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紫電  作者: KO1
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3/7

一章 黄龍 その2

 部屋は、静かだった。

 広かった。黄龍の最上階にあるとは思えないほど、余白の多い部屋だった。窓が大きく、黄龍の街全体が見下ろせた。積み重なった建物の屋根が遠くまで続いて、その向こうに砂漠が広がっている。夕暮れが近かった。空が橙色に染まり始めていた。

 部屋の中央に、人が一人座っていた。

 老人だった。

 痩せ細った体。質素な和装。膝の上に手を置いて、背筋を伸ばして座っている。顔に皺が深く刻まれていたが、表情は穏やかだった。怒っていない。焦っていない。三人が扉を開けて入ってきたことを、最初からわかっていたような顔をしていた。

 その目だけが、異様だった。

 澄みすぎていた。感情がなかった。穏やかな表情の奥に、人間のものとは思えない静けさがあった。


「来るとは思っていたよ」


 老人が口を開いた。穏やかな声だった。「お前たちの母親の事が知りたいのだろう?」


 陽太が一歩踏み出した。

「母はどこにいる」

 玄翁が陽太を見た。まるで子供を見るような目だった。


「もう会えないよ」


 感情がなかった。冷たいわけでもなかった。ただ、事実を告げる目だった。

「お前の母親は自ら望んでXの封印になった。それが最も効率的な選択だったからだ」

 部屋の空気が変わった。

 陽太の表情が固まった。



 戦いが始まった。

 陽太が先に動いた。追風で地を蹴る。間合いを一気に詰める。紫電・閃を発動した瞬間、体の動きが止まった。

 止まった。

 意思があるのに、体が動かなかった。まるで体の内側から何かに押さえつけられるような感覚だった。気が乱れている。力が出ようとして、出口を塞がれている。


「力は感情から生まれる」玄翁が静かに立ち上がった。「感情を制御すれば、力は出ない。それだけのことだよ」


 玄翁の手が静かに動いた。

 陽太が弾き飛ばされた。壁に叩きつけられて、床に落ちた。痛みがあった。でもそれより、力が出ないことの方が怖かった。体の中が空洞になったような感覚。紫電を握っているのに、何もできない。

 蒼が氷界を展開しようとした。広がりかけた冷気が、途中で霧散した。「……っ」蒼が膝をついた。感情を排除した蒼でさえ、気が乱れていた。

 結衣が和命を使おうとした。腕輪が光りかけて、消えた。「駄目……出てこない」

 玄翁が三人を見渡した。穏やかに、静かに。


「安心しなさい、もう苦しまない」



 玄翁の攻撃が結衣を捉えたのは、その瞬間だった。

 音もなかった。結衣が声を上げる間もなかった。ただ、結衣の体がゆっくりと傾いて、床に倒れた。


「結衣!」


 陽太が駆け寄った。結衣の体を抱き起こす。顔色が白かった。呼吸が浅かった。腕輪の光が消えていた。ツキの気配が感じられなかった。


「結衣、結衣!」


 返事がなかった。

 陽太の中で、何かが崩れた。

 音もなく、静かに、でも確実に崩れた。父が死んだ夜から、ずっと抑えていた何かだった。砂漠を歩きながら、黄龍に入りながら、修行しながら、朱雀と戦いながら、ずっとどこかに押し込めていたものだった。


「お前らは……」


 声が出た。自分の声が遠く聞こえた。


「お前らは……俺から大事な人を奪っていくんだ!」



 気が動いた。

 陽太には何も見えていなかった。ただ、体の外に何かが溢れ出していくのがわかった。あの夜と同じだった。いや、あの夜より大きかった。制御できなかった。しようとする前に、もう出ていた。

 周囲の空気が渦を巻いた。

 石畳が震えた。窓ガラスが軋んだ。部屋の中の気が、全て陽太の方へ吸い寄せられていくような感覚があった。外の景色が霞んでいく。陽太の瞳が金色に染まった。その金色が、じわじわと濃くなっていった。

 玄翁が初めて動きを止めた。


「……これが」


 陽太は気づかないまま、結衣に手を伸ばしていた。

 手が結衣の肩に触れた瞬間、何かが流れた。陽太の中から、結衣へ向かって、温かいものが流れていった。陽太自身の生命力が、結衣に流れ込んでいく。陽太の顔色が白くなっていく。でも止まらなかった。止め方がわからなかった。

