3.頼れる相棒
私が今、最優先でやらなければいけない事は、兄が復讐に戻ってくる未来を変えることだった。兄がいると思われる使用人棟は西の回廊を渡った先にある。三歳児の足には少し遠かったが何とか辿り着き、私は扉を開けた。そこは私の誕生パーティーのせいで戦場のようだった。廊下を走る足音が絶えず、誰かが叫ぶ声が聞こえる。
「あ、あの……」
「ま、まあ! お嬢様!」
私が声をかけると、陶器の皿を抱えた若い使用人が、それを危うく落としそうになりながら声を上げた。すると周囲の使用人たちが一斉に振り返る。
「あの、ごめんなさい……邪魔してしまって」
私は両手を合わせて小さく首を傾げる。
「ど、どうされましたお嬢様。こ、こちらは今、大変危険でございますので――」
「お兄様に会いたいの!」
その瞬間、廊下の空気が凍りついた。
「お嬢様……どうしてそれを……?」
若い使用人が言い淀む。
「お母さまには内緒するから! お願い」
そう告げると若い使用人ははっと目を見開き、そばにいた年配の使用人と視線を交わした。やがて年配の使用人が静かに頷いた。
「分かりました。どうぞこちらへ」
そう言って年配の使用人は廊下の奥にある小さな部屋へと私を案内した。
三年も一緒に暮らしていたというのに、私は兄に会ったことがなかった。兄の居場所をそれとなく探って、やっと使用人棟にいることが分かったのだ。本来なら公爵家の跡取りとして優雅に暮らしていてもおかしくないのに、使用人棟にいるということは、アレク親子は私の母から酷い仕打ちを受けてきたのだろう。
私も恨まれているだろうかと思い、ふと扉の前で躊躇していると、気を利かせた使用人がそっと扉を開けた。
「ハンナ。お坊ちゃま。お嬢様がおいでになりましたよ」
――アレクの母はハンナというのか。
明かり用の魔石は高価なため使用人棟では使われず、そこは小さなろうそくがひとつ灯っているだけの薄暗い部屋だった。兄とハンナはそこで黙々と荷造りをしていた。二人は父からもらったと思われる新しい衣服を丁寧に畳み、古びた鞄に詰めていた。
兄とハンナは明日の朝、この屋敷を出ていく。ゲームの説明では、その道中で野盗に襲われ、ハンナの命と財産を奪われ、兄は行方知れずになってしまう。
そこで私が考えた計画は、二人に「不屈の耳飾り」を身につけさせ、逃げ延びてもらうというものだった。ただし「不屈の耳飾り」は即死を防ぐだけの効果しかなく、これで確実に逃げ切れるかどうかは分からない。本当は「身代わりの護符」のように死を逃れられる、もっと強力なアイテムを用意しておきたかった。けれど三歳の私には、これを用意するのが精一杯だった。
荷造りの手を止め、兄とハンナが振り返る。
「フィアナ様?」
ゲームの中で私と母を殺しに戻ってきた兄アレクは――いや、名前を変えた復讐者レオンは、暗く冷たい目をしていた。長い苦難を物語るように髪はシルバーグレイへと変わり果て、顔には無数の傷跡が刻まれていた。けれど今、目の前にいる兄は淡い栗色の髪に亜麻色の瞳が優しく、まだ「お坊ちゃま」と呼ばれるにふさわしい少年の顔をしている。
「ごめんなさい……あの、アレク、お兄様?」
「どうして……それを?」
ハンナが言った。
「使用人たちの噂話を聞いてしまったのかしら? ご聡明なお嬢様だと聞いていますから」
まだ後ろに控えていた年配の使用人が言った。
「あの……これを……」
私は両手で握りしめていた「不屈の耳飾り」を差し出した。
「これは?」
兄とハンナが私の前に来て、視線を合わせた。
「二人にあげるの」
「僕と母さんに?」
私は大きく頷いた。
「今、着けてほしいの」
兄は一瞬目を見開き、そしてふっと笑った。小さな子供の我儘か気まぐれだと思ったのだろうか。
「分かりました」
兄は耳飾りの一つを取り、ハンナの耳にかけた。続けて、もう片方を自分の耳にかけて言う。
「これでいいですか?」
兄は私に微笑みかけ、耳飾りをそっと揺らした。耳飾りの宝石が小さく揺れ、ろうそくの光を反射して煌めいた。
「ずっと着けててね、お兄様」
「分かりました、お嬢様」
今の私にはこれくらいのことしかできないけれど、これで兄とハンナの命が助かってくれたら、私の未来も少しは変わる――と思いたい。
「あと……何か食べ物をいただけます? できれば魚料理を」
***
私はベッドに腰を下ろし、ケットシーが魚のパイ包みを食べているのをぼんやり眺めていた。舞踏会の残り物とは思えないほどおいしそうだ。
ただ、耳飾りを着けただけで本当に大丈夫なのだろうかと、今さらながらにやきもきしていた。二人が野盗に襲われる場所が分かれば、さりげなく忠告もしてあげられたけれど、ゲームではそんなに細かいことまでは語られていなかった。
私はベッドの上で、膝にそっと額を押し付けた。
「なにソワソワしてんねん?」
ケットシーは先ほどの姿とは打って変わって、今は可愛らしい黒猫の姿になっていた。
「明日の朝、私の兄が野盗に襲われるんだけど……」
「なんで分かるん?」
ケトが不思議そうに尋ねた。
「それは……知ってるから……かな?」
「なんやそれ」
「一応、不屈の耳飾りは渡してあるんだけど……心配で」
「お前さあ、何のためにワイがおると思てんねん」
「どういうこと?」
「ワイはお前の従魔やぞ?」
「そう……だよね?」
「お前、ワイのこと馬鹿にしとんちゃうんか? 命令さえあればどこの誰でも守ったるわ」
「そ、そうなの?」
従魔は戦闘が始まったときにだけ使えるものだと思っていた。
「そっか。ケイティ、それじゃあ、お願いがあるんだけど!」
「せやから、そのケイティって呼ぶんやめろや!」
「可愛いと思ったんだけどな。じゃあそのリュ、なんだっけ?」
「もうええわ! 嬢ちゃんの好きな名前つけさしたるわ」
「じゃあ……ケトリ!」
「却下や!」
「ええ? 私の好きな名前でいいって言ったじゃない!」
「うっさいねん!」
「じゃあ、ケーシー」
「却下」
「トッシー」
「おまえ本気で考えとるんか?」
そう言ってケットシーが牙をむいた。
「ひぃ~、食べないで」
「本気で食うたるぞ!」




