第16話 絶対なる"零"
「せーんっぱい!お土産下さいな!」
修学旅行明けの月曜日。昼休みに俺と由季が並んで廊下を歩いていると、一人の女子生徒が駆け寄ってきた。
「あ、みーたん。ただいま」
由季がその生徒に笑いかけた。俺は会ったことがない生徒だったが、由季がアダ名で呼んでいるということはそれなりに親しい仲なのだろう。
「はい!お帰りなさい!……あれ?隣の人は……あ!噂の彼氏さんですか!?成績優秀、運動神経抜群、おまけに容姿端麗ときた、あの!……あれ?名前は……」
「……神条神大だ。止めてくれよそういうの……。……で?君は………?」
「あ…スイマセン、申し遅れました!神凪学園高校1ーEの船場美咲です!みーたん、って呼んで下さい!由季先輩には同じ美術部でお世話になっています!以後お見知りおきを!」
その生徒……美咲は、敬礼してハイテンションのまま名前を告げると、屈託のない笑みで両手を差し出してきた。
「あ、ああ……よろしく、えっと……みーたん。」
「……はい!」
俺が右手を差し出すと、美咲は俺の手を両手で握って、ブンブンと振り回してきた。
「ちょっとみーたん?神大君困ってるでしょ…?」
「あ、そうですね……神大先輩、失礼しました!……あ!忘れるとこでした……。由季先輩!お土産ですよ、お土産!」
美咲は俺の手を離したかと思うと、今度は由季の手を掴んで詰め寄った。
「あ、ゴメンゴメン……たしかバッグに……。…あれ?」
由季が自分のバッグを漁りながら、困ったような表情になった。
「え……えぇぇ!?ま、まさか先輩……買ってきて……くれなかったんですか…………!?」
「か、買ってきたよ!?でもおかしいな…なんで?」
美咲の目が潤み始めるのを見て、由季が慌てている。
「ん~…。……あ!なあ由季、朝…生徒会室寄っただろ?その時に置いてきたんじゃないか?」
「……あ、そういえばそうかも!ねえみーたん。悪いんだけど、今日の放課後、生徒会室まで取りに来てくれない?」
由季がそう言うと、美咲はニパッと笑顔になった。
「りょーっかいです!放課後、お邪魔させていただきます!……あ、そろそろいかないと……。では、また放課後に!」
美咲はシュタッと敬礼をすると、来た方向へと駆け足で戻っていった。
「…………いい子だな?」
「……うん。じゃあ、私達も行こっか?」
俺と由季は笑い合うと、教室へと向かったのだった。
その日の放課後、生徒会室にて。
「由季、美咲へのお土産見つかったか?」
「うん、やっぱりここに置き忘れていたみたい。」
「そっか、なら良かった……。……そういやさ、由季。美咲とはどうやって仲良くなったんだ?なんつーかホラ。由季って、ああいうタイプそんな得意じゃないだろ?」
由季は元々清楚なタイプなので、美咲のような天真爛漫タイプの人間は得意ではなかったはずだ。似たようなタイプに佳奈がいるが、付き合いの長さが違う。これであそこまで仲良さげなのには何か理由があるのではないか…と俺は思ったのだ。
「うん……。みーたん…美咲と初めて出会ったのは、今年の4月だったんだ。……その頃の私は、神大君がいないことから吹っ切れたように見えて、やっぱり少しふさぎ込んでいたんだと思う。美術部にいても、周りの人と余り話せずに、ただひたすらに絵を描いていたんだ…。2年生になったから後輩も入ってくる……。それで、どう関わろうかと悩んでた……。」
確かに、佳奈から聞いた話だと、由季は1年生の頃は今と違ってけっこう暗めの性格だったらしい。
由季は言葉を続けた。
「そこに、みーたんが入ってきたんだ。みーたんは自己紹介の時から元気一杯だった…。あんなに明るく出来たら楽しいんだろうな……って思ってた。…それから少し経ったある日……、みーたんが、一人で絵を描いていた私の所にやってきたんだ。"いい絵ですね!"って言ってくれて……それと同時に、"でも、こうしたらもっと良くなるんじゃないですか?"って言って、キャンパスに線を付け足したんだ……。それはまるで、木漏れ日が射し込んだようだった……。」
由季は窓の外を眺めながら、懐かしそうに目を細めた。