 結衣の顔色が、少しずつ戻り始めた。


「……あ」ツキの声がした。腕輪が薄く光り始めた。「陽太……」


 でも暴走は止まらなかった。

 陽太の周囲から生命エネルギーが吸い上げられていく。部屋の隅の植物が枯れた。壁の苔が褪せた。そして——玄翁の体から、力が抜け始めた。

 玄翁が膝をついた。


「これが……完全体の力か……」玄翁が呟いた。穏やかな声のままだった。

「感情は……制御できない……」


 玄翁が床に手をついた。体が傾いていく。その目が、最後まで澄んだままだった。怒りもなく、恐れもなく、ただ静かに。


「自由は……人を壊す……」


 玄翁が倒れた。

 動かなくなった。



「陽太! 駄目!」


 結衣の声だった。

 意識が戻ってきた声だった。必死な声だった。

 陽太がはっとした。

 金色が、ゆっくりと黒に戻っていく。周囲に渦を巻いていた気が、霧散していく。体が急激に重くなった。床に膝をついた。呼吸が荒かった。手が震えていた。

 部屋が静まり返った。

 陽太がゆっくりと顔を上げた。玄翁が倒れている場所を見た。動かない。気配がない。


「……俺が」


 言葉が続かなかった。

 力で命を奪った。初めてだった。戦いの中でそうなった。意図したわけではなかった。でもそれは言い訳で、陽太の手から出た力が、あの老人の命を吸い上げたのは事実だった。

 蒼が静かに陽太の隣に来た。膝をついた。何も言わなかった。ただ、肩に手を置いた。それだけだった。それだけで十分だった。

 結衣が反対側に座った。まだ顔色が完全には戻っていなかった。それでも陽太の隣にいた。


「陽太さん」結衣が静かに言った。


 陽太は答えなかった。玄翁が倒れている場所を見たまま、動けなかった。

 窓の外の空が、完全に暗くなっていた。



 部屋が静まり返っていた。

 玄翁が倒れている。窓の外の空は完全に暗くなっていた。黄龍の街の灯りが、遠くで瞬いている。さっきまであれだけ激しかった力の残滓が、部屋の中にまだ薄く漂っていた。

 誰も動かなかった。

 蒼が陽太の肩から手を離して、立ち上がった。部屋の奥に大きな機器があった。壁一面に端末が並んでいる。崩壊前の技術だった。埃を被っていたが、電源は生きていた。画面がいくつか薄く光っている。


「封鎖システムのコントロールルームだ」蒼が静かに言った。「ここから操作できるはずだ」

「でもどうやって……」陽太が顔を上げた。


 結衣の腕輪が、ぽつりと光った。


「……任せて」


 ツキの声だった。

 いつもの明るい声ではなかった。落ち着いた、真剣な声だった。腕輪から抜け出したツキが、端末の前に降り立った。小さな体で画面を見渡す。目が、普段と全く違う動きをしていた。


「ちょっと待ってね」



 沈黙が続いた。

 ツキが端末の前で動いている。嘴で何かを操作しているようでもあり、腕輪から何かを送信しているようでもあった。画面の数字が切り替わる。別の画面が立ち上がる。また切り替わる。陽太にはついていけなかった。ただ、ツキが今まで見せたことのない顔をしていることだけがわかった。

 蒼が画面の一部を静かに読んでいた。

「……封鎖システムの構造だ。複数の鍵がかかっている」

「全部解除できるの?」結衣が聞いた。

「データを探してる……」ツキが答えた。集中していた。「あ!」


 画面が大きく切り替わった。


「封鎖の解除式あった!」


 ツキが何かを操作した。

 音がした。建物全体が、低く唸った。遠くから、何かが外れるような音が連続して聞こえてきた。黄龍の各所に張られていた封鎖が、一つずつ解除されていく音だった。窓の外を見ると、街のあちこちで人が動き始めていた。混乱の声が遠くから届いた。


「……解除された」蒼が言った。

 陽太が息を吐いた。

「やったな、ツキ」

「えへへ」ツキが照れたように言った。でもすぐに真顔に戻った。

「ねえ、もう一個あるんだけど」



 ツキが別の画面を開いた。


「これ……見て」


 映像が映し出された。

 古い映像だった。画質が荒い。崩壊前のものだろう。部屋が映っている。研究室のような場所だった。机に書類が積まれて、機器が並んで、白衣を着た人たちが動いている。

 その中に、一人の女性がいた。

 若かった。黒い髪。穏やかな目元。何かを議論しながら、真剣な表情で書類を指さしている。隣に玄翁がいた。若い頃の玄翁だった。もう一人、陽太たちの知らない人物がいた。三人が同じ机を囲んで、何かの研究をしている。

