20.噂の陰
アンリやエミールと分かれ、寮に戻ると、私は早速ケトに呼びかけた。
「ケト、いる?」
「なんやねん? 今厨房でミルク飲んどるとこやねん」
「ちょっと、学校の厨房では勝手に飲んではいけないのよ」
「ちょっとだけや、しみったれたこと言ぃなゃ」
「この間はここのミルクはマズイって文句言ってたくせに」
「しゃーないやろ。こんなんでも一応ミルクやからな」
「お腹壊すわよ」
私は溜息をついた。
「ところで、お願いがあるんだけど」
「なんや?」
そう言って、ケトが影の中から現れた。
「明日、キャサリンっていう伯爵令嬢を探ってほしいの」
「アレと繋がってるんか?」
何度も言うが、アレとは闇の魔導師のことである。
「分からないけど、私の破滅に繋がる可能性がないこともなくはないから」
「どっちやねん!」
「濡れ衣を着せられるかもしれないから心配なのよ。だからお願い」
「しゃーないなぁ」
そう言って、ケトは渋々引き受けてくれた。
ケトは次の日からさっそくキャサリンの周囲を探り始めた。そしてほどなくして、幻術薬の匂いが残っていたことを知らせてきた。
「学園でユーリスに使われたんと、同じ匂いやったわ」
「そうなの?」
「ほんで、その出所、……やっとわかったで」
「誰?」
「ルシフェルドのお母んや」
「じゃあ、キャサリンは母親に幻術薬を使われたってこと?」
「まあ使ったんは、ルシフェルドやけど」
「だけど……」
この薬が特殊な幻術薬だということは、すでにケトに調べてもらっていた。ケトによれば、正統王国で広く出回っている幻術薬は、本人の心のどこかに「そう思う気持ち」がなければ効かないという。しかし、これはそれよりもずっと強力な薬らしい。ルシフェルドの母アンナは、そんなものをいったいどこから手に入れたのだろう。
――闇の魔導師?
ゲームのフィアナも、実はこの薬を使われていたのだろうか。ゲームの表面だけを見ていたら、分からないことだらけだ。
そこからは、ケトにミレイアの周囲も調べてもらうことにした。ケトは「人使い荒いわ」「ほかにも従魔おるやろ」「ワイは休暇をいただきます」などと散々文句を言っていたが、なだめすかして何とか協力してもらった。
それから、私も図書館で話していた女生徒たちを探し、話を聞いたりしているうちに、いつしか数日が過ぎていた。そして、ようやくケトから求めていた報せを受け取ることができた。
「あの女、やっぱり証拠のもん鞄に入れとったで」
「やっぱり……。ゲームのフィアナも、この先のイベントで同じことをされてたから、まさかとは思ったけど」
「それとな、めっちゃおもろい奴おってん」
「おもろい奴?」
ケトはにやりと笑ってその人物の名前を口にした。その名を聞いて、私もにやりと笑い返した。
***
放課後、私は長い廊下をキャサリンのあとを追って走っていた。
「キャサリン様! 少しお聞きしたいことがありますの――」
そう言いながら、私は足をもつれさせ、キャサリンに勢いよくぶつかった。
「きゃあっ!」
その衝撃でキャサリンの手から鞄が弾け飛び、中身が廊下いっぱいに散らばり落ちた。まるで、風魔法で中身を広く飛び散らせたように。
「いったい、なんですの!」
キャサリンは文句を言っていたが、私は落ちた鞄の中身から急いで目当ての紙を探し始めた。
「ちょ、ちょっと、オブライエン様、何をなさっているんですの?」
キャサリンの戸惑う声を聞きながら、目当ての紙を見つけると、私はすぐにそれを拾い上げ、彼女の目の前にかざしてみせた。
「これはキャサリン様のものですわよね?」
キャサリンは目の前に出された紙を怪訝な顔で覗き込んだ。最初こそ何のことか分からないという様子で不機嫌そうに見ていたが、徐々に目を見開き、私の手から慌ててその紙を奪い取ろうとした。
「わ、わたくしのじゃないわ」
驚きに声が震えていた。
「でも、エイデン家の紋章もちゃんと入っていますわよ?」
「し、知らないわ、そんなもの」
「じゃあどうして、わたくしから紙を奪い取ろうとなさったの?」
「そ、それは……」
「ユーリス殿下にお見せしてもいいかしら?」
「だ、だめよ! わたくしはミレイア様に言われただけよ!」
今にも泣きだしそうな顔でキャサリンが言った。その直後、背後で鞄が落ちる乾いた音が響いた。振り返ると、そこにミレイアが震える足で立っていた。
「お、お見苦しいですわ。キャサリン様。わた……わたくしに罪を擦り付けるつもりですの?」
その言葉を聞いて、キャサリンはミレイアに向かって叫んだ。
「ミレイア様!? だって、二人で殿下をお守りしましょうって!」
「わ、わたくしはそんなこと言っていませんわ。アーシャさんの悪口を広めようなんて。そ、そんな卑劣なこと」
威勢のいい言葉とは裏腹に、ミレイアの体は恐怖で震えているようだった。
私はミレイアを静かに見つめた。
「本当のことを言ってください、ミレイア様」
自分でも驚くほど優しい声だった。
「この紙をキャサリン様の鞄に入れたのは、ミレイア様でしょう?」
私の予想もしなかった言葉に、ミレイアは目を見開き、息を呑んだ。
