36.学園祭1
婚約破棄の件は、国王陛下からまだ伝えられていないのだろうか。父からはまだ何の知らせもない。
あの件について、父や母から狂ったように報せが届くのではないかと身構えていたが、今のところ状況は何ひとつ変わらないままだった。やはり婚約破棄の宣言は、断罪の時に行われるのだろうか。それが逃れられない運命だとしたら……。
けれど、私の不安などあっさりと置き去りにしたまま、季節は移ろい、秋の訪れを告げる涼しい風が吹き始めていた。この爽やかな季節に開催される学園祭は、毎年多くの来訪者で賑わう。学生たちの催しに目を留めながらそぞろ歩きを楽しむ貴族たちで、学園内はひときわ華やいでいた。
中央広場では魔道具で彩られた光の飾りが煌めき、訪れた人々の目を楽しませている。私たちもまた、その賑わいを満喫しようと広場に集まっていた。
「今年は去年よりも装飾が派手だな」
「去年も来てたのか? ユーリスは」
「ああ、去年は兄上の催し物が見たくてね」
「催し物?」
アンリとユーリスが言葉を交わしていると人混みの中から、数人の生徒会役員を連れたリオン王子が現れた。王子は役員の一人だが、生徒会長ではない。政務が忙しいからだろう。生徒会長は王子の側近の一人が務めている。
「去年は私のクラスが魔術ショーをしていたからな」
通りかかったリオン王子が二人に声をかけた。
「兄上!」
リオン王子とともにいた生徒たちは、王子が頷くと軽く会釈をし、そのまま先へと歩いていった。だが、その中の二人が去り際に私へちらりと視線を向けた。気のせいかもしれないが、睨まれたような気がした。
「はい。兄上の演目には感動しました。それで、今年は僕らのクラスで魔術ショーをすることになったので、少し緊張しています」
「今日のユーリス殿下とエミール様の演目は、私たちのクラスのメインの出し物なんですよ」
アーシャが二人を見つめながら、自分のことのように誇らしげに言った。
「いや、最後を飾るのはアーシャだよ。光魔法は見た目がとても綺麗だし、見る者を圧倒するからね」
「そんなことありません! エミール様の攻撃魔法は芸術です。見た目なんて関係ありません」
健気に言い切るアーシャに、私は思わず口を挟んだ。
「いやいや、アーシャちゃん。今はショーの話だからね? 見た目はすごく大事なのよ。それじゃ全然フォローになってないから」
「ええ!? そ、そうなんですか? す、すみません、」
アーシャは慌ててエミールに頭を下げた。
エミールは苦笑しながらそれを受け流し、リオン王子へ向き直った。
「王太子殿下にもご覧いただけたら光栄です」
「もちろん、楽しみにしています」
リオン王子がそう言うと、アンリも負けじと胸を張る。
「うちのクラスだって負けてないぜ。男装喫茶は朝から行列だったからな。なあ、フィアナ」
「そ、そうですわね。ぜひリオン殿下も来て――いえ、いらしてみてくださいませ」
突然話を振られた私は慌てながらも、やっとの笑顔でそう答えた。私が急に丁寧な口調になったのを「『くださいませ』だってよ」とアンリはからかった。
けれど私は……リオン王子に婚約破棄を告げられてから、どう接すればいいのか分からなくなっていた。今まで通り、普通に接するべきなのか、それとも、婚約破棄された以上、身の程を弁えた態度を取るべきなのか。以前のように王太子殿下と呼ぶべきなのか、それともリオン殿下と呼び続けるべきなのか。私はもう、何が普通なのか分からなくなっていた。
「そうですね。フィアナの男装、ぜひ見てみたいな」
リオン王子はアンリをちらりと見てから、穏やかに微笑んだ。
そのとき、魔術ショーの会場から歓声と拍手が沸き起こった。
アーシャがリオン王子に軽く頭を下げて言う。
「王太子殿下、フィアナ様、私たちは準備がありますので、これで失礼いたしますね」
「そうだった。急ごう、エミール」
ユーリスも慌ててエミールに声をかける。
「そうですね。アンリも、大道具の手伝いをしてださい」
「はっ? なんで俺まで――」
「いいから、行きますよ!」
アンリはエミールに腕を引かれて、半ば強制的に連行されていった。
残された私は「じゃ、じゃあ私も」と慌ててみんなを追いかけようとしたが、
「フィアナ、これから何か予定はありますか?」
とリオン王子に呼び止められてしまった。
「いえ、あの……みんなで学園祭を見て回ろうと、言っていたのですけれど……」
「きっと、気を使ってくれたのでしょう」
「……?」
「フィアナ、私は見たいところがあるのですが、よければ、少し付き合っていただけませんか?」
「はい……。あの……どちらへ?」
「魔導具研究会です」
「魔導具……。お好きなんですか?」
「はい。古い魔導具を見るのが好きなんです」
私たちは並んで魔導具研究会の展示室へと歩き出した。
魔導具研究会は研究棟の一階にあった。私たちが中へ足を踏み入れると、ひんやりとした空気と埃っぽい匂いが鼻をくすぐった。棚には古代文字が刻まれた、用途の分からない古びた魔導具がずらりと展示されていた。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
「これは古王国時代の魔導具ですね」
「古王国?」
「かつてエウラシア大陸全土を治めていたエウレシア古王国のことです。古王国が滅びたあと、大陸にはいくつもの国が興りました。マグナリア王国もそのひとつです。そして、古王国の後継を自称しているのが、今のファルシア正統王国です。もっとも……正統という古い価値観に縛られ過ぎて、身動きができないでいるように私には見えますが――ああ、すみません。こんな話は退屈でしたね」
「いいえ。兄が正統王国の王都は、とても美しい都だったと言っていましたわ」
「そうですね。尖塔の立ち並ぶ、幻想的な美しい都です」
ここでリオン王子が何かを思い出したようだった。
「実はあなたに正統王国製の美しい、その、エルフ細工なのですが――」
そう王子が言いかけたときだった。
「アーシャ嬢が借りに来るはずの魔道具はどこに置いた?」
展示室の奥から、研究会の生徒たちの慌てた声が聞こえてきた。
「誰か動かしたんじゃないか?」
「ここに置いたはずなんだが……」
「ああ、……ここにあるぞ。お前がここに置いたんじゃないのか?」
アーシャの名前が聞こえてきて、私たちは思わず顔を見合わせた。声のした方へ目を向けると、展示室の入口近くに、まるで展示品であるかのように小箱が置かれていた。
「そうか、まあいいや、誰かが置いたんだろう」
「いいのか? 展示品でもないのにこんなところに置いて」
「アーシャ嬢がすぐに取りに来ると言っていたから、そこでいいだろう」
その会話を耳にして、私はアーシャが魔術ショーの準備で忙しそうにしていたことを思い出した。あの様子では、ここまで取りに来るのも大変だろう。
「それなら、私が持っていきますわ」
そう言って、中の魔道具を確認するため、私は小箱の蓋を開けた。
「これは、アーシャ様に渡す魔道具に……間違いありま――」
言い終える前に、ぞわりと冷たいものが腕を這い上がった。
「あっ!?」
次の瞬間、目に見えない何かが私の中へ流れ込んできた。体から力が抜けていく。力の入らなくなった手から魔道具が零れ落ち、ごとりと音を立てて床を転がった。
「フィアナ!?」




