37.学園祭2
「フィアナ!?」
リオン王子が私の名を叫びながら、崩れ落ちそうになる私の体を慌てて支えていた。
「寒……い。体が……動かな……」
寒さで体がうまく動かせなかった。言葉が喉の奥で凍りつき、全身から血の気が引いていくような感覚に襲われる。
次の瞬間、パピリアが突然私たちの前へ躍り出て、鋭い声を上げた。
「これは呪詛よ!」
「呪詛だと?」
「浄化するわ!」
「できるのか?」
「私は大精霊よ。任せて、主様」
私は凍りついた喉の奥から、どうにか声を絞り出す。
「あの、魔導……具……」
「黙って! 今は浄化に集中するから!」
パピリアが私の胸に手を当てた瞬間、周囲の鱗粉が風を巻くように渦を描き始めた。その光の渦は空気を震わせながら、ゆっくりと私の体へ降り注ぐ。光は心臓の鼓動に呼応するように脈動し、少しずつ私の中の黒く冷たい何かを押し流していった。
すぐそばで、王子が息を呑む気配を感じた。
やがて光が収まると、静寂が私を包んだ。さっきまで胸を締め付けていた冷たさは消え、ようやく息ができるようになった。
私は胸元を押さえながら、リオン王子の腕の中で身じろぎした。
「リオン……殿下……」
「フィアナ、大丈夫ですか?」
「は、はい……」
突然私が倒れたことで、周囲の生徒たちも騒ぎ始めていた。魔導具研究会の生徒たちが、心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫ですか?」
彼らは何が起きたのか分からず、不安そうな表情を浮かべていた。
「はい。少し……立ち眩みがしただけですから」
その一言で、ようやくその場のざわめきは収まった。
研究会の生徒が休憩室を空けてくれたので、私たちはそこで休ませてもらうことにした。休憩室といっても、テーブルと椅子こそあるものの、魔導具の箱が積まれた小さな倉庫のような部屋だ。
しばらくして、展示室の方からアーシャの声が聞こえてきた。魔導具にかけられていた呪詛はすでにパピリアが浄化していたので、アーシャは研究会の生徒と短く言葉を交わすと足早に去っていった。
「パピリアにあんな事ができるとは驚いたな」
リオン王子が感心したように言った。
「もう! 主様は私を何だと思っているのよ!」
「すまない。まだ力が十分ではないのかと思っていた」
「それじゃあ、ただのチョウチョじゃない。姿はこんなだけど、私はもう大精霊なのよ!?」
「分かった、分かった。これからは頼りにさせてもらうよ」
二人の会話を聞きながら、私は手の中のカップを見下ろした。立ちのぼる湯気が、冷えた体を少しずつ温めてくれる。
「やっぱり、狙われたのはアーシャちゃんですよね?」
私は王子に問いかけた。
「どうでしょう。アーシャ嬢が必ず最初に魔道具に触れるという確証はありません。現に、実際に触れたのはあなたです」
「でも……」
「私はあれから、光の聖女についてずいぶん考えていたのですが、やはり、あなたが狙われてもおかしくないと思っています」
「それはありません」
私は迷いなくそう告げた。
「どうして、そう言い切れるのですか?」
リオン王子は納得がいかないというように、わずかに頬を膨らませた。
ルシフェルドは、もう私を操ることを諦めたようだったし、闇の魔導師の狙いはあくまでも光の聖女だ。王国の滅亡を阻むとされる光の聖女を、いち早く排除することこそが、闇の魔導師の目的なのだから。
だが、リオン王子は諦めずに言った。
「しかし、以前、リディエール卿に聞いたところによると――」
「リディエール卿?」
「はい。あなたの家庭教師をしておられる方だと伺っています。以前、財務卿――あなたの父君とともに王宮を訪ねてこられたことがあったのです」
「お父様ったら。リュカ先生が、我が家の家庭教師だと自慢したかったのですね」
私の言葉に、リオン王子は短く笑った。
