38.悪い噂再び
アーシャたちは少し前から、リオン王子の指示で傭兵姿のクラトスから特訓を受けていた。最初の頃はクラトスのお目付け役として私も同行していた。一方、クラトスの正体を知っているリオン王子は、執務の合間を縫ってクラトスとケトからひとりで特訓を受けているようだった。
そんな慌ただしい日々が続いていたけれど、今日は久しぶりの休息日だった。天気も良く、散策するにはぴったりの日だった。私はアドリアンとケト、クラトスと一緒に、街へ錬金素材の買い物に出かけることにした。
アドリアンは夏休みからずっと、ヴィオの錬金工房に入り浸るようになっていた。リュカ先生はそれで少し拗ねていたが、ヴィオに嫌がられながら――むしろヴィオの嫌がる顔を楽しんでいる節すらあるが――アドリアンと一緒に工房へ顔を出していた。
「ケトもクラトスも、今日は何でも好きな物を買ってあげるわよ」
私は後ろを歩くケトとクラトスに声をかけた。
「ワイはミルクケーキやな」
「我はドラゴンの肉だ」
「ドラゴンの肉なんて売ってるの?」
「王都ならあるかもしれませんよ、姉様」
私はそう答えるアドリアンにも声をかける。
「アドリは何が欲しいの?」
「僕は、薬草を買っていただけるのであれば……」
今日はアドリアンをアーシャの薬草店に連れていく約束だった。
「薬草はもちろん買ってあげるけど、他にも何かないの?」
「いえ、薬草をたくさん買っていただければ」
「まあ、アドリったら」
はにかんだ笑顔で言うアドリアンに、私は呆れたように肩をすくめた。
「そういえば、皆にすごい武器を作ってあげているんですって?」
「いえ、錬金術で武器に少し特性付与を施しただけです」
アドリアンは照れた笑顔で答えた。
特性付与とは、武器や防具に様々な効果を与えることだ。エンチャントとも呼ばれ、この世界では錬金術師だけが扱える。
ゲームではヴィオの錬金工房で付与してもらえた。ただ、その代金は序盤どころか終盤になっても気軽に払える額ではなかったので、私はほとんど利用していなかった。プレイヤーの間でもヴィオの店は評判が悪かった。
けれど、アドリアンにやってもらえるなら、もちろん無料だ。
「特性付与って、凄いじゃない」
私は期待を込めてアドリアンに言った。
「今はまだ練習中ですが、姉様の杖剣にも、いずれ『ダメージ増加』の特性を付与できればと思っています」
アドリアンが真っ直ぐな瞳でそう言うので、私は下心込みで口にした自分の言葉が少し後ろめたくなった。
「今日は、何でも好きな物を買ってあげるわよ」
私はそう言って、自分の薄汚れた心をごまかした。
そのとき、ふと、魔石を売る露天商の声が耳に入った。
「灯り石だよ~。今日はお安くしとくよ~。一粒で七晩灯るよ~」
通りかかった主婦二人が足を止め、互いの顔を見合わせた。
「七晩って言うけど、前に買ったやつは一晩でしぼんじゃったわよ?」
「そうそう、朝にはただの石ころだったわよねぇ。あれなら、ろうそくのほうが安いわよ」
「奥さん、今度のは火トカゲから取れた魔石ですから大丈夫ですって」
露天商と主婦たちの会話を、私は何気なく聞いていた。すると、すぐ隣で別の主婦三人が声を潜めて交わす声が聞こえてきた。
「ねえ聞いた? 光の聖女って言われてる女の子のこと」
「王立学園に入学したっていう、凄い魔力の?」
「そうそう。噂じゃ第二王子の妃になるって」
「あら凄いじゃない。平民の子でしょ? さすがユーリス王子ね。これだから庶民にも人気が出るのよ」
先ほど露店主に詰め寄っていた主婦が、その会話を耳にして割り込んできた。
「その噂、私も聞いたことがあるわよ」
噂をしていた主婦は気まずそうに声を潜めた。
「だけど、スラム街に出入りしてて、あまりいい噂を聞かないらしいわ」
「スラム街? 慈善活動かなんかじゃないの?」
「違うわよ。――かもしれないって」
主婦はそこでさらに声を落としたため、肝心の部分は聞き取れなかった。
