8.旅の錬金術師
冒険者ギルドを出ると、アドリアンがほっと息を吐いた。まだギルドのざわめきが耳に残っている。
「よかったわね。アドリ」
「はい、姉様! 魔術学校では錬金術も教えてもらえるのでしょうか?」
「どうかしら――」
そのときだった。まるで待っていたかのように、冒険者ギルドの入口ですれ違ったエルフが声をかけてきた。
「やあ、久しぶりじゃないか、リュァンフェオス」
驚いたことに、そのエルフはケトに向かって話しかけていた。
私たちが驚いていると、ケトは私の腕の中からぴょんと飛び降り、澄ました顔で路地裏へと歩いていった。エルフがそのあとを追うので、私たちも仕方なくついていった。
路地裏の人目の付かない場所まで来ると、ケトの姿がふわりと揺らぎ、黒猫の可愛い姿からケットシーの姿へと変わった。二本足で立ち上がったその姿は、いつものケトからは想像もつかないほどの威圧感を放っていた。
「ワイをペットだとか、久しぶりとか、よう言えたもんやなリュカさんよ!」
ケトの低い声が地を這うように響いた。その迫力にアドリアンがピクリと肩を震わせた。アドリアンはケトの本来の姿を見るのはこれが初めてだ。
リュカと呼ばれたエルフはきょとんとしたまま瞬きをした。
「あれ? 君、もしかして怒ってる?」
「当たり前やろ! ワイのお宝持ち逃げして、百年も雲隠れしとったんはどこのどいつやねん!」
「持ち逃げだなんて、そんな物騒な言い方はやめてほしいな」
「ほな百年いったいどこで何しとったんや!」
「もちろん星霜花が咲くのを待っていたんだよ。星霜花が咲いたら、冬の霜が降りた三日月の夜に東の大樹の根元でって、そういう約束だろう?」
「せやからワイはその冬初めて霜が降りた三日月の夜に――」
「星霜花って百年に一度しか咲かない花のことですか? 本で読んだことがあります。エルフの国に群生地があって、百年に一度、星霜花がいっせいに咲く光景は美しい絵画のようだと」
アドリアンが興奮気味に二人の会話に割って入った。
「そうだよ。よく知ってるね。君の名前は?」
「僕は、アド――」
アドリアンが名乗ろうとしたその瞬間、ケトの怒りは爆発していた。
「おい待てや! 今なんて言うた? 百年に一度って何のことやねん。お前、霜の降りた朝に咲くってしか言わへんかったやないか!」
「そうだったかな? でも星霜花って言ったら分かると思って」
「……は? どんな感覚しとんねん! こっちはなぁ毎年毎年冬が来るたんびに『あいつ今日来るんちゃうか』『今度こそ来るんちゃうか』って期待して、それを何回繰り返したと思てんねん」
ケトの怒号が路地裏に響き渡る。
「ちょ、ちょ、ちょっと、少し落ち着いてよ、人が集まってきちゃうじゃない」
ケトを宥めようと声をかけ、私はとりあえず自己紹介をすることにした。
「あの、わたくしはフィアナ・オブライエン。オブライエン公爵の娘です。この子は私の弟で――」
するとアドリアンは慌てて首を振った。
「ぼ、僕はファライン男爵の息子アドリアン・ファラインといいます。今は公爵様のお世話になっています」
「僕はリュカイン・エル・リディエール。旅をしながら錬金術師をしているんだ。リュカと呼んでくれて構わないよ」
ケトはむすっとしたまま鼻を鳴らした。
「……百年も依頼主ほったらかす錬金術師なんか聞いたことあらへんわ!」
リュカは苦笑しながら肩をすくめる。
「百年なんてことはないよ。九十年ぐらいだったかな。でも、これで君が約束の場所に来なかったことの謎が解けたよ」
「お前が来んかったんやろが!」
ケトが毛を逆立てた。
「あの、ケトはいったいどんな依頼をしていたんですか?」
そうリュカに尋ねたが、彼は私の言葉に首をかしげ、ケトへ向き直った。
「そういえばケトって……君のこと? いつから従魔になったんだい?」
ケトは鼻を鳴らし、ふんぞり返る。
「ワイの名前はこないだからケトシグラートや。よぉ覚えときや。従魔んなったんは暇やっただけや、たまたまや」
「へぇ」
リュカは今までで一番驚いた顔をした。
「まあともかく君の依頼品はもうできてるよ。今から取りに来るかい? 『眠る三毛猫亭』って宿に泊まっているんだ」
「えっらそうに言いよって、お前が持ってこんかい!」
ケトがまた噛みつくように言うので、私は慌てて間に入った。
「依頼品はできてるって言うんだから、いいじゃない。機嫌直しなさいよ」
「ワイは上機嫌やで! あいつの顔さえ見んかったらな!」
ケトはぷいっとそっぽを向く。
「なんだか楽しそうだね。君のそんな楽しそうな顔、初めて見たよ」
リュカの言葉に、ケトがさらに怒って何か言おうとしていると、アドリアンがそっと手を挙げた。
「あの、僕が取りに行きます。僕、錬金術を見てみたいんです」
「君は錬金術に興味があるの?」
「は、はい」
アドリアンは緊張しながらも、しっかりと頷いていた。
「見せてあげたいのは山々なんだけど、錬金術の道具を広げるにはあの宿屋は狭くてね。前の街に置いてあるんだよ。落ち着き先が決まるまで」
「そう……ですか……」
アドリアンは残念そうな表情を浮かべた。そんな弟と美しいエルフを見比べ、私はいいことを思いついた。
「リュカ様、もしよろしければ、この街にいらっしゃる間は我が家でお過ごしいただくというのはいかがでしょうか。厚かましいお願いかもしれませんが、少しでもアドリに錬金術を見せていただけたら、アドリも喜びますし、わたくしも錬金術には興味がございますの。あ、もちろん、相応のお礼は必ずご用意いたしますので」
思い切って言うと、リュカは少し驚いたように目を丸くした。けれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「そういうことなら、喜んで」
その言葉に、アドリアンは飛び上がらんばかりに目を輝かせた。ケトはというと、ふんと鼻を鳴らしただけだった。