「それが切っ掛けで、私とみーたんは、少しづつ話すようになったんだ……。神大君のことも、もちろん"力"の事は伏せてだけど、伝えた。そしたらみーたんは一緒に悲しんでくれて……神大君と再会出来た時には、一緒に喜んでくれた……。今では振り回されながらも、よく遊びに行ったりするんだ。それで、たまに思うんだ。……私にはいないけど、妹って、こんな感じなのかなー、って…。」
由季にとって美咲は、単なる後輩ではなく、大事な"妹"のようだ。
「ああ……。きっとそんな感じだろうな……。いい後輩に巡りあえて、良かったな……。」
「……うん!」
俺が由季に微笑みかけると、由季は笑顔で頷いてきた。
暫くすると、生徒会室のドアが勢いよく開いた。
「おっじゃましまーす!由季さんお土産……ってあれ?ど、どうしたんですか……?二人とも私のこと暖かい目で見てきて……。」
美咲が困惑の表情を浮かべている。
「ううん……。私、みーたんに出会えて、良かったな、って。」
「……由季の"妹"は、可愛くて明るくていい子だな…ってな。」
俺達がそう言うと、美咲は珍しく頬を赤らめた。
「ふぇっ!?や、止めて下さいよ~……。私なんかより由季さんの方が可愛いですってば……。……それに、由季さんに出会えて感謝しているのは、私も同じですよ…?」
「みーたん……。ギューッ!」
由季が美咲に抱きついた。みーたんの顔がさらに赤くなる。
「ちょ、ちょっと由季さん!?…………あ、でもなんか、由季さん、落ち着く香りがします……。……私が小さい頃に死んじゃった、お姉ちゃんみたいな……。」
美咲が由季の胸に顔を埋めてそう言った。
「みーたん……。……うん。これからも、"お姉ちゃん"に一杯甘えていいよ……?」
「あ…………。……はい!」
美咲は、咲き誇るような笑顔で返事をしたのだった…。
「さーて、帰るか!」
お土産を貰い上機嫌になった美咲を送り出した俺達は、清々しい気持ちでいつもより素早く作業を終え、帰路へと着いていた。
「今日の夕御飯、何がいい?」
由季が俺に聞いてくる。
父さんと母さんは仕事が忙しいらしく、夕飯は由季と二人で食べることがほとんどだ。そのため、料理はほとんど由季が作っている(俺もたまに作るが、由季の味には到底敵わない)。由季の料理の腕はどんどん上がってきているため、俺は自分が幸せ者だとつくづく思っている。
「そうだな~…………」
俺はリクエストを考え始めた。その時。
「キャァァァァァァァァ!!」
道の先から、大きな悲鳴が聞こえてきた。
「……ねえ……神大君…………」
「……ああ、間違いない。この声……美咲!!」
先程の悲鳴は、間違いないなく美咲の声だった。
「由季は家に帰っ……」
「イヤ!!」
由季に家に帰っておくように言おうとすると、真っ直ぐ拒否された。
「……私はあの子の"お姉ちゃん"だもの……。私が守ってあげなくちゃ……!」
由季の瞳に信念の色が浮かんでいるのをみて、俺は諦めてため息をついた。
「……分かった。でも、絶対に危ない真似はするなよ?大丈夫。由季も美咲も、俺が護ってやるから。」
「……うん」
悲鳴の聞こえてきた方向へと向かうと、そこはビルの廃墟だった。そして壊れたビルの柱に、美咲がくくりつけられていた。
「美咲!」「みーたん!」
俺達が叫ぶが返事はない。口をガムテープで塞がれている上に、意識を失っているようだった。
「ククク……やっぱり来ましたね……。」
突然、俺達の耳に男の声が聴こえてきた。
「……誰だ!」
俺が叫ぶと、物影から、フードを被った男が出てきた。
「これは失敬。私は直属魔兵団第3部隊隊長、ヘルベルト・ペイン。人呼んで、"悪夢の術師"だ……。ねえ、神条神大君?」
「俺の名前を……。テメェ、何が目的だ!」
「おっと、そうかっかするなよ……。折角だから楽しもうではないか。対物転移<オブジェクト・トランス>!」
そう言ってヘルベルトが指を鳴らした途端、周りの景色が湿原へと変わった。俺と由季はそのまま、美咲は柱にくくりつけられたままである。
「……!?なんだコレは……。テメェ、何をした!」
「何をしたも何も、術名の通りだよ?"転移"さ。君達と私を、この空間へと転移させた。転移させる対象は、私が自由に設定出来る……。ああ、元の場所を探そうとしても無駄だよ?ここは私の術で創られた場所……通常の世界からは隔絶された空間だからね。君を確実に倒すために、わざわざここを創ってあげたのだよ?」
(隔絶された……空間……?)
