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44.野外演習2

 少し開けた場所に移動して、切り株に腰を落ち着けると、私はリオン王子と二人の上級生を見比べ、事の成り行きを見守っていた。仁王立ちしている王子の前にマクシミリアンとセオドアが片膝をついて頭を垂れている。


 最初に口を開いたのはマクシミリアンだった。

「王太子殿下は……アーシャ嬢のことをどう思われているのですか?」

 あまりにストレートな質問に、王子より先に私のほうが驚いてしまった。

「アーシャ嬢?……ユーリスの友人だと聞いているが」

 リオン王子は、何を聞かれているのか理解していないようだった。

「それで……よろしいのですか?」

 しかし、マクシミリアンはなおも問いを重ねる。

「どういう意味だ? はっきり言え」

 リオン王子は苛立ったように問い返した。


 マクシミリアンは言葉に詰まり、代わりにセオドアが口を開いた。


「アーシャ嬢は光の聖女と噂され、光の魔力は王国随一ともいわれています。……ですから、その……王太子殿下にこそ相応しいのではないかと」


 しばらくの沈黙のあと、ようやく話の意図を理解したらしいリオン王子が口を開いた。


「……言いたいことはそれだけか?」

 その声は冷ややかだったが、苛立ちは深まっているようだった。

「私の婚約者の前で、よくそんなことが言えるな。彼女がどう思うか、考えないのか?」


「しかし……」


 そう言ってマクシミリアンは私の顔を見た。先ほどの「ただの政略結婚です」という私の言葉を持ち出すべきか、迷っているようだった。


 私はマクシミリアンの目を見返し、静かに頷いた。


「フィアナ様は、この婚約は『ただの政略結婚』だと仰っていました。ですから――」


 その時、リオン王子がマクシミリアンの言葉を遮った。


「お前たちは……」

 怒りを押し殺したような声だった。

「フィアナとそんな話をするほど――、彼女と近しい関係なのか?」


 その声は、静かだが、確かな怒気を含んでいた。マクシミリアンもセオドアも、そして私までもが、その迫力に圧倒され、思わず身を竦ませた。


「答えろ」


 マクシミリアンとセオドアは、リオン王子の怒りに当てられて、言葉も出ない様子だった。


 ――二人の代わりに何か言わなければ!


 咄嗟にそう思い、私は必死に言葉を探した。


「リ、リオン殿下! 怒らせてしまったのなら謝ります。申し訳ございませんでした!」


「フィアナは黙っていてくれ。私は二人に聞いている」


 どうしてこんなに怒っているのか、私には分からなかった。婚約破棄を言い出したのはリオン王子なのだから、私がこの婚約を政略結婚だと思っていたことに、安堵することはあっても、怒る理由などないはずだ。


「いいえ、ただ、お二人は殿下のことを心配していただけなんです。ですから、お二人の話を、どうか聞いて差し上げてください。わたくしも、お二人と考えは同じ――」


「フィアナ!」


 私の言葉を遮る声に、私はびくりと肩を震わせた。


「……で、殿下……?」

「今は聞きたくありません……」


 低く絞り出すような声は、私を拒絶しているように聞こえた。


 私の言葉など聞く価値もないと、そう言われた気がして胸が締めつけられた。私はただ、王子の本当の気持ちを、せめて二人には伝えてあげてほしかっただけなのに。婚約破棄は、もう決まっているのだと。


「わたくしの声すら……聞きたくないのですね」


 とても怖くて、悲しかった。震える声でそう呟いた瞬間、涙が頬を伝っていた。


「フィアナ?」


 涙が溢れて止まらない。


「フィアナ。怖がらせてしまったのなら謝ります。だから、泣かないでください」


 リオン王子の言葉は優しかった。


 ――どうしてそんなに優しい声で私の名を呼ぶのよ。


 私は顔を伏せ、ただ首を振る。

「違います。違うのです……」


 私は本当に救いようのない馬鹿だった。拒絶されたから泣いているのではない。知らないうちに王子を好きになっていたからだ。


 ――それに、気づいてしまったからだ。


 自分の気持ちに気づかないふりをしていた。必死に目を逸らしていたのに。けれどもう、それもできなくなってしまった。


 ――婚約破棄。


 分かっていたのに……。


 そして、今はもう私の声すら届かない。リオン王子の傍に私が寄り添える場所など、どこにもなかった。「慰めることくらいしかできない」、そんなことを思っていたことすらもおこがましかった。


「で、では、どこか痛むのですか? 罠に掛かった時に怪我をされていたのですか?」


 リオン王子は、なおも困ったように私へ問いかける。その優しさが、かえって心に痛かった。いっそ、目の前で婚約者に泣かれ、迷惑そうな顔をされるほうがまだましだ。婚約破棄イベントとは、本来そういうものなのだから。


