第10話、国境線突破
夕日が傾く。オレンジ色に燃えるような大草原地帯に風が吹き、徘徊しているギーナルダは近くを獲物が通過するのを待ち構えていた。
それは動物であり、人間であり、国境線を突破しようとするモノすべてが対象だった。 魔人軍第五軍が使役する戦闘魔獣であるギーナルダは、野生の魔獣のふりをしながら、アルゲナムから脱出する者を襲い、同時にリッケンシルト側から不用意にアルゲナムへ来る者もまた襲うように命令を受けていた。
そんな中、のそのそと、一頭のギーナルダがリッケンシルト側へ向けて国境線へと進んでいく。
徘徊していたギーナルダが数頭、それに気づいた。国境線に広く展開する都合上、魔獣たちは一頭ずつ間隔をあけて、一定範囲をうろついているのだが、どうにも違和感があった。
南北、近くの一頭ずつが、その違和感の主のもとへと進路を変える。じりじりと近づく同族にも、ゆったりとした歩調を緩めない。じり、じり……。
ヒュン、と風に混じって矢の飛翔音が草原を巡った。ギーナルダたちの聴覚がそれを捉え、顔を振った。
「いくよ!」
銀髪の戦乙女セラフィナと、金髪碧眼の狐人の少女リアナが草原を走る。
敵――ギーナルダたちはその力強い四肢で大地を蹴った。……先ほどからのそのそと歩いていた個体を除いて。
「リアナ!」
「わかった」
セラフィナが呼びかければ、リアナは足を止め、弓を構えた。
草原を駆ける魔獣。その巨体を力強く弾ませるように突進するさまは、その長い牙を差し置いても、体当たりされただけで全身の骨が砕かれてしまうだろうことは容易に想像できる。
だが金髪の狐人の表情は、実に淡々としたものだった。そこに恐れもなければ、慌てるそぶりは微塵もない。放たれる矢。それは風を巻いて、一番距離の近いギーナルダ、その額を撃ち抜いた。
まさに一撃だった。
・ ・ ・
国境に面する草原地帯で、ギーナルダ隊が交戦をはじめた。
その報告は、草原を一望できるキネルカル砦の魔人軍将軍アスモディアのもとにも届いた。
最初はどうせアルゲナムから隣国へ逃げようとする難民か、そのリッケンシルト国からやってきた商人だろうと、思っていた。そんなつまらない報告はいらない――だが、副官がもたらしたそれに、赤毛の美女将軍はベッドから跳ね起きた。
「アルゲナムの銀髪姫ですって!?」
「はい、アスモディア様。手配書にあったセラフィナ・アルゲナムと見て、間違いないかと」
ベッドから降り、素早く服を着る。……寝るときは裸が基本なのだ。もっとも服といっても、ほとんど下着も同然の、例えるならビキニアーマー的な露出のかなり強いものだったが。その上から黒紫のローブマントを羽織ると、足早に部屋を出て、砦の見張り台へ。
「望遠鏡」
「はい、アスモディア様」
きちんと付き従う副官のシスが望遠鏡を差し出し、アスモディアは覗き込んだ。
「……いた」
それと同時に、思わず「ほぅ」と感嘆の吐息をもたらした。
黄金色に輝く草原に、美しい銀色の髪のなびかせた美少女――神話に登場する戦乙女とはこのような美しき生き物だろうか。
白銀の甲冑をまとうアルゲナムの姫君とおぼしき少女騎士は、倍以上の体躯を誇る魔獣ギーナルダに一歩も怯むことなく果敢に挑んでいる。
「なんて美しい娘なのかしら……!」
敵でなければ、ぜひ自分のハーレムに加えたい。……アスモディアは魔人の国レリエンディールきっての美女の評判であるが、同時に有名な同性愛者でもあった。七大貴族という王に告ぐ階級である身分を用いて、美女、美少女を囲っているというのも、もっぱらの話である。
「すぐに捕獲しなくては――!」
「はい、閣下。ただちに、砦より部隊を出します」
青顔の愛人副官が頷くが、アスモディアは見なかった。
「わたくしも行くわ」
「は、はい……ア、アスモディア様!?」
赤毛の美女将軍はローブマントをはずし放った。次の瞬間、きめ細かで美しい肌も露わになったかと思うと、その背中より黒きコウモリを思わす翼が現れた。
驚く副官を尻目に、アスモディアは空を飛んだ。いても立ってもいられないとはこのことか。第五軍司令官である彼女は、任務であるセラフィナ姫捕獲のために文字通り、『飛んで行った』のだった。
・ ・ ・
ギーナルダって、こんなに弱かったっけ?
銀髪の戦乙女はそう思った。
サーベルタイガーのような二本の長い牙、獰猛な肉食獣の顔に、巨大な身体。だが決して太っているわけではなく、足も早いスマートな体型。だが……。
――動きが単調すぎる!
