。
少女の方も男の短い耳を見ながら、怯えつつもコクンと頷いた。
「できれば、君たちの里に案内してほしいんだ。元の里があったはずの場所はさっきの訳の分からない魔物が巣を作っていたからね。大人たちにはラッシュとかいう人が訪ねてきたと言えばわかるはずだよ」
――グギュルウウウウウウウウウウウウウ!
同時にさっきの魔物の鳴き声に勝とも劣らない音が青年の腹から響く。
「……あと食料を分けてもらえると嬉しいです」