 マクシミリアンが慌てて声を上げた。

「我々の無礼をお怒りになっておられるのでは……?」

 そして、私に向き直り頭を下げる。

「殿下の御身を案じるあまり、このような差し出がましい真似をしてしまい申し訳ありませんでした。数々の無礼、お詫び申し上げます」


 続けてセオドアも頭を下げた。

「フィアナ様のお気持ちも、王太子殿下のお心も……ようやく理解できたように思います。今までの無礼、心からお詫び申し上げます」


 二人の謝罪に、私は慌てて首を振った。

「謝ることなど……ありません。……殿下を怒らせたのは、わたくしなのですから」


「フィアナ……違います。 私は、あなたを怒ってなどいません」

 リオン王子は戸惑うように眉を寄せた。


「では……お二人にはもう、殿下の本当のお気持ちを、伝えてあげてください」

 そう言った途端、また涙が込み上げてくる。


「私の気持ち?」

 リオン王子が首を傾げた。


 私は最後の勇気を振り絞り、覚悟を決めて言葉を告げた。

「はい。……婚約破棄は……もう決まっているのだと」


 私の言葉に、マクシミリアンとセオドアは思わず互いの顔を見合わせていた。リオン王子は呆然とした様子で私を見つめている。


 やはり、私の口から言うべきではなかったのだろうか。


 それでも、マクシミリアンとセオドアの気持ちには応えたかった。二人には伝えなければと、私は必死に覚悟を決めたのだ。


 重苦しい沈黙が流れた。


 やがて、リオン王子がゆっくりと口を開いた。

「婚約破棄?……私はそんなことを言った覚えはありません」

「でも、……この間の……あの、あれの話をしているときに」

「この間の?……あの、あれ?」


 私とリオン王子は、しばらく互いに視線を交わしていたが、私がひっくと鼻をすすった瞬間、王子は何かを思い出したように目を見開いた。


「もしかして、あの日、あなたは気を失う前、私の話を最後まで聞いていなかったのですか?」

「最後まで? だ、だって……急に婚約破棄だと言われて……混乱してしまって……」


 私がしゃくり上げながら答えると、王子はそっと私の肩を掴んだ。


「破棄などという言葉は使っていませんが、あなたはきっと誤解しています」

「誤解……?」

「私の我儘だと分かっていますが、あなたを手放すつもりはありません」

「我儘……? それはどういう……?」


 私は混乱していた。

 破棄でなければ何だというのだ。白紙? 撤回? いや、そうではない。

 誤解? 我儘? 手放す?

 理解の追いつかない言葉ばかりが次々と浮かぶ。私があの場で告げられたことは、一体何だったのだろう。


「そうか、あのあと、あなたが急によそよそしくなったのは……そういうことだったのか……」

 だが、王子はようやく腑に落ちたという様子で、ひとり静かに頷いていた。


「フィアナはどこまで私の話を聞いていたのですか?」


 その声にはもう苛立ちも怒気もなかった。ただ、長く解けなかった謎の答えに、ようやく辿り着き、安堵しているようだった。


 私はあの日のことを思い出す。

「えっと……? あの、婚約、破棄……。あとのことは、何も覚えていません」


 そう答えると、リオン王子は額に手を当て、小さく息を吐いた。


「あなたには申し訳ないが、私はそんなことをするつもりはありません」

「それじゃあ……あの……婚約破棄は……?」


「ありません」

 何の迷いも躊躇もない返答だった。


 私は呆然と王子を見つめる。そんな私を前に、王子は呆れたように首を振った。そして、その姿を見てようやくようやく私も理解した。


 ――それじゃあ、私、ずっと……勘違いしていたの?


 まるで馬鹿みたいだ。ずっと自分の心を誤魔化し、冷静なふりをしていた。今なら、その理由は分かるけれど、何に怯えているかも分からないまま、ただ怯えていた。


 ――そんなの……あんまりだ。


 そう思った瞬間、今まで必死に押し込めていた感情が一気に溢れ出したようだった。婚約破棄ではなかった。そう分かった途端、張り詰めていた糸がぷつりと切れ、気づけば、また、涙が次から次へと溢れて止まらなくなっていた。


「……な、泣かないでください、フィアナ。誤解させるようなことを言ってしまった私が悪かった」


 リオン王子は、子供のように泣きじゃくる私を前に、すっかり取り乱していた。


「マ、マクシミリアン、セオドア、か、彼女はどうしたら泣き止んでくれるんだ?」

 まるで救いを求めるような目で、二人に助けを求めた。


「も、申し訳ありません……わ、分かりません」


 私たちの会話をただ戸惑いながら聞いているだけだった二人は、突然王子に助けを求められ、そう答えることしかできなかった。何しろ二人は、私の勘違いに付き合わされた挙げ句、二転三転する話の流れを追い、事実を整理するだけでも精一杯だったはずだ。


 私だって、ついさっき、やっと事実に辿り着いたのだから。


 私は困り果てる三人を横目に、こうなったらもう気の済むまで泣いてやる。そんな気持ちで泣いていたのだった。



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