威圧の咆哮、そして直線での突進。これだけだ。以前戦った時は、もっと手ごわかった印象だったが。
人間などひと噛みで貫ける牙が迫る。だがそれを、頭ひとつのところでかわし、懐に飛び込むと、その無防備な喉元を銀に輝く剣で切り裂く。飛び散る魔獣の血。やはり、一度目より二度目。コツがつかめてきた。
「リアナ、そっちは!?」
「三頭目」
狐人の少女は弓を操り、器用に魔獣を仕留めていく。まことに頼もしい限り。
ギーナルダが向かってくるのが見える。思わず手のひらを敵に向け――ふと、舌打ちしたいのを我慢する。
――本気を出せればもっとやりようがあるのに。
これでは魔獣とどっこいだ。段々、面倒になってきた。
――とっ……!?
視界の端に火の玉が見えた。それは紛れもなく、こちらを狙っている。炎――思わず飛び退く銀髪の姫騎士。
『驚かせ過ぎたかしら……?』
魔人語による女の声が空から降ってきた。よほど慌てて回避したのがおかしかったのか、くすくすと笑い声が聞こえる。
翼を生やした赤毛の美女が、宙に浮いていた。
――ほとんど裸じゃないか……!
びっくりして目を見開く。豪奢な赤く長い髪に、妖艶な雰囲気を醸し出す顔立ち。その胸は豊か――はっきり言って巨乳である。一瞬、翼を持つ女の化け物、例えばハーピーだかの類かと思ったが、どちらかと言えば、サキュバスや女悪魔と言ったほうが近い。
「ああ、そうだった。魔人の言葉はわからないわよね、お姫様?」
赤毛の女魔人は、西方語で言った。
「はじめまして、セラフィナ姫。わたくしは、レリエンディール第五軍を率いるアスモディア・カペル。七大貴族がひとり。これでも一応、将軍」
第五軍……それの指揮官。この痴女めいた女が――銀髪の姫騎士は、じっとアスモディアと名乗った女魔人を見上げた。
「わざわざご丁寧にどうも。将軍自らお出ましとは光栄ね」
「こちらこそ――アルゲナムのお姫さまとお会いできて光栄だわ」
すっと、アスモディアが舞い降りた。そのたっぷりある胸もとに手をあて、恭しく一礼する。
「さっそくだけれどお姫様。投降してくださらないかしら? 大人しく捕まってくれるなら、七大貴族のカペル家の名において、貴女の命は保障してあげるわ」
命を保障する、とは――銀髪の姫騎士は剣を向ける。
「せっかくの申し出だけど……その言葉を信じろと?」
「確かに信じられないとは思うけれど。……わたくし、貴女が気に入ったのよ」
流し目を送りつつ、身をくねらせるアスモディア。
「魔人の中には貴女を八つ裂きにしたいと思っている者も多いでしょう。晒し者にして処刑するとなれば、きっと大勢集まるでしょうね」
びくびくっとアスモディアは自身の言葉に酔うように身を震わせた。
「けれど、わたくしは貴女とはもっと親密な関係になりたいと思うのよ……従ってくれるなら、たっぷり、優しくベッドの上で可愛がってあげるわ」
魅惑的な肢体の持ち主だ。豊かな胸に、くびれのある腰まわり、すらりと伸びた足。どのパーツを見ても、男の色欲を誘うスタイルだ。
「それは……素敵な申し出、になるのかな……?」
「あら、貴女も同性のケがあるのかしら?」
アスモディアの放った同性と言う言葉に、はたとなる。――そうだった。銀髪の姫騎士は、そこで皮肉げに笑みを浮かべた。
「そろそろ、正体を見せてもいいでしょう」
「は? 正体……?」
「ええ、そう。あなたは私をセラフィナ・アルゲナムと思っているようだけど、私はセラフィナ姫ではないの」
その言葉に、アスモディアは一瞬、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。だがそれもほんの一瞬だ。
「あっは――何を言い出すかと思えば……それでわたくしを騙せると思っているの?」
アスモディアは、愉快そうに右手で自身の長い赤毛をかきあげた。
「もう少しお利口さんだと思っていたのだけれど」
「本当のことよ。本物のセラフィナ姫は、今頃国境を越えて東を目指しているわ。私は囮」
「影武者、とでも言うのかしら? ……信じるとでも?」
アスモディアの目が真剣さを増す。こちらの言葉を受けて、本当か嘘か見定めようとしているように。
「信じる信じないはあなたの勝手よ、アスモディア。私にとって重要なのは、あなたたち魔人軍の目を引き付けて……時間を稼げればそれでいい!」
地を蹴る。剣を手に女魔人へと切りかかる。アスモディアの手に、紅の槍が召喚される。それは空を切り、迫る剣を弾く。
痴女めいた姿のわりに、その槍使いは巧みだった。素早く振るわれた槍、その穂先が銀髪の姫騎士の左腕に突き刺さる。
だが――血が出ない!
「……貴女、本物の姫でないなら、何者なのかしら?」
「私は――オレは」
銀髪の戦乙女の姿が、黒い塊に変化し、次に黒髪の少年戦士の姿へと変わった。
「シェイプシフターだ」
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