11.霧の魔物
アドリアンが消えた次の瞬間、黒い霧のような体から黒い刃が音を立てて飛び出した。リュカ先生が咄嗟に作り出した円盤状の防御障壁が黒い刃を弾き返す。しかし、弾きそびれたひとつがリュカ先生の脇腹をかすめた。
「リュカ先生!」
リュカ先生は痛みに顔をゆがめながら、砕けた障壁を修復し続ける。
「大丈夫です。そのまま攻撃を続けてください」
森の中に身を潜めて攻撃を放ってくる黒い霧には、どんな属性の魔法が効くのか分からない。私は思いつく限りの攻撃魔法を放った。
「そんな初級の攻撃魔法、いくら繰り返しても効果はありませんよ、フィアナ」
「ひ、ひどい。これでも一生懸命やってるのに」
「もっと上級の魔法は使えないんですか?」
「す、すみませんね、初級魔法しか使えなくて――」
「分かりました。同時に魔法を放ちますよ。アローオブライトにしましょう」
「そんな魔法使えません!」
「大丈夫です。これは特別な詠唱魔法ですから簡単です」
「特別な詠唱魔法が簡単なわけないで――」
「空を走る一筋の光よ。ほら、一緒に言ってください」
「ええ!?」
私たちの小競り合いの間、魔物は森に広がっていた黒い霧を一点に集め、より強力な攻撃を放つために魔力を溜めているようだった。
「も~。空を走る一筋の光よ!」
「我が指先に集いて形を成せ」
「わ、我が指先に集いて形を成せ!」
私は泣きそうになりながら必死に詠唱を重ねる。いまや魔物は黒い霧がひと塊となった不気味な姿を現していた。
「闇を貫く聖なる閃光となりて敵を貫け、いざ、放て、アローオブライト」
「闇を貫く聖なる閃光となりて敵を貫け、いざ、放て、アローオブライト」
詠唱が終わると、二つの光る矢が二人の手元から螺旋を描きながら飛びだした。それはチリチリと空気を焦がしながら魔物へと突き進む。やがて二本の矢はひとつの輝く矢となって魔物に命中した。魔物は地を揺らすほどの咆哮を上げながら、森の奥へと吹き飛ばされた。
「やった!」
「まだですよ」
「ええ?」
森の奥で、黒い影が再び蠢き始めた。
「そ、そんな……」
「まあでも、少し時間は稼げました」
そう言うと、リュカ先生が続けて魔法を詠唱し始めた。
「原初の光、我が盾となれ、契約に基づき鉄壁の守護をここに展開せよ! サンクチュアリ!」
詠唱が終わると光のドームが私たちを包む。
「フィアナ、これから特別な詠唱魔法を教えます。できますか?」
「で、できますかって、やるしかないのでしょ? 何を言えばいいんですか!」
「おそらくこれはあなたにしか使えない魔法です。私に続いて言ってください。燃え盛る炎、揺るぎなき大地」
「えっと、燃え盛る炎、揺るぎなき大地」
「芽吹く春風、澄み渡る水流、天を裂く霹靂、降り注ぐ光輝」
「め、芽吹く春風、澄み渡る水流、天を裂く霹靂、降り注ぐ光輝」
「六界の理、我が前に顕現せよ」
「り、六界の理、我が前に顕現せよ!」
「ヘキササークレット」
「ヘキササークレットォ~~!」
次の瞬間、私の手から赤や黄、緑、青、紫、そして白の六色の光が放たれ螺旋を描いた。さらに炎が渦を巻き、水が流れ、風が唸り、大地が震え、雷が走り、光が爆発して、魔物へと突き進む。そしてついに六色の光が一斉に魔物に解き放たれ、轟音とともに炸裂した。
黒い霧の魔物は唸り声をあげ、輪郭の定まらないまま耳を劈く咆哮を上げる。その瞬間、霧のような体に古代文字が文様のように一瞬だけ光って消えた。
「あれは、カオスロード」
その文様を見て私が呟くと、リュカ先生が驚いたように問い返した。
「カオスロード? まさか、こんなところに出てくるとは思えません」
「だけど、……あれはカオスロードです」
リュカ先生は鋭い眼差しを黒い霧に向けた。すると、森の奥から黒い霧がゆっくりと姿を現し、地を這うような低い声で言った。
「我を知る者よ。我をここへ導いた者よ」
