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43.野外演習1

 今日は、広大な演習林を使った毎年恒例の野外演習の日だった。下級生がスタート地点からゴール地点を目指す、実戦形式の大規模訓練だ。道中には上級生が敵役として潜み、奇襲や妨害を仕掛けてくる。


 教師の説明が終わると、私たちは十人前後の班に振り分けられた。私は同じクラスの生徒たちと班を組み、地図を確認しながらスタート地点を出発した。


「演習範囲一帯には魔導地雷が仕掛けられている」

 班長が演習林を見渡しながら告げた。

「砂煙が上がる程度の弱い魔力らしいが、踏んだ時点で失格になる」

「……注意して進みましょう」

「罠の探知魔法を使える者は?」

「はい、僕が使えます」


 そんな会話を交わしながら、私は班長補佐として地図を確認しつつ、班長と並んで先頭を進んでいた。魔導地雷が仕掛けられている危険地帯や、敵役の上級生が潜んでいそうな怪しい茂みを慎重に迂回しつつ、しばらく順調に進んでいた。


 しかし、足元に突然丸い魔道具が転がってきた。

「魔導弾だ!」

 班長が叫んだ。


 魔導弾が炸裂し、視界が真っ白に染まる。私は思わず後ずさり、激しく咳き込んだ。立ち込める白煙に紛れて、木や茂みの影から上級生たちが一斉に飛び出してくる。


「来たぞ! 構えろ!」


 私たちもすぐに反応する。一人が即座に展開した障壁魔法が、突っ込んでくる上級生を弾き返す。続けて別の生徒が放った炎が上空で激しく爆発し、まばゆい円光となって上級生たちの目を眩ませた。


「今だ、突破しろ!」

 班長の号令が響く。それを合図に、私たちはそれぞれの武器を構えて一斉に走り出した。襲い掛かる上級生たちに応戦しながら、次の目標地点を目指して駆け抜ける。


 私も何とかその場を切り抜けた――そう思った次の瞬間だった。足元が浮くような感覚がしたかと思うと、気づいた時には、仕掛けられた網に絡め取られて宙吊りにされていた。どうやら上級生が仕掛けた、捕縛罠に掛かったらしい。


 焦る私の視界に、二人の人影が近づいてくるのが見えた。

「フィアナ嬢、少しよろしいですか?」


 私は網の中で身じろぎした。窮屈な体制のまま、なんとか横目で声の主の姿を捉える。


「は、はい……?」

「私はマクシミリアン・レグナス。王立学園の三年生です」

「同じく、セオドア・サイアーズと申します」


 レグナスとサイアーズ――リオン王子の側近として知られる二人だった。レグナス公爵家は我が公爵家とほぼ同格の家格を持つ名門だ。そしてサイアーズ伯爵家は現在の白竜騎士団長を務める家系である。


「は、はじめまして、わたくしは……あ、えっと、ご存じでしたわね」

「ええ、フィアナ・オブライエン公爵令嬢。あなたに、王太子殿下との婚約を白紙に戻していただきたいのです」

「あの……その前に…………降ろしていただけませんか……?」

「あなたの返事を伺うまでは、降ろすわけにはいきません」

「おい、マックス、それはさすがにやりすぎだろう」


 セオドアと名乗った生徒がたしなめた。私は不格好に吊り上げられたまま聞き返す。


「……なぜ、白紙にしろとおっしゃるのですか?」

「ユーリス殿下と、光の聖女と呼ばれているアーシャ嬢が結ばれれば、王太子殿下の立場が危うくなってしまうのです。殿下を守るためにも、あなたが身を引くべきだと思いますが」


 マクシミリアンの言葉を聞いて、私はなるほどと腑に落ちるものがあった。どうやら王宮内には、ユーリス王子を次期国王に推す派閥があるらしい。


 ゲームでは、私が断罪された際、リオン王子は婚約者としての責任を取る形で王太子の座をユーリスに譲ることになっていた。そのシナリオがまだ生きていているなら、リオン王子の王太子としての地位はかなり危うい。


