6.社交界デビュー
私は十歳になり、生まれて初めて公爵領を出ることになった。父いわく、十歳という年齢は社交界で正式にお披露目をしなければいけない年齢なのだそうだ。年が明けると、私たちは馬車で三日ほどかかる王都へ向かい、王宮で行われる新年拝賀の儀に出席する。そこで行われる舞踏会で社交界デビューを果たすことになるのだ。
王宮の大広間は冬の朝の光に包まれて、とても荘厳に見えた。壇上には現国王レオナルド・マグナリオン・ヴェルシエールと王妃マグダレーナ、さらに王子たちと姫君たちが居並んでいる。王妃マグダレーナはその優しさから国民に深く敬われている。王太子リオンは聡明で、第二王子ユーリスは快活な性格と言われている。そして、双子の第三王子ジェラルドと第一王女ベアトリーチェは、物静かな兄と愛らしい妹として知られている。
儀礼官にオブライエン家の名を呼ばれると、私と母は父とともに王の前へ歩み出た。
「国王陛下におかれましては、新年をお健やかにお迎えになられましたこと、心よりお喜び申し上げます。本年もオブライエン家一同、陛下の御治世のため、微力ながら尽力いたす所存にございます」
父が祝辞を述べ、玉座に座る王がそれに応じる。
「新年の祝意、感謝する。今年も変わらぬ忠誠を期待している」
威厳ある声が広間の隅々まで広がった。一拍を置いてレオナルド王は立ち上がり、広間に視線を巡らせた。
「この良き日にもう一つ知らせがある。王太子リオンと公爵令嬢フィアナの婚約をここに正式に発表する。両家の結びつきがこの国のさらなる繁栄をもたらすことを願う」
その宣言は広間の貴族たちをざわつかせた。私は思わず息を呑み、口を押えた。父を盗み見ると私にウインクを返してきた。母は静かに微笑んでいる。
王太子リオンが王の言葉に応じて一歩前へ進み出た。幼いながらも落ち着きと気品を感じさせる王子だった。だが、子供らしからぬ冷めた目をしていて、この愛らしくも美しい顔がいつか私を冷たく切り捨てるのだと思うと切なかった。しかし、そんな私の不安をよそに、広間には歓声と祝福の拍手が沸き起こっていた。
***
新年拝賀の儀が終わり、控室に下がると、私はすぐに父と母を険しい口調で問い質した。
「もう、お父様とお母様ったら、どうして婚約なんて大切なことを私に相談もなしに勝手に決めてしまうのよ」
婚約する未来があることは知っていた。けれど、私にも相談のひとつくらいはあるだろうと悠長に構えていた。政略婚という貴族社会の慣習を、私は少し甘く見ていたようだった。
「サプライズのつもりだったんだけどなぁ……」
父が苦笑いを浮かべた。
「せっかくお父様が苦労して下さったのに、そんなことを言ってはいけませんよ、フィアナ」
母が言うお父様とは私の祖父のことだ。だが、祖父は昨年すでに亡くなっている。どうやらこの縁談は、祖父の置き土産だったらしい。王の外戚になりたい貴族は数えきれないほどいる。祖父の「苦労」とは、その熾烈な争いを勝ち抜き、婚約を勝ち取ったということなのだろう。
母は無邪気に「子供はたくさん産んでね」とか「女の子だったら賢いアドリアンと結婚させて、公爵家を継がせたいわ」などと、はしゃいでいた。
「フィアナは嬉しくないのか? 王太子殿下はなかなかハンサムじゃないか」
父が私に小さな声で囁くが、私は大きく首を横に振った。
「わたくしに王太子妃など務まりませんわ。殿下はもっと……可愛くて、光属性の主人公と……」
ゲームではトゥルーエンドではないものの、王太子と主人公が結ばれるルートも存在している。この世界でも、私はきっと主人公に婚約者を奪われて捨てられるのだ。私よりも可愛いくて、甘え上手で……って、いや、それは前世の記憶だった。
「フィアナ? どうしたんだ?」
「な、なんでもないわ。お父様」
婚約だろうが何だろうが、二度目の人生では恋などしないと決めていた。だから、あんなに冷めた目をしたお子様のことなど気にする必要はない。とはいえ、だいぶ冷めた目をしているのはお互い様かもしれないが。
「フィアナお嬢様、そろそろお時間でございますよ」
礼儀作法とダンスの家庭教師であるミス・クレアが、私を呼びに控室へ入ってきた。これから晩餐会までの時間、子供たちのための昼間の舞踏会が開かれる。貴族の令息や令嬢たちは、そうした舞踏会に参加して、少しずつ社交の場に慣れていくのだ。
「いってらっしゃい。フィアナ」
「やっぱり行かなくてはダメ? お母様」
「だめよ」
母に眉を吊り上げで睨まれた。
これからはあちこちの貴族のパーティーに参加させられることになるのだろうか。本当は家で静かに闇の魔導師対策に集中していたいのに。私はミス・クレアに急かされるまま、控え室を後にした。
***
ミス・クレアに付き添われて小舞踏の間へ足を踏み入れると、大人の舞踏会とは違う明るい音楽が流れていた。茶会のような柔らかな雰囲気が漂い、テーブルには色とりどりの菓子や果実が並んでいる。