「カオスロードが何か喋ってますね」
リュカ先生が驚いた声で言う。
「我は呼ばれてここへ来た。理由を語れ」
私は契約交渉が始まっているのだととっさに思った。
「わ、私の仲間になって!」
「我の名を知る者よ。お前は我をどう見る?」
選択肢は「偉大なる存在」「ただの魔物」「詳しくは知らない」だ。
「偉大なる存在です。そ、その名は畏怖と尊敬に値します」
「賢明な人間だ」
一つ目の質問は正解した。
「では、我という存在を形作るものは何だと思う?」
選択肢は「力」「意志」「ただの霧」だ。
「力です。あなたの力は他の何者にも勝ります」
「ほう」
二つ目も成功だ。
「では我が力の根源をお前は理解しているか?」
次の選択肢は「意識」「知識」「名前」。
「な、名前。名前を持つ者はその名の分だけ力を得ます」
「そうだ。名こそが我が力の根源。名はただの呼び声ではない。存在を刻む印」
そしてカオスロードは続けて言う。
「よいだろう。ここに誓約は成った」
契約成立である。
「信じられない。あのカオスロードを従魔にしてしまったんですか? 」
リュカ先生がめずらしく驚愕の声を漏らした。
「そ、そんな事より、リュカ先生、怪我は大丈夫ですか?」
私は慌ててリュカ先生に駆け寄り、傷口を確認する。
「私はこう見えて、回復魔法も使えますからね」
そう言いながら、リュカ先生は自分の脇腹に手を当てて回復魔法をかけ始めた。
「それは知ってます。心配して言ってるのに、おちょくらないでください」
「ごめん、ごめん」
軽口をかわしていると、一塊になった黒い霧が私の前へと進み出た。
「では我に名を。主としての契約を果たせ」
「そ、それじゃあ、混沌?」
私は慌てて頭に浮かんだ単語を口にした。
「短いな」
「え?」
「短い!」
カオスロードに怒られた。私はとても嫌な予感がした。
「じゃ、じゃあヴォイドロード?」
「低級の輩と同じ響きだ」
「ギンヌンガガプ」
「響きが気に入らぬ」
――またこれが始まるの……?
「そ、それより、あなたを見てると目が回るんだけど」
カオスロードのゆらゆらした霧のよう体は見ていると眩暈がした。
「ふうむ……」
カオスロードは低く唸ると黒い犬に姿を変えた。
「まあ可愛い。じゃあ……カオル……」
「却下だ」
「まだ最後まで言ってないでしょ! 」
「カオスン、カオ太郎、カオスロリン」
私が名前を挙げるたびに、カオスロードは吟味するように私を見つめ、耳をピクリと動かしたり、尻尾をパタリと揺らしている。
「何してんねん? こいつら」
慌てて戻ってきたケトが状況を理解できずにリュカ先生に尋ねていた。
「あの、ちっこいの、なんなん?」
「どんな姿にも、なれるそうですよ」
「どういうこっちゃ?」
「カオスロードを従魔にしてしまったんですよ、このお嬢さんは」
「まさかあの犬みたいなんが、カオスロードとか言わへんよな?」
「そのまさかです」
ケトは目を見開き、犬の姿のカオスロードを二度見していた。
道中、延々と続いた名前会議の末、カオスロードの名前はカオス・クラトス・エターナエに決まった。どうやら、やたら長くて荘厳な名前がお好みだったらしい。長すぎるので私は短くクラトスと呼ぶことにした。
屋敷に辿り着いたころにはすっかり夕闇が迫っていた。
私が元気に帰ってくると、アドリアンは慌てて駆け寄ってきて、私に抱きついたまま泣きじゃくっていた。屋敷の中は大騒ぎで、捜索隊を結成するところまで話が進んでいたと聞き、私は肝を冷やした。
私は、来年には王立学園に入学しなければならない。ゲームの本編がいよいよ始まってしまうのだ。ここで強力な魔物カオスロードが従魔になってくれたことで、私は少しだけ自信がついた気がした。ただ、リュカ先生から教わった詠唱魔法はどれだけ練習しても二度と成功しなかったけれど。