「あらやだ。ユーリス王子が心配だわね」
「でも、王太子があれじゃあねぇ」
「あたしは嫌だよ、そんな物騒な話」
「戦になんなきゃいいけどさぁ」
アーシャに関する悪い噂が学園内から街へと伝わるというのが、本来のゲームでの展開だった。だから、学園でアーシャの悪い噂が広まることを阻止できたことで、街には広まらないと思っていた。けれど、その声はなぜか商店街のざわめきの中で、密やかに広がっているようだった。
私は少し足早に目的地へ向かうことにした。
***
街の喧騒から少し離れた場所に、アーシャの薬草店はある。私とアドリアンは「束ねた薬草」の意匠が施された看板を見上げた。
「ここがアーシャちゃんの薬草店よ」
「うわぁ。可愛いお店ですね」
「そうでしょう? こんにちはー」
店の扉を開けると、草の香りがふわりと広がった。
帳面を見ていた店主が、扉の開く音に顔を上げた。
「これは、フィアナ様」
アーシャのお父さんがカウンターの向こうで立ち上がった。目元がアーシャによく似ている。何度か訪れるうちに、私はすっかり顔なじみになっていた。
「あの、アーシャちゃんはご在宅ですか?」
「今日は人と会う約束があるとかで、もう寮に戻ってしまったんですよ」
「そうなんですね……」
噂のことがあるので、身辺には気をつけるよう伝えたかったのだけれど――。
「何かご用でしたか?」
「あ、いえ……。薬草を買いに来たのよね、アドリ」
私は隣に立つアドリアンに声をかけた。
「はい」
アドリアンは小さく頷いた。
「私の弟のアドリアンです。これからよく買いに来ると思うので、よろしくお願いします」
「おやおや、可愛らしいお坊ちゃまですねぇ」
そう言って、アーシャのお父さんは目を細めた。するとアドリアンは、おずおずと薬草の名前を書いたメモを差し出した。
「あの、このメモに書かれた薬草をお願いします」
「はいはい、少々お待ちください」
アーシャのお父さんはメモに目を通すと、慣れた手つきで薬草を選び、手際よく紙袋に詰めて、「はいどうぞ」とアドリアンに手渡した。アドリアンが礼を言って代金を渡すと、お父さんは店の奥に向かって声を上げた。
「お~い、あれ、あれを持ってきてくれ」
「あれって何ですか~?」
奥からアーシャのお母さんの声が返ってくる。
「すみません、ちょ、ちょっと待っててくださいね」
そう言い残して、お父さんは店の奥へと入っていった。しばらくして、何やら夫婦で可愛らしい口喧嘩をしながら、今度は二人揃って戻ってきた。
「まあまあ、フィアナ様。いつもありがとうございます」
お母さんが言った。
「いえ、こちらこそ。いつも貴重な薬草を分けていただいて、ありがとうございます」
「あの、これ、よかったらケトちゃんとクラちゃんにあげてください」
お母さんが紙袋を差し出した。中身はおそらく犬猫用の手作りクッキーだ。
いつだったか、アーシャにもらったクッキーをケトが喜んでいたことを伝えると、お母さんは「あれは私が教えたレシピなんですよ」と自慢していた。それ以来、お母さんもケトにクッキーをくれるようになったのだ。
二人は店の表まで見送りに出てくれて、私たちは丁寧に礼を述べて店を後にした。
「また、いただいちゃったわ」
そう言いながら、私は紙袋からお菓子を取り出した。
「ほんまこの菓子、めっちゃうまいねん」
「我は肉がよかったぞ」
「僕も食べられるかな?」
ケトが嬉しそうにお菓子を頬張り、クラトスがいつものように文句を言い、さらにアドリアンの無邪気なひと言まで重なって、私は思わず笑ってしまった。
けれど、先ほど耳にした悪い噂のことが頭から離れなかった。アーシャに関する悪い噂が街に広がる出来事は、ある事件が近づいている前兆のようなものなのだ。
――これって、もっと後に起こるはずなんだけど……。
私はゲームのシナリオが、想定よりも早く動き出しているような気がして不安だった。