 陽太が息を飲んだ。


「……誰だ、あれ」


 ツキが静かに言った。


「……お母さんだよ」


 普段と声が違った。明るさがなかった。柔らかくて、少し寂しいような声だった。

 陽太は画面から目が離せなかった。

 環だった。

 顔を知らなかった。写真も何もなかった。でも見た瞬間にわかった。夢の中で何度も見ていた顔だった。輪郭だけで見ていた顔が、今初めて、映像の中で動いていた。笑っていた。何かを説明しながら、目を細めて笑っていた。


「……母さん」


 声が出た。自分でも気づかないうちに出ていた。



 映像が続いた。

 研究が進んでいく様子が映し出された。書類が増える。機器が増える。議論が激しくなっていく。玄翁は穏やかなままだった。もう一人の人物は熱心に何かを書き込んでいた。環は二人の間で、何かを調整するように動いていた。

 しばらくして、場面が変わった。

 環の表情が、曇っていた。

 書類を持ったまま、何かに気づいたように動きを止めていた。隣の玄翁を見る。もう一人を見る。また書類を見る。その目が、さっきまでと違った。何かを読み取ったような、何かを悟ったような目だった。口を開こうとして、閉じた。

 映像が途切れた。



 画面が暗くなった。

 部屋が静かになった。

 陽太はしばらく暗くなった画面を見ていた。映像の中の母の顔が、頭の中にあった。笑っている顔と、曇った顔と、両方が残っていた。


「続きは……」


 ハクが静かに言った。「次で分かる」


 それだけだった。説明しなかった。慰めなかった。ただそれだけ言って、窓の外を見た。

 陽太は頷いた。


「……わかった」


 結衣が隣で腕輪をそっと握った。ツキが腕輪の中で静かにしていた。蒼が窓の外の混乱した街を見ながら、静かに言った。


「行くぞ。慧さんがまだ下にいる」


 陽太が立ち上がった。

 紫電を握った。母の顔が頭にあった。曇った表情の意味が、まだわからなかった。でもそれは次の旅で分かることだと、陽太は思った。

 今は、下に行かなければならない。



 階段を駆け下りた。

 封鎖が解除された黄龍の内部は、混乱していた。住人たちが通路に出てきて、何が起きたのかわからないまま声を上げている。兵士が走っている。どこかで怒鳴り声がした。どこかで歓声がした。長い間閉じ込められていた人間たちが、出口を求めて動き始めていた。

 三人はその流れを縫うように下へ向かった。

 二十層。十五層。十層。

 五層まで降りたところで、人影が見えた。

 慧だった。

 壁に背を預けて立っていた。白い上着に、所々汚れがついていた。髪が少し乱れていた。でも表情は飄々としていた。三人の顔を見て、ゆっくりと口の端を上げた。


「遅かったかねぇ」

「待っててくれたのか」陽太が言った。

「暇だったからねぇ」


 嘘だとわかった。でも陽太は何も言わなかった。



 四人で一階まで降りた。

 黄龍の入口は、開いていた。封鎖が解除されて、扉が外側に向かって開いている。外の空気が流れ込んできた。砂混じりの、乾いた空気だった。それでも陽太には、新鮮に感じられた。

 入口の前で、慧が立ち止まった。


「私はここに残るよ」慧が言った。

「後片付けがあるからねぇ。この街の人間は、急に自由になっても困るだろうしね」


「慧さん……」結衣が慧を見た。

「心配しなくていいよ」慧が結衣に笑いかけた。

「こういうの、得意だからね」


 蒼が慧を見た。何も言わなかった。でも一秒だけ、目が合った。慧がにやりと笑った。蒼が僅かに頷いた。それだけだった。

 陽太は慧の前に立った。

 何を言えばいいのか、わからなかった。ありがとうと言うには足りない気がした。またと言うには遠すぎる気がした。慧に怒りをぶつけた夜のことも、修行のことも、慧が三人を引き受けた背中のことも、全部が頭の中にあった。