 確かに、国内随一の光属性の魔力を持つと噂されるアーシャの方が、何の取り柄もない私よりも将来の王妃に相応しいと思われても不思議ではない。ユーリスを推す派閥は、そのことでかなり勢いづいているのかもしれなかった。


 ならば婚約破棄の件は、一刻も早く公表した方がリオン王子のためにも良いはずだ。それなのに、なぜか未だに正式な発表が出されていない。国王陛下、あるいはリオン王子に……何か考えがあるのだろうか。


「リオン殿下がそう望まれるのなら……それはもちろん、わたくしはいつでも身を引きますが……」

 私の言葉に、マクシミリアンが目を見張った。

「あ、あなたはそれでいいのですか!? 王太子殿下への愛情はまったくないのですか!」

「?……だって、あなた方はそれをお望みなのでしょ? わたくしにどうしろと?」


 マクシミリアンが言葉に詰まると、セオドアが話を続けた。


「あなたが王太子殿下ではなく、実はユーリス殿下を慕っているという噂も聞きます。今のあなたの言葉を聞く限り、それが噂だけだとは思えなくなりました。……どうか、これ以上王太子殿下を傷つけるような真似はしないでいただきたい」


「わたくしが、ユーリス殿下を?……ただの同級生ですわ。アーシャちゃんやアンリ様、それにエミール様と同じように、仲良くしていただいているだけです」


「……では、王太子殿下のことは、どう思っておられるのですか?」

「わたくしの気持ちなど……関係ありません。ただの……政略結婚なのですから……」


 ――そう。私の気持ちなんて関係ない。婚約破棄はすでに決まっているのだから。これは最初から、ただの政略結婚だったのだから。


「ただ、オブライエン家の立場から言い出せることではありません。……それはあなた方も、お分かりなのではありませんか?」


 セオドアとマクシミリアンはしばらく互いの目を見交わしていたが、やがてセオドアが静かに口を開いた。


「フィアナ様、我々はただ、殿下にお幸せになっていただきたいだけなのです。私たちは幼い頃から王太子殿下をお守りするようにと教育され、同級生としてずっとお側に仕えてきました。周囲には殿下のことを冷淡だとか非情だとか言う者もいます。ですが、それはお立場上、誰にでも心を開くわけにはいかないからに過ぎません。だからこそ、ずっと近くにいた我々には分かるのです。殿下は誤解されているだけで、本当は誰よりもお優しい方なのだと」


 マクシミリアンが続ける。


「王太子殿下の一挙手一投足は貴族の力関係に影響し、ひいては政治にも波紋を広げます。殿下はその重みを理解したうえで、常にふさわしい振る舞いをされています。……そのせいで、孤独になられがちでもありますが……あ、いや、とにかく! それを理解できぬ輩が心無いことを口にしているだけ。殿下は誰よりも王にふさわしいお方だ。次期国王にふさわしくないなどという連中のことが、俺は許せない」


「マックス、それは今関係ないだろう」

「お前が言い出したんだろ」


「と、とにかく、あなたと過ごす時間が増えてから、殿下は少し変わられました。ですが、あなたに殿下を慕うお気持ちがないのであれば、なおさら、あなたから婚約解消を申し出ていただけませんか。むろん、オブライエン家の立場が悪くならないよう、我々も、できる限り配慮はいたします」


 二人の言葉から伝わってきたのは、リオン王子を本気で大切に思うがゆえの温かい忠義だった。

「お二人のお気持ちはよく分かりました。ですが――」

 私は二人を見据え、静かに続けた。

「リオン殿下は、あなた方が思っているほどお優しい方ではありませんよ」


 そう告げた瞬間、二人の表情が険しくなる。二人が怒り出す前に、私は慌てて言葉を続けた。


「いえ、ごめんなさい! ただ優しいだけの方ではないと言いたかったのです。リオン殿下は言うべきことはきちんと言える方です。婚約破棄……いずれそうなるかもしれません。そうなれば、わたくしはそれに従います。今、お伝えできるのはそれだけですが」