俺が黙って俯いていると、ヘルベルトは笑みを浮かべてきた。
「理解出来ないかな?私のこの力が。ま
あ、すぐに分かるよ……。ここは私の世界なのだから、こんなことだって出来るのだよ!」
ヘルベルトが叫ぶと、美咲がくくりつけられている柱の根元に、大きな沼が広がった。
沼は底無し沼のようで、柱がズブズブと沈んでいく。
「みーたん!」
由季が叫んだ。
「テメェ……!裁き…………」
「……神大…………君……!」
俺は神技を使おうとしたが、由季の声に動きを止めた。見ると由季は、口元をにやつかせた数人の男に捕らえられている。
「さあ、私の可愛い部下達よ!そのお嬢さんを好きにさせてやろう!ボスからは人質として連れてくるように言われているが、楽しんだ後は殺しても構わない。なーに、ただ、不慮の事故だということにすれば問題はない。」
「貴様…………!」
「おっと、動くなよ?動いたらその女を殺す。まあ、どのみち死ぬんだがな。その女もあっちの女も…お前も。」
ヘルベルトはそう言うと、詠唱を開始した。持っていた杖の先に、闇のオーラが収束されていく。
向こうでは美咲がくくりつけられている柱が半ばまで沈んでいる。こちらでは、由季が口を塞がれて、服を引き裂かれたり蹴られ殴られたりしている。
「ハーハッハ!お前はどうせ何も出来ない惨めな存在なんだよ!さっさと死ねぇぇ!ダーク・ボムショット!」
ヘルベルトの杖から、巨大な闇の玉が放たれた。俺の後ろには由季…避ければ由季に当たる。"裁き"では恐らく対処が出来ない。
俺は目を瞑った。
(確かにそうだ……。俺一人では、何も出来やしない…。今までだって、仲間がいたから敵と戦ってこれた…。)
闇の玉は俺目掛けて迫り来る。
(でも、ここには俺しかいない…。俺が由季を、美咲を、護らなくちゃいけない。……いや。約束したんだよな。俺が由季を、守るって…………。だから……。だから俺は…………)
俺は目を見開き、左手を前に翳し、それを使った。
「………………零」
俺の目の前まで迫っていた闇の玉が、一瞬で消滅した……。
「何だ今のは!貴様……。…………何!?」
叫ぶヘルベルトに、さらなる驚愕がもたらされた。
由季を囲んでいたヘルベルトの部下達が全員、宙へと投げ捨てられた。
「……零。」
俺は、ヘルベルトの部下達が一人残らず気絶したのを確認して、一瞬で美咲の下へと跳躍し、柱を半ばから切断した。
俺は、美咲のロープをほどき、意識を失っている由季の横に寝そべらせてから、ヘルベルトに向き直った。
「な…………。何だ……何なんだコレは!貴様の神技は"裁き"、対象に力学依存の変動を与える!それだけでは無かったのか!」
ヘルベルトが激昂してくる。俺はそれを冷たい目で見据えて、言った。
「……確かに"裁き"は俺の神技だ。能力もだいたいその通り。間違いはない。」
「ならば!」
「……だが同時に、この力……"絶零"も俺の神技だ。」
ヘルベルトが、驚愕に目を見開いた。
「バカな…!神技を二つも持つ者など…!それになぜ、今になって……!」
「…この力が俺の中に備わっていることは知っていた。だが、使わなかったんじゃない……使えなかったんだ。使おうとした場面は何度もあった…。だが、"何か"に阻まれて使えなかった。…それはきっと、自分の力だけで誰かを護るという…決意。そして、悪を滅ぼすという…覚悟。……ヘルベルト・ペイン。ある意味ではお前のおかげで枷を外すことが出来た……礼を言う。……そして俺は……お前を……俺の大切な者を傷付けたお前を……許さない。」
俺は言い放つと、左手を天に掲げた。
「来い……絶零の剣-アブソリュート。」
