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群青ノ雪 短編集  作者: 秋月皐月 Stellatica
3/3

至上の愛らしさ 原田嘉邦

同人ゲーム

群青ノ雪の本編その後の話。

公式ネタバレ垢のSS執筆希望人気投票第1位の原田嘉邦のSSになります。

群青ノ雪 ~原田嘉邦SS~ 21.2.23公開



【至上の愛らしさ】



――早く、大人になりたい。

自立した一端の男になりたい。


夜、眠りにつく前に、俺はそのようなことを願うようになった。

ある夜は悴んだ手足を暖めるように体を丸めて、子猫のように毛布に包まりながら。

またある夜には、湯気が立ち上りそうに熱気のこもった個室のなかで、申し訳程度の氷を口に含みながら、そのようなことを飽くこともなくひたすらに願った。


俺は一日たりとも『あの日』を忘れたことなどなかった。

それはそうでしょう?

貴女に出会ってしまった男は皆、例外なく貴女という魅惑的な華に夢中になるのだから。


外れくじのような悲惨な人生だった。

そのように滑稽な人生を歩んできた俺にとって、貴女との出会いは、なんとも奇跡染みた出来事に違いなかった。


「一等、幸せになってください。貴方は、幸せになるべき人ですから」


どうしてそうも、優しい声音で、穏やかな表情で、温かな手のひらで、俺の心を慰めてくださるのか?

ただただ、貴女の女神のような慈愛の籠った眼差しに、石のようだったこの心は、それは大きく揺すぶられた。

ずっと心細く、兄として無い見栄を張り、体罰に怯え、なんとも苦々しい時間の中を生きていた俺に、貴女が生きる希望を与えてくださった。

貴女の優しくも芯のあるあの声を、今でも時々、幻聴のように思い出すのだ。

長い間埃に塗れていた、自尊心と、愛情。

胸の内に秘めていた人間らしい感情。

全て貴女が、思い出させてくださったのだ。

――あの日は俺にとって、生涯で忘れることの出来ない一等大切な日になった。

多岐川七瀬さん。

その名前を、一体何度、口にしたことか。

早く会いたい。

今の俺を知ってほしい。あの瞳に俺の姿を映してほしい。

貴女の、七瀬さんの瞳に、俺だけを映せたならば、どんなにか――。


「……ん」

ふと、目を覚ます。僅かばかり眠っていたようだ。

凝り固まった背中をうんと伸ばしてから、俺は深く息を吐き、腰かけていた革製の椅子に深く座りなおした。

俺はなにをしていたのだったか?