 ずっと、考えないようにしていたのに、この二人のせいで、私は現実を無理やり突きつけられた気分になった。


 ――そう、リオン王子はきっと、アーシャを好きになってしまったのだ。


 ユーリスがどれほどアーシャを大切に想っているかを知りながら、それでもなお、抑えきれないほどに好きになってしまったのだ。自分の心に嘘を付けなくなったのだろう。だから、私に婚約破棄を申し出て、自分の気持ちに素直になろうとしていたのだ。きっと、そうなのだ。


 そう思うと、乙女ゲームというのは攻略対象から見れば残酷なゲームだ。主人公に選ばれるのは、たったひとりだけ。誰とも結ばれない友情エンドがあったとしても、選ばれなかった彼らにしてみれば、それは悲しい結末に違いないのだから。


 ――それでも、リオン王子には……傷ついて欲しくない……。


 ふとそんなことを考えてしまったけれど、二人の視線に気づいて、私はそっと言葉を続けた。


「でも……あなた方は殿下のお友達なのでしょう?」

「友達などと、恐れ多いことです。我々は殿下の家臣ですから」

 私は小さく息を吐いた。

「そこまでリオン殿下のことを理解しておられるなら、あなた方ご自身が、もっと殿下に心を開いて差し上げてはいかがですか」

「我々が、ですか?」


「はい。殿下の孤独を案じておられるなら、寄り添えるのはきっとあなた方なのだと思います。リオン殿下は、ユーリス殿下に気軽に言葉を交わせる友人がいることを、羨ましく思っているご様子でした。ですから、まずはあなた方から心を開いて、殿下に本音をお尋ねになってください。私だって、殿下がお望みなら、何だってする覚悟はありますから」


 リオン王子が優しくて、少しお茶目な人間だということを、私はもう知ってしまった。王子には幸せになってほしい――そんな願いが、いつの間にか私の中にも芽生えている。もしこの先、王子が傷つくようなことがあっても……私にできるのは、せいぜい近くで慰めてあげることくらい、なのだとしても。


「……フィアナ様……」

 マクシミリアンとセオドアが、言葉を失ったように私を見つめていた。


 そうして、しばらく重苦しい静寂が続いたあと、林の奥から、藪をかき分ける微かな音が聞こえてきた。

「――誰か来る」

 セオドアが低く呟く。足音がこちらへ近づき、二人は緊張した面持ちでその方向を見据えた。


 やがて、藪の中から姿を現したのは、リオン王子だった。


「王太子殿下!」

 二人の声が重なった。リオン王子は二人を見て、驚いたように目を見開いていた。

「二人とも! ここで何をして――」

 言いかけたリオン王子だったが、罠にかかっている私の姿を捉えた瞬間、その表情が一変した。

「――フィアナ!?」

 次の瞬間、王子は二人に向かって剣を抜いた。

「これはいったいどういうことだ!」

「王太子殿下!」

「も、申し訳ございません!」

 マクシミリアンとセオドアが慌ててその場に膝をつき、王子の前に頭を下げた。

「フィアナに何をするつもりだったと訊いている!?」


 リオン王子の表情は、普段の冷静な仮面を脱ぎ捨てたかのように、怒りに染まっていた。


 私は慌てて声を上げる。

「ま、待ってください。リオン殿下! 私の不注意で、罠にかかってしまっただけなのです。お二人は、私を助けてくださるところだったのです」

 けれど、王子はまるで私の声が届いていないかのように、剣を二人に向けたままピクリとも動かなかった。

「本当に、私の要領が悪かっただけなのです。どうか……どうか剣をお納めください。リオン殿下!」

 必死に訴えると、王子は怒った顔のまま、ようやく剣を鞘に納めた。

「わかった。……まず、彼女を下ろせ」


 その一言で、マクシミリアンとセオドアは弾かれたように立ち上がり、慌てて罠を解除した。


 落ちてくる私の体を、リオン王子が抱きとめてくれる。そっと地面に下ろされ、私はようやく体の自由を取り戻した。



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