私はつい、その洗練された王宮の食べ物に目を奪われてしまった。
「姿勢を正してくださいませ、お嬢様」
さっそくミス・クレアに注意されてしまった。
「あ、はい、ご、ごめんなさい、ミス・クレア」
そう返事をすると、さらに鋭い視線が飛んできて、私は慌てて言い直した。
「し、失礼いたしましたわ……ミス・クレア」
そう、礼儀作法や言葉遣いまでは、ケトでは教えられなかったのだ。
ミス・クレアは今では公爵家の家政婦長をしているが、もともとは母付きの侍女兼家庭教師で、母もかつて彼女に厳しく指導されたと聞いている。私付きの侍女はミス・クレアの姪で、いつも些細な粗相を見つけられては彼女に叱られているようだった。
舞踏会場の中央では、同年代の子供たちが側近たちに見守られながら、ぎこちないステップで踊っている。だが、にわかに入口の方が騒がしくなった。数名の侍従に囲まれて王太子リオンが姿を現したのだ。リオン王子が小舞踏の間に入ると、中央で踊っていた子供たちはすぐに道を開け、丁寧に礼をした。王子は軽く会釈を返し、そのまま真っ直ぐこちらに歩いてきた。
私はチラリとリオン王子を盗み見て、「え?こっち来るの?」と内心で呟いた。ゴクリと唾を飲み、うわ~、やだな~、怖いな~と思いながら、頑なに俯いていた。しかし、ミス・クレアに軽く肘を突かれて、仕方なく顔を上げると、すぐ目の前にリオン王子が立っていた。
私は慌てて淑女の礼を取り、口上を述べた。
「お、王太子殿下、ほ、本年も陛下の御代が平和でありますよう、こ、心よりお祈り申し上げます」
「ありがとう、フィアナ嬢」
リオン王子は静かに頷いた。
近くで見る王子の瞳は吸い込まれそうなほど綺麗なアイスブルーだった。これが冷めた目に見えたのだろうか。青灰色の髪は差し込む午後の光を受けて輝き、まるで天使のようだ。
――どうしてこんなに周囲に光を振りまいている――ん? 光を振り撒いているように見えたのは……。あれは……妖精?
「今日の婚約発表が両家にとって良き未来の始まりとなることを――」
リオン王子は言いかけて、ふと言葉を切った。そして、全く別の方向を見ている私に、不思議そうに問いかけた。
「……どうしました?」
私は王子の周りを飛び回る小さな妖精を指さした。
「え? だってそこに」
王子は一瞬きょとんとした顔をして、私が指さした方へ視線を向ける。
「……何か、ありますか?」
「あの、そこに……」
「そこ……?」
どうやらリオン王子には見えていないらしい。いや、リオン王子だけでなく、他の誰にも見えていないようだった。
――どうしよう……。
ここで誰にも見えないもののことなど話したら、完全に頭のおかしなヤバイ女と思われてしまう。
私は適当に誤魔化すことに決めた。
「光が……その、光が反射して何かが見えたような気がしただけでした。申し訳ございません」
リオン王子が小さく瞬きした。
「……そうですか。では……良き未来の……」
先程の言葉の続きを言おうとしたものの、リオン王子は諦めたように口を閉じた。そして、少し表情を和らげて言った。
「よかったら、僕と踊っていただけませんか?」
「は、はい」
私は慌てて王子の手を取った。
二人が手を取り合うと、軽やかな音楽が流れ始め、拙いステップでのダンスが始まった。周囲の子供たちも踊り始める。私たちも最初は息が合わず、何度もお互いのつま先を踏んでしまった。けれど、ここは子供たちが社交を学ぶための舞踏会だ。そんな初々しい光景は珍しくなかった。
その間も妖精は金色の鱗粉を撒きながら、ヒラヒラと王子のまわりを飛び続けていた。虹色の衣をまとった小さな人間のようで、背中には透き通る青い蝶の羽根がついている。本当はそちらが気になって仕方なかったけれど、ステップを合わせることに集中していたら、あっという間に音楽が終わっていた。
「も、もう少し練習しておかなくてはいけませんわね」
私は少し恥ずかしそうに言った。闇の魔導師と戦うのにダンスなど何の役にも立たないと、これまで真面目に練習してこなかったのだ。
「僕も、これからはもっと真剣にダンスの練習に取り組むことにします」
リオン王子も表情を緩めてそう言った。こうして見ると冷たい印象はいつのまにか消えて、私はその愛らしい顔につい見入ってしまった。
その後、リオン王子は何人かの人々と挨拶を交わし、舞踏会場を後にした。妖精もそのあとを追って飛び去っていった。
王子が去った途端、舞踏の間に張りつめていた空気はふっと解け、再び囁き声が広がった。ダンスのカウントを取る軽やかな声も戻ってくる。婚約者である王太子と無事にダンスを終えたことで、ミス・クレアは満足したように頷いていた。私はすっかり気疲れして、舞踏会場の隅の椅子に身を沈め、ぼんやりと天井を見上げた。
「あの妖精……何だったんだろう」
そう呟きながら。




