25.精霊の泉まで~前日譚~
「相変わらず客の少ない店だな」
店の扉を開けるなり、レオン兄様が呟いた。
商店街の大通りから少し入った路地にあるヴィオの錬金工房は、今日も相変わらずひっそりとしていた。名の知れた店だというのに、不愛想な店主のせいで客足はいつもまばらだ。
「お~い、ヴィオ、いるか~?」
兄が店の奥に向かって声を張り上げると、奥から店主が姿を現した。相変わらず眠たげな目をしている。
だが、私とアドリアン、さらにリュカ先生や兄まで連れて大勢で押しかけたせいか、私たちを見るなりヴィオは面倒くさそうに顔をしかめた。
「おいおい、いったい何の騒ぎだ?」
「今日はヴィオ君に大切な依頼があってね」
リュカ先生がにっこり告げると、ヴィオは先生をチラリと見て短く舌打ちした。
「あんた、また面倒な依頼を持ってきたな?」
「うふふ、分かっちゃったかな?」
リュカ先生が楽しそうに笑った。
私たちは店の奥に通された。薬草や錬金術の材料が所狭しと置かれている。作業台のまわりに椅子や荷箱を並べて、私たちはそこに腰を下ろした。
「へぇ、君がラヴァン兄さんの言ってた黒猫だったんだね」
さっきまで面倒くさそうにしていたヴィオが、今はすっかり頬を緩ませ、作業部屋の隅でケトにミルクをあげていた。
「そないべたべた触んなや。ほんまラヴァンにそっくりやな」
ケトは頭を振って嫌がっている。
「この間はたくさん触らせてくれたじゃないか」
「ケトは食べ物をくれる人には猫を被りますからね」
アドリアンが笑って言うと、
「猫だけに?……なんて」
と兄も楽しそうに返していた。
アドリアンとレオン兄様が仲良くしている様子は微笑ましい。私がつい兄に生暖かい笑顔を向けていると、兄はそれに気づいて咳払いをし、ヴィオへ向き直った。
「そ、それよりヴィオ、お前、結構すごい錬金術師なんだって? この先生に聞いてびっくりしたよ」
「レオンが公爵家と繋がりがあることの方がびっくりだよ」
ヴィオがケトを愛でているあいだ、私が公爵令嬢であることも含めて、これまでの経緯を説明していた。
「今はないよ」
けれど兄はヴィオの言葉に首を振り、
「今の俺は、フィアナと繋がりがあるだけだ」
ふざけた表情を少しだけ改め、そう答えていた。
一通り話を聞き終えると、ヴィオはあからさまに嫌そうな顔をして立ち上がった。
「……まあ事情は分かった。それで、その水瓶を俺に作れってわけか?」
「人手が必要なら優秀な助手を付けるよ」
リュカ先生がアドリアンの肩をポンと叩いた。
「なるほど」
そう言って、ヴィオはアドリアンを眺めながら顎をさすった。
「本当に優秀な子だったら、遠慮なくこき使わせてもらうよ」
「は、はい。僕、頑張ります」
アドリアンの表情には喜びと緊張が同時に現れていた。
「それと多少金はかかるが……まあ、その点は心配なさそうだな」
ヴィオがそう言って私を見るので、私は頷き返した。もちろん、リオン王子が兄の旅費まで用意してくれるというので、お金の心配はほとんどないと言っていい。
「あと、ラヴァンに手紙を書こうと思ってるんだけど、住所を教えてくれる?」
リュカ先生が訊ねると、ヴィオは盛大にため息をついた。
「はぁ~……。もう今日は店じまいだ。レオン、閉店の札を出してくれ」
「閉店の札もなにも、客なんて――」
「うるさいぞ」
***
次の日から、アドリアンは足りない材料を集めるために西へ東へと駆け回った。まさしくヴィオにこき使われていた。けれど本人はそれをヴィオに認められた証だと思い、とても張り切っている様子だった。
ケトに様子を見に行ってもらったある日、アドリアンが錬金窯の温度管理を任されていたらしく、
「アドリアン、温度が一度違うだけで全部やり直しだからね」
そうヴィオに言われて、釜をかきまわす手を震わせていたという。
「汗だくなって必死に火加減調節しとったで」
後でケトが教えてくれた。
また別の日には、ケトがぶつぶつ文句を言いながら帰ってきた。
「なんでワイがこんな重労働せなあかんねん!」
どうやら森の奥で薬草採りを手伝わされたらしい。
そんな日々が続いたある朝、ようやくヴィオから連絡が来た。
「水瓶、できたぞ」
その報せを聞いた瞬間、ケトはぐったりした顔で「やっとかいな……」と漏らしていた。
***
ヴィオから報せを受けた次の日、私と兄は王宮の厩舎に呼び出された。リオン王子がどうしても兄に譲りたいものがあるとのことだった。
パピリアが兄のまわりをひらひらと飛び回り、物珍しそうに眺めながら言った。
『大丈夫なの? なんだか石像みたいになってるわよ。この男』
もちろん、その声は兄には聞こえていない。
王宮に足を踏み入れるのも初めてなうえに、リオン王子が従者とともに厩舎から姿を現して、兄は緊張のあまり、本当に石像のように固まっていたのだ。
「お兄様……そんなに緊張しなくても」
私が小声で囁くと、兄はぎこちなく首だけ動かして頷いていた。
従者の手に握られた手綱には栗色の馬が繋がれていて、リオン王子はその馬の首筋を撫でながら兄に告げた。
「この馬は優秀で、持久力もあります。どうかお使いください」
「こ、こんな立派な馬を、あり、ありがとうございます」
兄は深く頭を下げた。
「王太子殿下。兄のためにこのような立派な馬をご用意くださいまして、誠にありがとうございます」
私も同じように頭を下げ、感謝の気持ちを言葉にした。
「私の代わりに行っていただくのですから、せめてこれくらいの用意はさせてください」
リオン王子が穏やかに答えた。
「必ず泉の水は持ち帰りますので、ご安心ください、王太子殿下」
兄は緊張を滲ませながらも、もう一度深く頭を下げた。
『途中で零さないでよね』
パピリアが口を挟んだ。
「出発は?」
王子が問いかける。
「は、はい。明日の朝、出発します」
「そう……ですか。明日は――」
「み、見送りとか、恐れ多いですから!」
兄が手を上げ、リオン王子の言葉を先回りした。
「申し訳ありません。できればフィアナ嬢とともに、見送りたいと思っていたのですが」
「どうかご安心ください、王太子殿下。わたくしが責任をもって、ケトと兄をお見送りいたしますから」
「ケト?」
「あ、いえ。私の飼い猫のことです。兄が連れていきたいと言うもので」
「え? あああ、そうそう。そうなんですよ。さ、寂しくて」
兄も慌てて言い繕ってくれた。
「そうですか……」
リオン王子が訝しげにこちらを見つめる中、私たちはもう一度深く頭を下げ、馬の手綱を受け取った。
次の日、私とクラトスは王子に約束した通り、兄とケトを見送りに王都の南門まで来ていた。
「レオン兄様、気をつけてね。ケト、兄様のこと頼んだわよ」
「任せとき。ワイがついとるさかい安心しぃ」
「じゃあ、行ってくる」
ケトがひょいと馬の背に飛び乗り、兄も続いて跨った。
「無事に戻ってきてね」
私は、二人の姿が門の向こうに消えるまでじっと見送っていた。




