5.明るい家族計画
ケトと出会ってから五年ほどが過ぎた頃、私は裏庭で魔法の訓練を受けていた。
「ほれ、ぼ~っとしとらんと、はよ始めんかい」
「もう疲れた~」
ケトが魔物であることは家の者には隠していた。だから、ただの可愛い飼い猫として、皆からとても可愛がられている。けれど、二人きりになると、こうして私を容赦なくしごく恐ろしい鬼教官へと変わるのだ。
「この怠けもんが! ほれ、やってみ」
「ファ、ファイアーボーーーーール」
別に術名を叫ぶ必要はないけれど、私はそう叫びながら勢いよく手を前に突き出した。すると、小さい火の玉がポフンと飛び出す。
「ちっさ!! そないなもん、虫しか倒されへんやんけ! もっと集中せぇ!」
「これでも集中してるんです!」
「そんなんやっとったら、闇の魔導師なんか倒されへんで」
「やっぱり、主人公に倒してもらう」
「なにゆうとんねん。その前にお前が殺されてまうんちゃうんか?」
闇の魔導師はこのゲームのラスボスで、最終的にはゲームの主人公とその仲間たちが倒すことになっている。だが、私はその前に闇の魔導師に操られて命を落としてしまうのだ。だから、強い力を身につけておかなければ、悪役令嬢が心優しい令嬢になったとしても、そこで運命は尽きてしまう。
「私は国外に逃げる。これでどお?」
「知らんわ。ええから、もう一度やってみぃ」
「サンドクラッシュ! ウィンドスラッシュ! アクアカッター!」
体を鍛えれば魔力もそこそこ強くなるというけれど、もともとの魔力が低すぎてどうにもならない。今も数メートル先の木人形が、ぽすっと音を立てて揺れただけだった。
「はぁ~」
ケトの軽蔑混じりの溜息が聞こえる。
魔法には属性というものがあって、人によって得意な属性は違う。ただ、私にはどの属性にも突出した才能がなかった。
「ライトニングニードル!」
木人形がパチッと静電気のような音を立てる。
「サンレイ!」
今度はピカッと光って、表面がほんのり焼け焦げた。
「お? 光魔法も使えるんか?」
「まあね。あんまり得意ではないけど。やっぱり得意というなら、火属性かな?」
「いやいや、嬢ちゃんのん、どれもカスやで? 得意とかいうレベルとちゃうわ」
「人が一生懸命頑張ってるのに。教え方が悪いんじゃないの?」
木人形にすら笑われているような気がして文句を言うと、ケトがうすら笑いを浮かべた。
「ワイほどの師匠がおっても、あかんもんはあかんのやなぁ」
貴族の子供たちは十五歳になると王都にある王立魔法学園に入学する。下位貴族にとっては出世の機会となり、高位貴族にとっては社交界での人脈づくりに繋がる。十五歳になるまでは家庭教師から一通りのことを学んでおくのが一般的だが、お金に余裕のない貴族の中には、平民と一緒に街の学校へ通う者もいる。
私はケトに家庭教師をお願いしていた。父や母が連れてくる家庭教師はどれも堅苦しくて、授業がちっとも面白くなかったのだ。けれど、ケトは何百年も生きた妖精猫だけあって、知識も豊富で授業も面白かった。
魔術の訓練だけでなく、古代の知識や魔法理論まで分かりやすく教えてくれた。例えば――
『闇属性の魔法は禁忌の魔法やって言われとるけどな、上から下までいろいろあって、そもそも闇属性なんてものはないんや。ほんまもんの闇属性っちゅうんは、光属性の力を極めたときに使える魔法のことを言うんやで。要は、光はその内側に闇を抱えとる、まあそういうこっちゃな――ってコラ! 聞いとんのかボケが!』
『痛っ』
こんなふうに、愛のムチもたまに……いや、よく飛んではくるのだが。
とにかく、ケトは優れた教師であり、私にとっては心強い家庭教師だった。
***
ある日のこと。廊下を歩いていた私に、部屋のドアの隙間から父が手招きした。妙にそわそわした様子に、私は嫌な予感がした。
「フィアナ、紹介したい人がいるんだ」
「な、なんですの?」
兄が襲撃された事件のあと、気になっていたフードの男について、私はケトに調べてもらっていた。すると驚くべきことに、黒幕は母ではなく祖父だったことが分かった。ゲームでも、母は『そんなこと知りませんわ』と無実を訴えていた。だが、日頃の行いのせいで、プレイしていた私だけでなく、他の誰にも信じてもらえていなかった。
祖父が決めた結婚とはいえ、父はなかなかハンサムだったせいか、母の父への愛は本物らしかった。母の性格が歪んでしまったのも、使用人に冷たくするのも、父の浮気が原因だったのではないかと、今は思っている。
ゲームでは、父はさらに別の女性と浮気をして子供を作る。その女性は下位とはいえ貴族の出だったため、その子供は公爵家に引き取られことになる。だが、私と母から酷い虐めを受けて心を壊してしまうのだ。そして、復讐者として戻ってきた兄レオンに力を貸すことになる。
