22.精霊の庭
夏休みを目前にした休日、私は婚約者である王太子リオンに招かれて王宮へ遊びに来ていた。午後の庭園は濃い緑の匂いに満ち、日差しは少し強かったものの、噴水近くの東屋には涼しい風が通り抜けて心地よかった。
白い柱の陰にリオン王子と、いつも彼の傍に寄り添っている妖精の姿が見えた。私はリオン王子に歩み寄り、淑女の礼を取る。
「王太子殿下、お待たせして申し訳ございません」
「フィアナ嬢。招待に応じていただき、ありがとうございます」
王子は東屋の椅子から立ち上がり、穏やかな表情で言った。けれど、その肩に乗った妖精が疲れたように小さく声を漏らした。
『おね……が、い』
「え?……しゃべった?」
妖精の声を聞いたのはこれが初めだった。妖精はそのままリオン王子の肩から滑り落ちそうになり、私は慌てて両手で受け止めた。リオン王子は少し驚いたように体を引き、目を見開いて私を見た。
「いえあの、花びらが……も、申し訳ございません」
「花びら?」
リオン王子はそっと私の手元をのぞき込む。
「それに、しゃべ、しゃべ、お喋りしたくなるような、その、とても素敵な庭園だな~と……お、おほほほ」
私はそっと両手を閉じ、笑って誤魔化した。
かなり不自然だったけれど、リオン王子はすぐに何事もなかったように微笑み、東屋の席を示した。
「どうぞ、冷たいお茶を用意しています」
テーブルにはお茶菓子と上品なティーセットが並んでいた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
私が慌てて席に着くと、使用人が静かにお茶を注いでくれた。私は使用人が下がるのを待って、妖精をそっとテーブルの上に置いた。
――これは確実に変な女だと思われたな。
向かいに座ったリオン王子は、王子から見たら何もないテーブルの上をじっと見つめたまま口を開いた。
「学園生活は順調ですか?」
「はい。最近は友人とよく図書館で勉強していますの」
――魔物についての勉強だけれど。
「友人と……」
そう言ってリオン王子は微笑んだ。
「それは楽しそうですね」
王子は学園での勉強のほかに、王太子として王を補佐しながら、政務についても勉強していると聞いたことがある。きっと、忙しくて友人を作る暇もないのだろう。
「王太子殿下は学校と政務でお忙しいとお聞きしました」
「ユーリスからですか?」
「はい」
「こうしてあなたとお茶をする時間はありますよ」
「そのように仰っていただけるなんて、光栄でご――」
『お願……い』
テーブルの上に置いた妖精はずっと辛そうに身を縮めていたが、もう一度苦しげな声を上げた。さっきの声は、やはり私の聞き間違いではなかったらしい。
「お願いってなぁに?」
気づくと妖精に声をかけていた。
妖精は驚いて私を見上げる。
『……お願いがあるの。王子に、私の名前を呼んでもらって』
「どうして?」
『私、王子の契約者になりたいの』
これは従魔契約だ。けれど、こんなふうに自分から契約を望む魔物は初めてだった。
「名前は?」
『エアリアル』
私はそっと息を呑み、向かいに座るリオン王子を見た。王子は、私がテーブルに話しかけているというのに、眉ひとつ動かさず、静かに私を見つめている。
「王太子殿下、あの、お願いがございます。少し、よろしいでしょうか?」
私は懇願するように言った。
「構いませんよ。フィアナ嬢の願いとあればなんなりと」
リオン王子はどこか楽しげな様子だった。
「従魔契約というのをご存じですか?」
「知っています」
「王太子殿下にその契約交渉をしていただきたいのですが、始めてもよろしいでしょうか?」
「分かりました。始めてください」
「ありがとうございます。では、『エアリアル』と呼び掛けてください」
王子は躊躇することなく、私の言葉をそのまま繰り返した。
「エアリアル」
『へ~、私の名前を知っているのね』
さっきまで苦しそうだった妖精は急に元気を取り戻し、テーブルの上でシナを作ってみせた。王子には見えていないけれど、ルール通りに契約交渉は始まった。
『ねえ、あなたって好きな人はいるの?』
いきなり下世話な質問だなと思ったが、その問いかけには覚えがあった。ピクシーの契約交渉と同じだ。この質問の選択肢は「いる」「いない」「今はよくわからない」の三つだ。私は使用人に書くものと紙を用意してもらいながら、リオン王子に質問を伝えた。
「王太子殿下にお好きな方がいらっしゃるのかどうか、問いかけています」
