35.闇の魔導師
次に意識を取り戻したとき、私はベッドの中にいた。
――私……どうしてベッドに?
ぼんやりしたまま体を起こすと、遠くでリオン王子の声がした。
「闇の魔導師がどんな復讐を企てているのか、精霊王は何も言っていなかったのか?」
「いくら精霊王様でも、そこまでは分からないわよ」
「ワイが聞いたんは、光の聖女ちゅうんを狙ってくるらしいで」
扉の向こうから、パピリアとケトの声も聞こえてきた。
――ここは……リオン王子の寝室だ!?
私は膝に掛けられていた深い藍色のブランケットを押しのけ、ベッドから立ち上がった。
「精霊王様が闇の魔導師を浄化するために張った結界は、まだ効いているわ。だから、その間は邪悪な思念体も王国には入り込めないはずよ」
「せやせや、次の建国祭で、建国からちょうど千年やろ?」
「ああ。闇の魔導師を討ち、光の聖女を称えるために始まったのが建国祭だ。来年は、建国千年を祝う千年祭が催される」
「でも、その結界は千年を境に力が弱まり始めるらしいの」
「精霊王も『千年祭の時は気を付けなさい』て言うとったで」
「それでは……結界が弱まるその時を狙って、闇の魔導師が動き出す……そういうことか」
「バカネコ! 精霊王様にはちゃんと『様』を付けなさいよ!」
「なんでワイだけ言われんねん。こいつも『様』なんか付けてへんかったやろ!」
「主様はいいのよ!」
「二人とも、やめないか。フィアナが起きてしまうだろう」
「ねえ、パピリア――」
私はそっと部屋の扉を開けた。
「フィアナ、大丈夫ですか?」
リオン王子はソファから立ち上がると、慌てた様子で私に駆け寄ってきた。
「はい……」
私は駆け寄る王子の目を見ることもできずに俯いた。王子の前で気を失うなんて……。そんな姿を見られたと思うだけで、頬が熱くなった。
「わたくしは……大丈夫です。お話は、理解いたしましたわ」
婚約破棄の件は、いずれ正式に国王陛下から父へ伝えられるだろう。
――でも大丈夫。婚約破棄がすべての終わりではない。
私はぎゅっと服の裾をつまんだ。
さっきは取り乱してしまったけれど、私は今まで通り、生き延びることだけを考える。私は、まるで何事もなかったかのように表情を整え、落ち着いた口調で言葉を続けた。
「その結界をもう一度、その……」
だが、リオン王子はそんな私の動揺など気づく様子もなく、私の手を取ってソファへと導いた。
「こちらへ」
「いえ、もう大丈夫です」
私はそっとその手を離し、自ら歩いてソファへ腰を下ろした。
「精霊王様にもう一度結界を張っていただくことはできないの?」
「精霊王様には、もうそれほどの力が残っていないの。そろそろ交代の時期だから……」
「交代?」
「次の精霊王を選ばなくてはいけないのよ」
「じゃあ、あの大精霊の力……えっと」
言葉を探していると、パピリアが口を開く。
「世界を正しき姿へ導くために授かった聖なる力、よ。覚えなさいよ、頭悪いの?」
大精霊になっても口の悪さはそのままだ。けれど今は、その遠慮のない物言いがありがたかった。
「それ! パピリアは大精霊になったのだから、その力を精霊王様みたいに使えないの?」
パピリアに乗せられるように、私の言葉にも元気が戻ってきた。
「使えないわよ……。だって、主様と契約を交わしたの、ついこの間なんですもの」
「精霊の泉に行けばできるってやつ?」
「違うわよ! 訓練がいるのよ、何年も! 来年の建国祭なんて間に合わないわ!」
「まあいい。闇の魔導師が現れる時が分かっただけでも進展だ。敵の動きが読めるなら、こちらにも備えようがあるだろう」
確かに、ゲームのクライマックスは建国祭の日だった。闇の魔導師が建国祭を狙ってきた背景に、こんな事情があったとは知らなかった。
「備えるというなら、アーシャちゃんを守らなくてはいけま――」
「アーシャ嬢が光の聖女と噂されていることは知っています」
私の言葉を遮り、リオン王子が口を開いた。
「しかし、先日大精霊になったパピリアの姿を見れば、光の聖女がパピリアだと――」
「でも」
今度は私が王子の言葉を遮った。
「それを知っているのは私たちだけです。噂だとしても、闇の魔導師が狙うのは、やはりアーシャちゃん……」
――いや、パピリアの登場によってシナリオが変わっていたとしたら……?
