34.建国の物語
新学期が始まると、宿題の提出に追われ、私の日常は一気に慌ただしくなった。夏休みの間、王都に遊びに来ていた母に買い物へ連れ回されたのがまずかった。
「サボってただけやろ」
ケトにはそう言われて怒られたが。
大切な話があるとリオン王子に呼び出されたのは、そんなある日のことだった。
そういえば、兄を迎えに行ったあの日も、王子は話したいことがあると言っていた。だが、パピリアが大精霊になるという予想外の出来事が起こり、その話はうやむやになったままだった。
人に聞かれたくない大切な話だというので、私は王宮にあるリオン王子の私室へ通された。王子の私室に招かれるのは初めてだったせいか、執事はお茶を置いて、どこか含みのある笑みを残して出ていった。
それを渋い顔で見ていたリオン王子だったが、咳払いをしてから口を開いた。
「フィアナは建国の物語を知っていますか?」
そんな前置きをして王子は話し始めた。
建国当初のマグナリア王国は、魔物が跋扈し、土地の痩せた貧しい国だったという。そこで初代国王と大魔導師は力を合わせ、国の立て直しに乗り出した。国王は魔法学校を創設して国民に魔物から身を守る術を広め、大魔導師は土地を豊かにする研究を進めた。そうして王国は少しずつではあるが豊かになっていったのだという。
しかし、あるとき大魔導師は最愛の妻を亡くし、その悲しみから、かつて世界を歪め、瘴気を生んだと伝えられる禁忌の魔法――蘇生魔法に手を伸ばしてしまった。彼は、のちに人々が「闇の魔導師」と呼ぶことになる闇の魔術の探求へと堕ちてしまったのだ。そこで建国王は光の聖女と力を合わせ、彼を討ち滅ぼして国民と世界を守ったと言い伝えられていた。
「光の聖女については、これまで詳しいことは何ひとつ伝えられていませんでした。ですが、パピリアの話によれば、光の聖女とは今の精霊王のことだというのです」
「そうなのですか?」
「それに、この話には続きがあるの。ここからは精霊王様だけが知っているお話よ」
パピリアはリオン王子の話を引き取り、神妙な面持ちで語り始めた。
大魔導師は倒される寸前、自らを封印して生き延びていたのだという。そのことを精霊王も建国王も知らなかった。ただ、封印されたまま長い年月が経ち、大魔導師の肉体は失われてしまったが、オルディマールへの復讐心だけは思念体となって残っていたというのだ。
「それまでに、闇の魔導師は自分で封印を解くことはなかったの?」
私はふと疑問に思って尋ねた。
「解けなかったのよ」
パピリアがあっさりと答える。
「どうして? 自分で、封印の術を施したんでしょ?」
「力の加減、間違えてもうたんちゃうんか」
ケトが呆れたように口を挟んだ。
「自分では解けない封印をしたってこと?」
「死ぬ死ぬ思て、慌ててたんちゃうやろか? 知らんけど」
「なんだか間抜けな話ね」
私は呆れて肩をすくめた。
「そんなことより、大切なのはここからよ」
パピリアは話を続けた。
そして長い時を経て、星々の巡りはついに封印を解く鍵となった。闇の魔導師の思念体がこの世界へと解き放たれてしまった。今、その禍々しい怨念は帝国内に潜み、復讐の時を待ちながら力を蓄えているのだという。
精霊王は星読みの力で封印が解けたことを知り、同時に、精霊の印を持つ者――つまり私の存在を感じ取った。そこですぐに、警告を届けるため、パピリアを遣わしたのだそうだ。
「じゃあ、パピリアは私を探して、この国に来たの?」
「どうやら、そうらしいです。それなのに、私が余計なことをしてしまって」
リオン王子が申し訳なさそうに答えた。
「ただ、闇の魔導師の封印が解けるとき、星の巡りが一瞬だけ乱れたそうよ。特別な動きをする星が現れたって。その星がこの世界に変化をもたらすかもしれないとも言っていたわ」
パピリアの話を聞き終えた私は、大きく息を吐いた。知らず知らずのうちに息を詰めていたらしい。ふと視線を感じて顔を上げると、ケトがじっとこちらを見ていた。まるで、特別な動きをしたというその星が、私をこの世界へ導いたのではないかと訴えるかのようだった。
「……フィアナ、実は……」
物思いに沈みかけていた私を、リオン王子の声が引き戻した。
「パピリアが知らせてくれたこの話を、フィアナにも話すべきどうか……私はずっと悩んでいました」
リオン王子は、いつの間にか私の傍らに立っていた。手には小さな箱が握られている。その手は心なしか震えているように見えた。
「オルディマール公がいない今、闇の魔導師はきっと王家に復讐しようとするでしょう。そうなれば、きっとフィアナまで危険な目に遭わせてしまいます」
私も椅子から立ち上がり、そっとリオン王子を見上げた。王子の表情には、どこか不安げな色が浮かんでいる。
「でも……闇の魔導師は王家だけでなく、この国を滅ぼそうとするのでは……?」
私はおずおずとそう告げた。ゲームではそういう話だったはずだ。
「そうであれば……なおさらです」
リオン王子は小さな箱を握る手に力を込めた。その表情には苦悩の色が浮かんでいる。
「この国の民は、王家の者が命と引き換えにしてでも守るつもりです。父上も同じお考えです。だからこそ、あなたとの婚約も解消するべきだと――」
――え?
頭の中で「婚約破棄」という言葉が駆け巡った。
――は、破棄……? 今ここで、婚約破棄なの!?
「あなたを王家の問題に巻き込まないために、」
――それは……だって、まだ先の話のはず。
「そう決断しなければいけないということは、」
―― いいえ、遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた。
「私にも分かっています。ですが……」
――免れられない運命だと覚悟していた……。はずなのに……嫌だ、どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。
「あなたを手放したくないという気持ちの方が強くて」
――だって、私は……生き延びることだけを考えて生きてきた。
「……婚約を解消してしまったら、きっとあなたは……あの、男に……いえ、なんでもありません」
――そう思ってきたのに。本当に私、どうしたの?……胸が……苦しい。
「もちろん、私の身勝手だということは分かっています。それでも、私はあなたに傍にいてほしい。だから、婚約解消の代わりに、この指輪をあなたに――」
「やっぱり、婚約破棄……なのですね」
「いえ、そうではなく……」
リオン王子はしばらく考えてから、また口を開いた。
「……フィアナは……そうしたいのですか?」
――な、なんだか、息ができない。もしかして、闇の魔導師に攻撃されている……?
「私はあなたを愛しています。ですが……あなたがそうしたいと言うなら――フィアナ? フィアナ! しっかりしてください。フィアナ!」
私はいつのまにか意識を失っていた。