だから私は、父がさらなる浮気を重ねないように、事件のあとからずっと、母が本当は父を深く愛していることを父に伝え続けた。ゲームだけでは分からないことだが、父は兄たちの住居も用意していたらしい。だから、おそらくハンナの死を知ったことで、母への愛を完全に失ってしまうところだったのだ。だから兄たちを助ければ、それは防げると思っていた。
私はうすく開けられたドアの前まで行き、目を眇めて父を見上げた。すると、ドアの後ろから三、四歳ぐらいの男の子が、ひょこっと顔を出した。
「え?」
「……弟だ」
「お、弟!?」
「声が大きいよ、フィアナ」
男の子も私の声に驚いて、すぐに父の後ろへ隠れてしまった。
「お、お父様……い、いったいどういうことですの?」
「実は……親友の――」
「親友!? 親友の彼女を奪ったんですの?」
「いや、そうじゃなくて」
「……男の人って、本当に、どうしてこうなのかしら」
「違う、違う!」
父は慌てて首を横に振っていた。
「私の故郷で魔物が出てね。彼は魔物討伐の隊長だったんだが、治療が間に合わずに亡くなってしまったんだよ」
「亡くなった……?」
「ああ。亡くなる前に部下に伝言を残していたようでね。その部下が送ってきた手紙には、私に家族を頼むようにと言い残して亡くなったと書かれていたんだ」
「まあ。それは、お悔やみ申し上げますわ」
「しばらく私も知らなかったのだが、だいぶ苦労していたようだ。もっと早く手紙をくれていれば……」
「そうですわね。……それで、……その子の名前は?」
父の後ろで怯えていた子供がおずおずと顔を出した。
「ア、アドリアンです」
アドリアンはそう言って、親指を曲げた掌を私に見せた。どうやら自分の年齢を伝えたかったようだ。とても賢そうな顔つきをしている。
「アドリアンは四歳なの? 怖がらせちゃったかしら?」
私は腰を落として、アドリアンと目線を合わせた。
アドリアン――名前はゲームと一致している。髪の色や目の色も。だが、ゲームの中のアドリアンは父の息子として登場するはずだ。
「それでその……、お義父さんが反対しないか心配でなぁ。私の子だと言ってしまった方が反対されないかと思って」
「はい?」
父の考えはどうにも理解できなかった。どうして自分の子だと嘘をつけば、お爺様もお母様も納得すると考えたのだろう。
「それで、この子だけではなく、この子の母親も公爵家に迎え入れたいと思っているんだ。だから――」
「お父様!」
私は静かに父の言い訳を遮った。
「本当のことを話した方がいいに決まっていますでしょ? どうしてそんな話になりますの? お母様のお気持ちを考えたことがおありですの?」
「しかし……」
父が思い悩む姿を見て、私の中にある考えがよぎった。
「もしかして……お兄様も……本当は……」
「いや、アレクサンデルは本当に私の子だ。あの頃は公爵家に婿養子として来たばかりで、お義父さんも、ほら、ああいう厳しい人だろ? だから私もいろいろと精神的に参っていて、つい、その……」
「も、もうそれ以上は結構ですわ。八歳の娘に話すことではありませんでしょう?」
「そ、そうだったな。ははははは……」
「とにかく、お爺様にはわたくしからもお願いいたしますから。どうか正直にお話になってください」
「わ、分かったよ。フィアナがそう言うなら」
父は情けない顔で言い、アドリアンは不安そうな目で私を見上げていた。
***
「フィアナの未来は変えられないのかな?」
私は自分の部屋に戻り、何気なくケトに愚痴をこぼしていた。
「何の話や?」
アドリアンが別の形で現れたことに、私は少し動揺していた。この世界は、アドリアンという存在を必ずどこかに配置しようとしているのだろうか。ならば、どんなに私があがいたところで、盤上の駒のように誰かの手で動かされてしまう。それでは、私は何のために努力しているのか。
「せやけど、もともとそういうことやったのかもしれへんやろ」
「そう……なのかな……?」
父と母の仲を取り持つことで、生まれてくるはずの命の可能性を奪ってしまったのだと、私は申し訳なく思っていた。だから、事の真相が本当はそんな事なのだとしたら、私にとっては救いだった。生まれてきても母に虐められるぐらいならと、無理やり自分を納得させていたのだから。
ケトは金色の瞳を少しだけ優しく光らせた。
「それに駒が同じでも、盤面の配置は変わってもうてるやん。嬢ちゃんが自分の力で変えたんやないか?」
私は気弱ながらに笑ってみせた。
「そうよね」
「それに、ワイがおるんや、なんとかなるわ」
「うん。……頼りにしてるわ、ケト」
私はケトをぎゅっと抱きしめ――ようとしたが逃げられた。
「それ、やめぇて言うてるやろ」
モフモフしたかっただけなのを見透かされたようだった。




