21.錬金術の工房
今日は休日を利用し、ケトと二人でアドリアンに頼まれた薬品を買いに来ていた。ゲームで見たことのある街並みだったけれど、実際に歩いてみると石畳の商店街は活気に満ちていて、やはりゲームでは味わえない臨場感があった。私たちはあれこれ言い合いながら、買い物を楽しんでいた。
足元で尻尾を揺らしながら歩いていたケトが、美味しそうな匂いに釣られて口を開いた。
「嬢ちゃん、そこの焼き魚、なんや美味そうやないか?」
「人前であまり喋らないで、ケト。ほら、あの人、振り返ってケトを見てるわよ?」
「ニャア!」
ケトの尻尾がパタンと石畳を叩いた。
「あ、見て。あれがアドリの言ってた錬金工房じゃない?」
路地裏に、薬草と瓶をあしらった看板が掲げられているのを見つけた。扉には「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」と文字が彫られている。これもゲームで見た通りで、懐かしささえ感じてしまった。ゲームの中でのことだけれど、この工房には頻繁にポーションを買いに来ていた。ここには素敵な店主がいるのだ。
木の扉を押すと、カランと鈴の音が鳴った。
店の奥では、銀髪のエルフが椅子にだらしなく腰かけていた。ウェーブのかかった短い髪は好き放題に跳ねていたが、頬にかかる乱れさえ不思議と美しかった。
彼は眠たげな瞳をこちらへ向けると、「いらっしゃいませ」と言うでもなく、片手をひらりと上げた。
――これは……どういう合図?
私が想像していた店主とは少し雰囲気が違った。
私は棚に並んだ瓶を見渡し、恐る恐る声をかけた。
「こ、こんにちは」
エルフは本を閉じ、あくびをしてから立ち上がった。
「……何か探してるの?」
私はアドリアンから届いた手紙を広げた。
「えっと……万用中和剤と……エリキシル剤を」
私が告げた薬品名を聞いていたのかいないのか、エルフは私の足元にいるケトを見つけると、急に笑顔になった。
「可愛い猫だね。名前は? 何かあげてもいいかな?」
「あ、はい。ケトって言います。ミルクが好きです」
「ちょっと待ってて」
店主はそう言うと奥へ引っ込み、すぐにミルクピッチャーを手にして戻ってきた。
「これは猫用のクッキーだから安心して」
そう言ってケトの前に皿を置き、ミルクを注いで、その上にちょこんとクッキーを浮かべた。ケトは可愛らしくニャアとひと鳴きして、ミルクを舐めはじめた。
「エリキシル剤は仕上げがまだでね。少し待っててくれるかな?」
店主は幸せそうにケトを眺めていたが、中身は関西弁のおっさんですよ、と内心思いながら私は「はい」と返事をした。
店主がケトに後ろ髪を引かれつつ、店の奥に戻ろうとしたとき、扉の鈴が軽やかに鳴った。
「よお、ヴィオ、珍しく客がいるのか」
入ってきたのは冒険者姿の若い男だった。淡い栗色の髪に優しい亜麻色の瞳。
「珍しくとは失礼な。で、今日は何?」
「ニカワと獣脂を、えっと、三つずつ」
「レオンがなんでまたそんなものを?」
「ギルドの前で女の子とぶつかっちまってさ。その子が足を挫いちまったんだよ」
「ツケで売ってやったポーション、もうないのか?」
店主はツケという部分を強調して言っていた。
「その子が買い物に行かなきゃいけないっていうから、俺が代わりにお使いしてやってるんだ。今ギルドで待たせてる」
「……ああ、そういうことね」
乾いた声でそう言うと、店主は店の奥へ下がっていった。
その背中に若い冒険者は慌てて言葉を投げかける。
「おいおい、なんか誤解してるだろ。口説いてるわけじゃないぞ。困ってる人を助けるのは当然だろ」
店主が奥に入って見えなくなっても、諦めずに言い訳を続ける冒険者は、「ですよね?」と最後に私に笑顔を向けて付け加えた。
私はその顔を見上げてぼそりと言った。
「お兄様……」
「?」
「フィアナですわ」
私は胸に手を当てて兄を見た。
レオンと呼ばれた男は、もともとアレクサンデルという名の私の異母兄である。幼い頃に私の母の手で公爵家を追われた。だが完全に縁が切れたわけではなく、私と兄との手紙のやり取りは続けていたのだ。
兄の母親は数年前に病気で亡くなったが、兄は父の援助を断り冒険者となった。そのときに貴族らしい名前を捨てて、母方の姓を名乗りレオンと改名した。私は父の名代として葬儀に参列していたので、兄との再会は三年ぶりになる。