机に目をやると、開いたままの馴染みの医学書と、やや冷めているらしい湯気のない珈琲があった。

そうか。医務室で仕事をしていたのだと、部屋を見回して思い出す。

そしていつの間に手に取ったのか、日々書き綴っている我が日記を胸に抱いていた。

「……全く、呆れてものが言えないねぇ」

性懲りもなく、俺は尚もこの日記に思いの丈を記す癖が抜けぬのだ。

赤く洋風の装丁をしたこれには、俺の半生の出来事が事細かに記されている。

もはや俺の一部と言っても差し支えないだろう。

俺はその日記を愛しく見つめ、彼女の髪を撫でるかのように優しく頁を捲る。

「俺と言う男は、どうしてこうも恥ずかしげもなく……ふっ、はは」

その日記を一行、二行と読み進める度に、俺は自分自身に可笑しさがこみ上げてくるのだ。

日記のどの頁を見ても、七瀬さんの名前がそこかしこに散りばめられている。

気が付けば、今年で七瀬さんは齢十八に。俺は齢三十になる。

あれから一年の月日が過ぎ去ろうとしていた。

こうして共に過ごした日々が半年、一年と繋がり重なりあってゆく。

その尊さのなんと甘美なことか。

彼女を瞼の裏に映せば、口元が自然と綻ぶこの言いようのない感情。

俺の名を呼び、笑い、怒り、困り、驚き、悲しみ、そして気持ちのままに喜ぶ姿。

その彼女の愛しい一瞬、一瞬を、決して忘れてしまわないように、事細かに文字に記す原田嘉邦と言う僕。

……なんと健気で滑稽な男なのか。

七瀬さんと初めて手をつないだこと。初めて口づけをしたこと。

七瀬さんと初めて遠出をしたこと。初めて愛の言葉を返してくださったこと。

俺が大切だと微笑んでくださったこと。生涯、俺の傍にいると口にしてくださったこと。

多くの初めてが、日々書き認められてゆく。それはなんと幸せなことなのだろう。

今やこの日記は、俺の最初で、そして最後の恋の話が描かれている。

当初は殺伐とした恨み言の羅列ばかりだったはずが、今では柄にもなく一人の女性への愛を詩っているのだから、人生というものは面白い。

彼女と自分を知らぬ人物がこれを読めば、恐らく俺の片想いだと信じて疑わぬことだろう。

結局俺は、七瀬さんをこの手に捕まえた今でさえ、相も変わらず彼女という華に恋い焦がれている蜂に相違ない。

そう。蜂なのだ。決して美しい蝶などではない。

下僕のように彼女の周りを忙しなく駆け回る働き蜂。

一見するとなんとも健気で滑稽なことだろう。

けれど、その蜂は意地が悪くあまりにも身勝手なのだ。

甘い蜜という蜜を独り占めにして、そして愛しい華が他の蜂に奪われぬように針を刺して毒を注ぐ。

俺にしか舐められない毒気を帯びた甘い甘い華へと変えてゆく。

……ほうら。嫌な男でしょう?

生涯この毒針は貴女の柔い肌に刺したままだろう。痛みさえも甘い疼きに変えてやる。

七瀬さん、俺はね――俺の毒気すらも愛してくださる貴女を、一等好ましく想っているのですよ。


もしも。

もしも、この愛をこの世の言葉でより強く表せるのならば、どのような言葉となるのだろう?

俺の七瀬さんへの想いは、どのような――。


「嘉邦さん、ご飯出来ましたよ。お勉強は一度止めてお夕飯にしませんか?」

「……」

医務室の扉から突如として現れた割烹着姿の七瀬さんに、不意を突かれて言葉を失った。

俺は一体どのくらい長ったらしい時間、物思いに耽っていたのだろうか?

「先生?ふふ、どうかしましたか?なんだか呆けた顔してますよ?」

「え、えぇ、はは。いけませんね、常に頭がいっぱいなもので」

「ん?なにがです?」

「……いいえ、なんでも」

「も~!教えてくれないんですか?やだ~!」

「ふ、ははは。七瀬さん、そう可愛らしい顔をするのは止してください、食事前に」

「へ?」

俺は愛しい彼女を壁際へと囲い込み、その無防備な耳元にそっと唇を這わせる。

「このまま貴女にいけないことをして、食事を冷ましてしまいそうになる」

「~~ば、馬鹿ぁ~~!!!!そ、それは、駄目、駄目です!!」

「ふふ、あははは、飽きないですねえ、貴女も」

「嘉邦さんの、意地悪~~っ!!」


ああ。なんと可愛いお方なのだろう。

共に生きて行けることが、なによりも幸せでならない。


遠い明日、遠い未来。

いつの日にか、貴女がどこかの庭に咲く、美しく香しい椿の華になったとして。

俺はきっと名もなき働き蜂となって、可憐な貴女を見つけるのだ。

そうして日々、貴女の優美な花弁を揺らし、甘く欲情的な蜜を余すことなくいただくのだろう。

どうかいつまでも、俺だけにその甘い蜜をください。

俺の情欲塗れのこの唇も、耳障りな音をさせるこの羽根も、そして身勝手なこの毒針も。

俺という男の何もかもを、貴女だけに差し上げましょう。

出来るのならば、いつの日にか、貴女の花弁に飲み込まれてしまいたいものだ。

いつの日にか、ね。



ゆっくりですが、他キャラも書いていきます。

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