29.王墓参拝
夏休みも終わりに近づき、兄の帰還ももう間もなくという頃だった。リオン王子から王墓への拝礼に同行してほしいとの誘いを受けた。
迎えに来た馬車に乗って王宮へ向かうと、そこには、磨き上げられた白い車体に金の縁取りが施された王族専用の馬車が準備を整えて待っていた。
馬車の周囲を近衛騎士が固め、その外側には軽騎兵が整然と並んでいた。行列の先頭に立つ重騎士たちの鎧は、暑苦しいほどに夏の日差しを反射している。その物々しさに、私は思わずたじろいだ。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
「は、はい」
従者は私の手を取り、丁寧にその立派な馬車へと案内してくれた。続いてクラトスも乗り込もうとしたが、従者に止められてしまった。不満げに吠えるクラトスを宥め、私は馬車の中から従者に声をかけた。
「王太子殿下から許可が下りていると、セバス様から伺っておりますが」
セバスとはリオン王子付きの執事のことだ。私がそう告げると、従者は一瞬目を見開いた。まるで、犬を王族の馬車に乗せるなど聞いたこともないと言いたげな顔だった。だがやがて、「失礼いたしました」と頭を下げ、クラトスを制していた手を静かに下ろした。
私が乗り込んでしばらくすると、馬車の扉が開いた。セバスの「いってらっしゃいませ」という見送りの言葉を背に、リオン王子が馬車に乗り込んできた。
「これがクラトスですか。来てくれてありがとう」
王子はクラトスを見るなり表情を和らげ、向かいの席に腰を下ろした。
「出発!」
騎士の号令とともに、馬車は静かに動き出した。
やがて規則正しい馬蹄の音が心地よく耳に届き、私は口を開いた。
「……すごい人数ですね」
護衛の多さに驚いてそう告げると、リオン王子は苦笑いを浮かべた。
「王墓への参拝は王太子としての務めですから。それに、私が外に出るときは、だいたいこんな感じです」
そう言って王子は微笑んだが、その表情にはどこか諦めの色が浮かんでいた。王太子として背負う重圧は、きっと計り知れないものなのだろう。
「その……迷惑でしたか? こんなことに誘ってしまって」
「いえ、とんでもございませんわ。王太子殿下のお望みのままに」
「お望みのままに……ですか」
リオン王子がそれきり何も言わずに黙ってしまったので、私は、何か失礼なことを言ってしまったのではないかとそわそわした。「迷惑でしたか」なんて聞かれて、ほかにどんな言葉を返せばよかったというのだろう。
「あ、あの……ええっと。その……本当に誘っていただけて、とても嬉しかったです」
気まずい空気を払おうと、私は必死に言葉を探した。
「ほら、その……王墓って響きが、なんだかとても素敵ではないですか? こ、こんなことを言ったら、不謹慎かもしれませんが、……神秘的というか、ダンジョンっぽいというか、いえあの、わ、悪い意味ではなくて、……す、すみません。こんなことを……とても失礼でしたわね」
だんだん自分でも何を言っているのか分からなくなってきて、最後の方はしゅんとして小声になってしまった。
だが、リオン王子はそんな私を見つめて優しく笑った。
「少々無理なお願いだったのではないかと心配していましたが、楽しんでいただけると嬉しいです」
馬車が速度を落とし始めた頃、窓の外から騎士の声が届いた。
「まもなく到着いたします」
そして、馬車が王墓へ続く参道の前で静かに止まった。窓の外を覗くと、参道の先に巨大な石造りの王墓が聳え立っていた。
騎士たちが参道の両脇に並んで配置につくと、従者が扉を開け、私たちは馬車を降りた。参道には石像が並び、静かにこちらを見下ろしている。翼を広げた聖獣や剣を掲げた騎士の像は、どれも今にも動き出しそうなほど迫力があった。
「すごい。なんだか、ダンジョンみたい」
思わず漏れた言葉に、リオン王子が嬉しそうに笑った。
「この参道は歴代の守護騎士と聖獣を象った石像で守られています。聖獣にはそれぞれ意味があります。グリフォンは守護、ユニコーンは生命」
私は王子の話に耳を傾けた。
「フェニックスは繁栄、そしてドラゴンは智慧を象徴しています。この四体はそれぞれ特定の方角を守護する存在でもありますが――」
王子は何度も私の表情を確かめるように視線を寄こし、私がその話に引き込まれているのを確認すると、満足したように説明を続けた。