「フィアナ?……ええっ! 」
兄には、かつてゲームで見た復讐者としての面影はもう微塵もなかった。
「すっかり綺麗になったな。ついこの間まで、こんなチビだったのに」
兄は自分の膝のあたりに手をやった。
――それでは小人だ。
そのとき、店の奥から素材の袋を持った店主が戻ってきた。
「レオン・フォルク。僕の店で女の子を口説くのは禁止だよ」
「違うって、これ、俺の妹」
「今度はそういう手口を考えたのか?」
「本当だって……。それよりフィアナ、こんな時化た店に何の用だ?」
「言うに事欠いて、失礼だな」
「ここは錬金術では有名な工房ですのよ。お兄様」
「へぇ、本当にレオンの妹なんだ。こんなに可愛いお嬢さんがね~」
店主が呆れたように言う。
「ま、まあな」
兄は急に照れた様子で頭を掻き、代金をカウンターに置いた。店主はそれを受け取ると、また奥へ引っ込んでいった。
兄は昔と変わらず優しげだが、こんな調子で冒険者が務まっているのかと少し心配になってくる。
「私、今は王立魔法学園の生徒なの。お兄様が王都にいるなら、別邸にいらしてよ」
「別邸?……そうだな~」
兄は短い栗色の髪を掻きながら、少し複雑そうな表情を浮かべた。兄は父に対して、まだ少しわだかまりがあるらしく、過去に繋がるものとは距離を置きたいと思っているふしがある。
「いいでしょ? もっとゆっくり会いたい。久しぶりにたくさんお話がしたいわ」
「……分かったよ。フィアナが言うなら、仕方ないか」
私が耳飾りを贈ったあの日から、兄はずっと私の我儘を聞いてくれていた。今も兄の耳には、あの耳飾りが光っている。
「ところで、こんなにゆっくりしてていいの? ギルドに女の子を待たせているんでしょ?」
「おお、そうだった。アーシャちゃんって言ってたかな?」
「アーシャちゃん!?」
「な、なんだよ、フィアナ、急にでかい声出して」
――なるほど、ここからレオンルートが始まるのか。
「な、何でもないわ。学園宛てに手紙を書いて。すぐにお返事を書くから」
「わかった。じゃあ、またなフィアナ」
兄は私に手を振り、扉に手をかける。
「お~い、ヴィオ、妹のことは、仲間には内緒だぞ~!」
店の奥に向かってそう叫ぶと、兄は慌てて店を飛び出していった。
しばらくして、店主は小さな瓶を二つ手にして戻ってきた。
「レオンの妹さんなら、ちょっとおまけしとくよ」
「いいんですか?」
「君とケト君なら大歓迎だよ。用事がなくても遊びにおいで」
そう言いながら、店主はケトの耳の後ろを優しく撫でた。
「はい。ありがとうございます」
「今後ともご贔屓に」
店主は名残惜しそうにケトに手を振っていた。
***
「ワイは運び屋とちゃうねんで」
ケトは影渡りで戻ってくるなり文句を言った。今日買った薬品を公爵領のアドリアンへ届けてほしいと、私が頼んだからだ。
この世界には魔方陣による転移魔法もあるが、運べる荷物量に制限があり、転移先にも魔方陣を設置する必要があるため、あまり重用されていない。それに、失敗すれば荷物が消える危険もあるので、人を転移させる用途には恐ろしくて使われない。王宮や各領地を結ぶ魔法電報のような限定的な運用に留まり、使われるのは緊急時だけだった。
「距離が遠なれば遠なるほどやな、時間かかんねんで」
「ごめん。アドリがどうしても早く欲しいって言うから。馬車で送ったら三日はかかるけど、ケトなら……ほら、ちょっとの時間で済むでしょ?」
小一時間もかからないうちに戻ってきたケトに、私は用意したミルクを差し出した。
「もうええわ! さっきガキンチョんとこでもろてきたわ」
「ほらね、きっとアドリは極上のミルクを用意していたに違いないわ」
「普通やったで」
「あ、そう。……で、でもアドリはとても喜んでいたでしょ?」
「あ、せやせや、手紙預かってたん、忘れとったわ」
ケトは首から下げた小さなバッグから、手紙を取り出した。
「ホンマ姉弟そろって、ワイをなんやと思てんねん。ミルクひとつで使える安い運び屋やと思てるんやったら、大間違いやで」
「そ、そんなこと……思ってないわよ」
私は頭の片隅に浮かんだ子猫を運ぶ黒猫の姿を慌てて振り払い、アドリアンの手紙を読み上げた。
「あら、『お姉様の夏休みに合わせてリュカ先生と王都に遊びに行きます』って書いてある。楽しみね」