「しかし、相手は闇の魔導師です。そんな噂程度のことで動くとは思えません」
私が言い淀んでいると、リオン王子が憮然とした表情で口を開いた。
「確かにそうですけれど……。でも、闇の魔導師が恐れているのは光の聖女という称号ではなく、その力です」
私は言葉を選びながら続けた。
「パピリアは大精霊になりました。でも、その力はまだ十分ではありません」
「なによ! 精霊の泉に行けば、私だって今よりずっと強くなれるんだから!」
パピリアが怒ったように鼻を鳴らした。
「それは分かってるわ」
私はパピリアを宥め、言葉を続ける。
「だけど今は、闇の魔導師にとって脅威なのは、やっぱりその称号にふさわしい力を持っているアーシャちゃんです。アーシャちゃんを守るためにも、みんなには少しでも力をつけておいてほしいのですが……」
「どういうことですか?」
「ほんなら、あいつらにはもっと強なってもらわんといかんなぁ」
「あいつらとは?」
リオン王子はわずかに眉をひそめた。まるで互いの考えが分かっているかのように話を進める私とケトへ、どこか納得のいかない様子で視線を向ける。
「それは……アーシャちゃんと力を合わせて戦う……仲間」
闇の魔導師を倒すためのラストダンジョンには、アーシャ以外にユーリス、アンリ、エミール、リオン、レオン、アドリアンの中から三人を選んで挑まなければならない。
――今回、レオンとアドリアンは好感度が低そうだから……残るのは。
「ユーリス、アンリ、エミール、そして……リオン殿下。それにもちろんアーシャちゃんです」
「せやなぁ。できれば地下迷宮の六十階層まで行けるくらいの実力はつけてほしいわ」
「六十階層!?……それは、なかなか厳しいな」
「何かあったときのために、クラトスを護衛につけます」
「……分かりました。闇の魔導師を討つためにはそれぐらいの力がないといけませんね」
「ありがとうございます。ケトもクラトスも、戦闘訓練の先生としては優秀です。鬼教官ですけれど」
「嬢ちゃんは、まったく教えがいのあらへん生徒やったけどな」
「私のことは関係ないでしょ!」
「ではケト、よろしく頼むよ」
「ええで。任せとき。まとめて面倒見たるわ」
こうしてやっと、闇の魔導師を倒すための準備が始まろうとしていた。
***(小話)以下三人称視点になります
告白のあと、突然倒れたフィアナを抱え、リオンは部屋の中を右往左往していた。
「ち、治癒師を……いや、まず、回復薬か!?」
「なに慌てとんねん」
ケトが呆れたように尻尾を揺らす。
「嬢ちゃんはただ寝とるだけやろ」
「そう……なのか?」
「昨日はガキんちょの錬金術に付きおうてて、寝てへんかったさかいな」
「そうか……。いや、で、では、どうすればいい?」
「どうって、ベッドにでも寝かしといたらええやろ」
「ベッド! そ、それは……その、あれは私のベッドだ」
「なんや、ケチ臭い男やな。ほんならソファでもええんちゃうか」
「いや、そういう意味ではなく……」
「なんや? 顔、赤いで? お前も具合悪いんちゃう?」
「そ、そうだな……そういうことにすれば……使用人たちに妙な誤解をされずに済むか。いや、しかし……」
「何をごちゃごちゃ言うとんねん。はよどないかせぇや!」
「わ、分かった。とにかくベッドに寝かせよう」
そう言いながら、リオンは腕の中のフィアナをそっと抱き直した。
ガラス細工を扱うようにフィアナをベッドへ横たえると、リオンはようやく安堵したように小さく息を吐いた。そして、床に転がった指輪と小箱を拾い上げた。リオンはそれらを掌の上でしばらく見つめたあと、深い溜息をひとつつき、机の引き出しにそっとしまい込んだ。