リオン王子は少し驚いたように目を見開いた。私は正解を書いた紙をそっと差し出そうとしたが、王子はそれを手で制した。
「もちろん、います」
『へぇ~』
妖精は色っぽく声を伸ばし、さらに続けた。
『その人のどんなところが好きなの?』
「その方の、どのようなところがお好きなのか、聞いています」
リオン王子は、頑なに私の差し出す紙を受け取ろうとはしなかった。
「目が離せないところかな」
この答えでは間違いだ。私は唇をかみしめた。契約交渉が決裂すれば戦闘になってしまう。ケトとクラトスを呼び出しておいた方がいいだろうか。
『ふ~ん。でもあなたってプライドが高そうだから、その人の前では格好つけているんでしょ?』
王子の解答が不正解になり、質問が意地悪なものへと移った。だが、これに正解すればまた元のルートに戻れる。
「では、その人の前で王太子殿下が格好をつけてしまわれるかどうか、尋ねています」
私はヒヤヒヤしながらリオン王子の返事を待った。
「いや……格好をつけるどころか、いつの間にか自然体にさせられているよ」
正解だ。
『へ~、嘘っぽいけどまあいいわ。じゃあ、告白するとしたらどんな言葉を選ぶの?』
「えっと、では、告白するとしたらどんな言葉にするか、という質問です」
リオン王子は質問を聞いてわずかに顔を赤くした。
私は、リオン王子はいったい誰の姿を思い浮かべて答えているのだろうかと、ふと考えてしまった。やはりアーシャのことだろうなとも思う。私が中庭で王子と別れたあと、ゲームの筋書き通りであれば、二人はかなり良い雰囲気になっていたはずだ。
リオン王子はしばらく考えて答えを出した。
「気付くと何故かその人のことを考えてしまっている。とても不思議で……特別な人だ。だから、そう伝えたい」
王子がそう答え終えた瞬間、妖精の体を包む光がふっと強くなった。
「よい答えだわ。その言葉をもって契約は成立とします」
妖精は金の鱗粉を撒きながらくるりと一回転し、リオン王子の目の前でぴたりと止まった。リオン王子がその姿を目で追っているのを見て、王子にも妖精が見えたのだと分かった。
「やっと気づいてくれたのね。ずっと傍にいたのに本当に酷いわ!」
そう言うと、妖精は王子の鼻先で捲し立てた。
「ちょっと顔がいいからって、私を焦らしていたつもりなら、大間違いなんだから!」
リオン王子は目を丸くして驚いていた。私もリオン王子と妖精を交互に見て、しばらく唖然としていたが、慌てて口を開いた。
「ちょ、ちょっと、お、王太子殿下に失礼よ、妖精さん」
「ふん、あたしは妖精じゃないわ。精霊なのよ」
妖精ではないらしい精霊が腕を組んでぷいとそっぽを向いた。
この世界では妖精も魔物の一種だ。現にケトも妖精猫だが、魔物に分類されている。
――では精霊は?
この世界に精霊なんていただろうか。確かに自分から名乗りを上げる魔物はいないし、エアリアルなどという魔物は聞いたことがない。
「それより早く名前を付けて」
精霊が言った。これは大変だと私は身構えた。
「王太子殿下、名前をお付けになってください」
きっと名付け戦争の長い攻防が始まる。そう私は考えていたが、リオン王子は少し考えただけですぐに答えた。
「名前か……パピリアはどうかな?」
「パピリア……あら、素敵じゃない。気に入ったわ」
「え? ちょっと待って」
あまりに簡単に決まってしまったことに驚いて、私は思わず声を上げた。
「なによ?」
パピリアが私を睨む。
「いいの? そんなに簡単に決めちゃって」
「なぁに? あたしの名前になんか文句あるの?」
「いえ、……ないけど」
「なら黙ってなさいよ。あんたには関係ないでしょ!」
「な! なによ、私が助けてあげたのよ。それなのにその態度は酷くない!」
「はぁ? たいした魔力もないくせに、偉そうにしないでよ!」
「ま、ま、魔力は関係ないでしょ!」
言い返しながら、私はハッとリオン王子の存在を思い出した。
「も、申し訳ございません。王太子殿下の御前で大変失礼をいたしました」
私は慌てて椅子から立ち上がり、跪いて頭を下げた。これで悪役令嬢の汚名を着せられてしまったら、目も当てられない。しかし、リオン王子は気分を害した様子もなく穏やかに微笑んだ。
「構いません。どうぞ続けてください」
「いえ、そんな……」
「じゃあ、私の名前は今日からパピリアよ」
パピリアが金の鱗粉を撒きながらリオン王子の肩に乗り、得意気に胸を張った。