「ど、どうして、わたくしがそんなことを? な、何を言っているのか、わたくしには……」
「アンリやエミールが噂について聞き回っているのを知って、慌ててエイデン家の紋章入りの便箋を手に入れたのじゃありませんか? キャサリン様ひとりに罪を着せられるように」
「し、失礼ですわよ。……しょ、しょ、証拠は、証拠はありますの?」
「その瞬間を見ていた者がいるんです」
「そんな……。だ、誰が?……そ、そんなの嘘に決まっているわ」
そのとき、静かな声が廊下に響いた。
「僕だ」
教室の扉を開けて、ユーリスが廊下に現れた。
「「ユーリス殿下!」」
ミレイアとキャサリンが同時に悲鳴のような声を上げた。
ユーリスはミレイアへ歩み寄る。
「いたずらや嫌がらせにしては度が過ぎているな」
それに続くように、エミールとアンリ、アーシャも教室から姿を現した。いまやミレイアの顔は青ざめ、狼狽え、恐怖に震えあがっていた。
「王位簒奪の噂は口にしただけでも絞首刑だ。分かっているのか?」
ユーリスの言葉に、ミレイアはついにその場で気を失い、キャサリンは顔を覆って泣き崩れた。
その後、ミレイアは一ヶ月、キャサリンは二週間の停学処分を言い渡された。ただし、王位簒奪の噂が含まれていたことは伏せられた。二人が高位貴族であるため、大事になることを避けたかったらしい。アーシャの悪い噂を広めたというだけでは処分の対象にはならないが、今回はユーリス王子が絡んでいたことから、学園長とも話し合って処分することが決まったのだ。
ユーリスは私に「君のおかけでアーシャの悪い噂が広まらずに済んだよ」と礼を言ってくれたが、幻術薬のことやその出所についてはまだ打ち明けていなかった。
それに、実際にはミレイアの不正を偶然目撃したユーリス自身の証言こそが、決定的な証拠となったのだ。アンリとエミールがこそこそ動き回っているのを見て、気配を消して後を追っていたのだという。そうして証拠を仕込む場面を見てしまった、というのが真相だ。もしその目撃がなければ、証拠を得るまでにもっと時間がかかっただろう。王子兄弟は本当に気配を消すのが得意だと、ケトも舌を巻いていた。
***(小話)
私は図書館の片隅でエミールと向かい合い、いつものように魔物について語り合っていた。
「僕はリヴァイアサンを一度でいいから見てみたいです」
「リヴァイアサンね~」
私もゲームの中でさえ遭遇したことのない魔物だ。
「でも、私は海洋恐怖症だから無理かな」
「海洋恐怖症とはなんですか?」
「水中って言われると、ゾワッっとしちゃうのよ」
ゲームのキャラクターを操作しているときでさえそうなので、自分でも相当重症だと思う。
「確かにそれはリヴァイアサンの恐怖に近いですね。広大で底知れない暗闇、水中に潜む巨大なものへの恐怖。巨大な世界の中で自分という存在があまりにも無意味に思えてしまう絶望感」
「なんかそう言われると、かっこいいわね。さすがエミール」
エミールは少し褒めるとすぐに耳が赤くなる。まるで私のアドリアンみたいだ。
「ところでエミールたちはもう従魔を持っているの?」
「いえ、まだ。……従魔なんてめったに持てるものではありませんよ」
「そうなの?」
「従魔にできるほど高位の魔物に出会うこと自体が稀ですし、かなりの危険が伴います。交渉の段階で失敗すると、さらに強力な魔物へと変じたり、仲間を呼び寄せたりしますから」
「そうだけど……でも、魔物図鑑があるなら、交渉の解説書みたいなものもあるんじゃないの?」
「そんなもの、あるわけないじゃないですか!」
エミールが目を丸くして答えた。
「なんで?」
「もし、契約がうまくいったとして、世間にそんな情報を公開すると思いますか?」
「……それも……そうね」
確かにそれは、秘密にしておきたい大切な情報だ。
「そんな本を公表する者がいたら、おそらく捕まりますよ」
「そ、そうなの?」
「噂話の域を出ませんが、過去にそういった本を書いた者が、時の権力者に捕らえられ、そのまま行方知れずに……」
「ゆ、行方知れず……」
私はごくりと息を呑んだ。
「その本は今、西の神聖法国の宝物庫で厳重に守られている――そんな噂もありますが、真偽のほどは分かりません」
――宝物庫に眠る攻略本……。なんだかロマンのある話じゃない?
「でも、それなら尚更、また私と迷宮に行ってほしいわ」
「いいですけど……。あれ以来、ユーリス殿下に反対されているでしょう? 『兄上の婚約者になにかあったら、自分が叱られる』と」
「だ、大丈夫よ。アーシャちゃんにはカーバンクル、いや、ユニコーンを従魔にしてもらわなくちゃ困るんだから」
――闇の魔導師を倒すために。
「カーバンクルはともかく、ユニコーンなんて無理ですよ。そんな高位の魔物は出会うこと自体が難しいですから」
「私は引き寄せ体質だから大丈夫」
「……何を言っているのか分かりませんが、僕らにはまだ、そこまでの実力はありませんよ」
「応援しているから。頑張って!」
エミールは私の言葉に溜息をひとつ漏らし、首を振っただけだった。