参道を抜けると、聳え立つ巨大な王墓の扉の前へと辿り着いた。王子が首から下げた魔石のペンダントをかざすと、重厚な扉がゆっくりと開いた。そして、中に足を踏み入れた途端、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
「ここは記憶の回廊です。歴代の王の肖像が刻まれたレリーフが飾られています」
長い廊下はまっすぐに続き、壁一面に精巧なレリーフが並んでいた。リオン王子は歴代の王の名を読み上げながら、ひとつずつ丁寧に眺めて歩いた。回廊の奥まで進むと、王子は最後のレリーフの前で足を止めた。
「これが建国王、オルディマール公です」
その名を口にすると、リオン王子はしばらく黙ってレリーフを見つめていた。私も隣で眺めていたが、ふとあることに気づいた。
「どことなく、王太子殿下に似ておられるような……」
「え?」
リオン王子がはっとしたようにこちらを向いた。
「あ、いえ、何となく、ですけれど……」
「……そう、ですか?」
王子はわずかに目を見開いたまま、改めてレリーフをじっと見つめた。
けれど、気を取り直したように王子は私へ向き直り、静かに告げた。
「ここから先は祭壇の間です」
大理石で築かれた大きなアーチが、回廊の先に口を開けていた。その奥には広々とした空間が広がり、中央には荘厳な祭壇が据えられている。
「少しの間、ここで待っていてください」
その声は、いつもよりわずかに緊張を帯びていた。
私は小さく頷く。
王子は従者から香炉を受け取ると、祭壇の間へと歩みを進めた。ここから先は王族しか立ち入れないのだろうか。王子のあとに続こうとする者は誰もいなかった。
リオン王子はひとり祭壇の前へ進み、静かに膝をつくと、手にした香炉をそっと置いた。
けれど、リオン王子が祭壇の前で深く頭を垂れたその瞬間、ふっとその姿が掻き消えてしまった。
「え?」
私は思わず目を見開き、周囲を見回した。しかし、王子の姿はどこにも見当たらない。
騎士たちも突然の出来事に息を呑み、その場が凍りついた。
「で、殿下!」
一人の騎士が声を上げた途端、全員が我に返ったように動き出し、一気にその場が騒然となった。
「王太子殿下が消えたぞ!」
「どうした、何があった!」
「早く確認しろ!」
騎士たちは混乱し、祭壇の周囲を走り回る。
私もしばらく唖然としていたが、慌てて馬車で待っていたクラトスを呼んだ。
「クラトス!」
クラトスは騎士たちの足元をすり抜け、飛ぶように私の元へ駆けてきた。
「王太子殿下が消えちゃったの。探して、クラトス!」
私は声を震わせながら、クラトスに訴えた。
「ふむ……この空気、スプライトバグが満ちているな。皆が幻影に踊らされているようだ」
「スプライトバグですって!」
スプライトバグは害のない魔物で、光の魔石に群がる習性がある。よく見ると、祭壇には装飾として光の魔石が大量に嵌め込まれていた。
「スプライトクイーンは……いる?」
スプライトバグだけなら害はない。だが、スプライトクイーンが近くにいると、スプライトバグを操って、人に甘美な幻を見せるのだ。一度その幻影に囚われてしまうと、人は現実を忘れたまま餓死してしまう。
「うむ、気配はあるようだ」
「見つけられる?」
「我を誰だと思っている」
クラトスが鼻で笑った。
そのとき、突然パピリアが現れ、私の袖をぎゅっと引っ張った。
「主様を助けて!」
「パピリア!」
「私の魔力じゃどうにもできないのよ!」
「王太子殿下はどこ?」
「こっちよ!」
パピリアは、私たちを祭壇の裏へと連れていった。そこには薄暗く細い通路が続いていた。
私たちは急いでその通路に向かったが、一歩足を踏み入れた瞬間、景色が一変した。
薄暗い通路は消え失せ、眩しい陽光が頭上から降り注いだ。砂色の壁に囲まれた街並みが、まるでアラビアンナイトの絵本から抜け出してきたかのように広がっていた。道にはターバンを巻いた人々が行き交い、細い路地の向こうには帆船がいくつも停泊する青い海が見えた。
「ここは、どこ……?」
「これはスプライトクイーンが見せている幻影だ」
「これが……幻影?」
路地には香辛料の匂いが漂い、商人たちの呼び声やラクダの鈴の音が聞こえた。さらに、海から吹き付ける潮風まで感じられる。五感のすべてが本物だと訴えているようで、私はクラトスの言葉を信じられない思いで聞いていた。