「いえ、陛下があなたの父君に、リディエール卿が王都におられるのなら、ぜひ一度お会いしたいとおっしゃったのですよ」
「まあ、陛下が?」
「はい」
王子は笑顔で頷いたが、すぐに表情を引き締め、話を続けた。
「そのとき、私も少しお話をさせていただいたのですが、あなたは光属性の魔法も使えるそうではありませんか」
「はい。ですが、本当にほんの少しです。かすり傷を治すことくらいしかできません」
リオン王子は困ったように首を振った。
「たとえそうだとしても、です。光属性の魔法が使える者は――」
「考え過ぎですわ、リオン殿下」
「しかし……」
リオン王子は眉を寄せる。
「犯人を……捜してみましょうか……」
呪いをかけられた衝撃で、そのことがすっかり頭から抜け落ちていた。
「犯人を?」
「ケト」
私は影に呼びかけた。
「なんやねん。ワイ、今から昼寝しよう思ってたんやけど」
「呪いの痕跡を追ってほしいの」
「そんなんやったら、チョウチョの方が得意ちゃうん?」
「だからチョウチョじゃないわよ!」
「じゃあ、パピリアにお願いしてもいいかしら?」
パピリアはケトへの不満を私にぶつけるように、ふんっと横を向いた。
「パピリア。お願いできるか?」
けれど、リオン王子にそう言われると、パピリアは嬉しそうに頷いた。
「いいわよ。主様の頼みなら」
「頼りにしている」
「分かったわ。呪詛の気配はだいぶ消えてしまっているけど、何とか追ってみるわ」
パピリアはそう言って、部屋を出ていった。
パピリアが出て行ってすぐ、魔導具研究会の生徒たちが騒ぎ始めた。
「おい、魔術ショーの最後の演目が始まるぞ!」
「え、俺も見たい!」
「お前は留守番だろ」
「大丈夫だって。もう誰も来ないよ」
私たちの存在はすっかり忘れ去られているようだった。けれど、私たちも顔を見合わせ、立ち上がった。魔術ショーの最期を飾るアーシャの演目を見逃すわけにはいかない。
「フィアナ、行きましょう」
リオン王子が私の手を取った。
「!」
不意のことで、私は手を振りほどくこともできず、王子に手を引かれるまま会場へと向かった。
人であふれる会場に着いても、王子は手を離そうとしなかった。私は居たたまれない思いでその手を離そうとした。けれど、握られた指は思いのほか強く、さりげなく振りほどくことができなかった。
「あ、あの……」
私は王子に声をかける。頬が熱い。この赤みを、急いで来たせいだと誤魔化せるだろうか。
私の様子に気づいた王子が、そっと手を離した。
「すみません。つい」
どこか気まずい沈黙が落ちた。
すると、景気のいい音楽とともに魔術ショーが始まった。魔導具の光と魔術の輝きが会場を彩り、アーシャの美しい演技が観客を沸かせた。
気まずい空気はいつしか消え、私たちはその華やかな光景を並んで見つめていた。王子の横顔を盗み見ると、まるでショーの演出のひとつであるかのように、瞳に映る色とりどりの光が宝石のように煌めいていた。私はどきりとして、慌ててショーに目を戻した。
アーシャの演目が終わると、パピリアが戻ってきて、悔しそうな声を漏らした。
「呪詛の気配は学園の外で途切れていたわ。依り代を使ったのかも」
「依り代?」
「そうよ。術者が魔力を込めて作る仮の使者よ。使命を終えれば消えてしまうわ」
――式神みたいなもの?
「かなり手慣れた相手みたいよ」
報告を受けたリオン王子は、学園の警備をさらに強化すると厳しい口調で言っていた。
それにしても、ゲームのシナリオにはこんな呪詛事件はなかったはずだ。本来なら、アーシャがショーで着る衣装にフィアナが細工をして、彼女に恥をかかせようとする――もちろん失敗に終わるのだが――そんなお決まりの事件が起こるはずだった。
今回、恥をかかせるのではなく、呪詛を仕掛けるなどという過激な企みをしたのは、フィアナでなければ、いったい誰なのだろう……。