俺の左手に光が収束し、1本の剣が形作られた。その剣は、薄い水色に透き通っていた。
「神器の……二刀流……!」
両手に剣を構えた俺を見て、ヘルベルトが低い声で呟いた。
「……零」
俺は、一瞬でヘルベルトの目前へと肉薄した。
「……!?くっ……ダーク……」
「遅い……。裁き……"絶空"!」
俺はヘルベルトを、右手の裁きの剣<ジャジメント>で斬り上げた。
「カハッ…………。調子に……乗るなぁ!ここは私の世界……!何でも出来るんだよぉ!食らえ……ダークショット・レイン!」
ヘルベルトが叫ぶと、俺の上空から闇の弾が降り注いできた。さらには、360度全方向から闇の弾が殺到する。恐らく、この空間をねじ曲げているのだろう。……だが。
「……零」
俺が言い放った途端、ヘルベルトが放った闇の弾が全てヘルベルトに収束して…激突した。
「な……に…………」
自分で放った攻撃を受けて落下しながら、ヘルベルトが嘆いた。
「悪いな……。…冥府の土産に教えておいてやる。俺の"絶零"は、"対象と対象との空間、または対象から対象までの空間を絶対まで零に近付ける"力だ。さっきのも、貴様の技という"対象"を、貴様という"対象"にぶつけただけ、ということだ…………。」
"絶零"は、対象と対象、対象から対象までの空間を無くすわけではない。あくまでも、零に近付けるだけだ。そのため、空間に余計な障害物があれば、それも収束される。言い換えれば、指定した空間上は限り無く零に……ほぼ"無"になるのだ。
「……終わりだ。」
俺はヘルベルトの目前まで行くと、両手の剣をクロスさせ、ヘルベルトを斬り裂いた…………。
周囲の景色が元に戻っていく。その最中、ヘルベルトは塵となりて、やがて完全に消滅した……。
「くっ…………」
俺はふらつき、地面に方膝を突いた。両手に持った神器が消滅する。
(神力を使いすぎたか……。初めて使った上に、広範囲の対象を指定したからな………。………そうだ、由季と美咲は……)
俺は何とか身体を起こして、由季と美咲の方を向いた。二人が無事なことに安堵したのも束の間、二人の上空から瓦礫が降ってきた……。
(そういえばここは……。くそ……力が……。)
瓦礫が由季と美咲に降り注ごうとした……刹那。
瓦礫が木っ端微塵になって吹き飛ばされた。
そこには、見知った顔の男が立っていた。
「…………疾風」
「ったく、無茶しやがって。でも……倒したんだな?」
「……ああ。」
俺は疾風の肩を借りて、立ち上がった。
「二人とも無事だな……?そういやその子は?」
疾風が美咲を指差して聞いてきた。
「………船橋美咲。由季の後輩であり……"妹"だよ。」
「…………?」
疾風は訝しげな顔をしていたが、二人の姿をもう一度見ると、どこか得心がいった表情になった。
意識を失って眠っているはずの二人は、いつの間にか手を握りあい、安心感に包まれた表情で、健やかな寝息を立てていた。
そこには、確かな"姉妹"の姿があったのだった……。
同日。
"魔界"にて
「ボス……。ヘルベルトが殺られました。」
「ほう…………。ヘルベルトが……。……面白い。ヴァイオレットを呼んでこい……。それと、例の石を。」
「"アレ"を呼び起こすおつもりですか?」
「ああ。だが"アレ"は保険だ。次は、お前に作戦指揮を任せよう……。何、お前なら大丈夫だ……。」
「ハッ。承知いたしました。有り難き御言葉です!」
「頼むぞ。何としても奴等を殺すのだ。…"カンナギ"を滅ぼすために…………。」
「……勿論です。必ずや使命を全うして参ります。"ブラッディ・レイン"……浅田晋也の名にかけて……。」