 陽太が口を開いた。


「長生きしろよ、ババア」


 慧が笑った。声に出して笑った。

「やれやれ、ガキは素直じゃないねぇ」


 陽太が視線を逸らした。耳が少し赤くなっていた。「……ありがとよ」


 小さな声だった。でも確かに届いた。

 慧の表情が、少しだけ柔らかくなった。飄々とした笑いの奥にあるものが、一瞬だけ表に出た。


「陽太」


 慧が陽太を見た。真っ直ぐに。


「大和はお前と共にあるよ。忘れるなよ……」


 陽太は何も言えなかった。喉の奥に何かが詰まった。頷くことしかできなかった。


「……うん」


 慧が三人を見渡した。結衣に、蒼に、陽太に。一人ずつ、順番に見た。


「いってらっしゃい!」


 その声だけは、いつもの慧だった。飄々として、明るくて、何も心配していないような声だった。



 三人が黄龍の外に出た。

 夜だった。砂漠の空に星が出ていた。月影郷で見る空とは違う。遮るものが何もない、広い空だった。風が吹いた。砂が舞った。

 しばらく歩いた。黄龍の灯りが遠ざかっていく。街の混乱の声が、少しずつ小さくなっていく。

 陽太が前を向いたまま歩いていた。紫電が腰にある。母の顔が頭にある。父の最後の言葉が、まだ胸の中にある。

 ふと、気配を感じた。

 後ろだった。

 陽太が振り返った。誰もいなかった。砂漠の闇が広がっているだけだった。

 でも確かに、何かがいた。


「……蒼」

「……鳥がいるな」蒼が静かに言った。前を向いたままだった。

 結衣がくすりと笑った。「……そうだね」


 陽太は暗闇をもう一度見た。建物の陰に、小さな人影のようなものがあった。こちらを見ているような気がした。金色の瞳が、闇の中でかすかに光った気がした。

 陽太は前を向いた。


「……気づいてないふりしとくか」

「合理的だ」蒼が言った。

「うん」結衣が頷いた。


 三人は歩き続けた。後ろの気配も、歩き続けた。砂漠の風が、四人分の足音を包んで、夜の中へ消えていった。


「所でさ、カッコつけて出てきたのはいいんだけど…次は何処に行くんだ?」陽太が恥ずかしそうに話はじめた。


「大丈夫です。ご案内します。」ツキがにやりと笑った。




── 第一章 登場人物・用語解説 ──

登場人物

月影 陽太

18歳。主人公。第一章で紫電を手にし初めての実戦を経験する。玄翁を倒すが初めて力で命を奪った重さを抱える。

月影 蒼

16歳。次男。慧から「流す」という理を盗み取り四神戦への布石を作る。

月影 結衣

16歳。三女。朱雀の暴走を静界で抑え込む。慧から料理を通じて調和の理を学ぶ。

ツキ(月詠)

月環に宿るナビゲーター。おしゃべりでやらかしがち。重要な場面では真剣になる。

ハク(白鳴)

紫電に宿るナビゲーター。「俺は鷹だ」と言い張る。戦闘ナビが的確。

月影 慧

大和の妹弟子・陽太たちの叔母。黄龍に潜伏していた。三人を助け修行をつける。黄龍に残る。

玄翁

黄龍統治者。「管理」という歪んだ答えの体現者。第一章で死亡。

朱雀

四神幹部。結衣に母・環を感じ心が揺らぐ。こっそり三人の後をついていく。



用語

黄龍こうりゅう

中国の都市国家。玄翁が統治していた完全管理社会。封鎖システムが解除され混乱中。

封鎖システム

玄翁が管理していた黄龍全体の封鎖。玄翁の死により解除された。

ワーム

Xの肉体が再生する過程で生まれた単細胞生命体。世界中に散らばっている。

X

世界崩壊の原因となった生物兵器。

環の過去①

玄翁・廻と共にXの研究をしていた事実が映像で明かされた。



技(第一章初登場)

紫電・しでん・せん

陽太の技。体内電気信号制御・全身強化。使用後に紫の雷の残像が残る。瞳が金色になる。

追風おいかぜ

陽太の技。気を足に集中させてジェットのように加速する。

迅雷じんらい

陽太の技。素早い雷撃斬撃。近接技。

氷界ひょうかい

蒼の技。空間を極限まで冷却する領域展開。

静界せいかい

結衣の技。安定化・封印技。朱雀の炎を抑え込んだ。

和命わめい

結衣の技。修復・回復技。

炎鷹えんよう

朱雀の技。鷹のように急降下しながら炎を放つ。

鳳炎ほうえん

朱雀の技。鳳凰のように炎を纏って突進する。



── 第一章 了 ──

次章:第二章・ミラージュへ続く


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