第9話、アルゲナム国境線
「実に面白くない報告だが」
森の中、茂みの裏にしゃがみこんだ慧太は、同じく腰を低くしているセラフィナに告げた。
「どうやら魔人軍は東の国境線にかなりの規模の戦力を投じているようだ。君が教えてくれたティタニスの城は、すでに魔人軍に制圧されている」
アルフォンソから分離された分身体による偵察でわかったことだ。味方がいるから、補給と共に現状を確認すべく向かおうとした城は、すでに魔人兵と魔獣が闊歩する敵地と化していた。
『いちおう、複数の偵察用の鷹を飛ばしましたが――』
シェイプシフターであるアルフォンソは、機械的に言った。
『街道の主なルートには魔人兵が潜んでいます。迂闊に進めば、たちまち発見されてしまうでしょう』
つまり――慧太は後を引き取った。
「アルゲナムのお味方に救いを求める前に、敵に捕まってしまうってことだな」
面白くないことというのは、そういうことだ。
狐人の少女は黙って周囲を警戒している。慧太から話を聞いたセラフィナは難しい顔で考え込んでいたが、ふと兜で素顔の見えない、甲冑姿のアルフォンソを見た。
「昨日から気になっていたんですけど」
『なんでしょうか?』
「あなたは……その、人間じゃないですよね……?」
疑いの眼差し。セラフィナは腰に下げる銀魔剣の柄に手をかけている。ヘタなことを言ったら、いやもし想像通りなら斬る――そう思わせる態度。
しかし、アルフォンソは、まったく躊躇うことなく告げた。
『はい、私はシェイプシフター。人間ではありません』
「……」
慧太は思わず顔に手を当てる。セラフィナは眉をひそめた。
「シェイプシフター?」
『姿を変える怪物、妖怪などと言われる、摩訶不思議な生き物のような何か……いわゆる、化物です』
自分で摩訶不思議などと言うな――
「ふざけているの……?」
銀髪のお姫様は怖い顔だ。だがアルフォンソは、まったく無感動だった。
『いいえ、ふざけてなどいません』
「それなら――」
剣を抜きかけるセラに、慧太は声を張り上げた。
「こいつは大丈夫だ! 魔物の類といわれるが、魔人ではないし、お姫様の敵じゃない!」
「……ケイタ」
セラフィナは小さく首を横に振る。慧太は続けた。
「オレはシェイプシフター使いだ。言ってみればオレの使い魔みたいなもんだ。こいつはオレの命令に絶対に従うし、間違ってもあんたを攻撃しない!」
「……わかりました」
セラフィナはため息をつくと、銀魔剣の柄から手を放した。
「ケイタには助けられた恩もあります。いまは、あなたの言葉を信じます」
「それはどうも。……それでオレたちが次にとるべき手だが」
街道も駄目、他のアルゲナムの拠点や町や村にいくのも待ち伏せの可能性を考えると駄目――じゃあ、なんなら良いんだと言わんばかりの状況だ。
「ここは、もう直接、国境線まで行くしかないな」
幸い――慧太は、リアナとアルフォンソを順番に見やる。
「索敵能力は、こちらのほうが上だ。アルフォンソは分身体で空から見張れるし、リアナは狐人の聴覚で、潜伏している敵を見つけ出せる。敵を避けながら移動することは可能だ」
セラフィナ姫をじっと見つめる。彼女は慧太の案を考えているのか、顎に手を当て黙り込む。
――そりゃ、迷うよな……。
慧太は、じっと彼女の答えを待った。慧太の案を採用するということは、アルゲナムの国境線を突破したあとは、ライガネンまでセラフィナ一人で向かわなければならないことを意味している。
近衛と別れた今、たとえ少数でも騎士や兵士がついていれば心強くもあろうが、アルゲナム軍の拠点に立ち寄ることができない今、彼女はひとりなのだ。
使命を抱え、一人でもやり通す覚悟は持ったつもりでも、いざ一人で全てを成し遂げなければならないとわかった時、果たして最初の意志を貫徹できるかどうか。……人間というのは、いざ直面して初めて本当の自分がわかるのだ。
『……もう答えは出ているのではありませんか?』
アルフォンソが淡々とした調子で、セラフィナ姫に言った。……このシェイプシフターは我慢という感情がないのかもしれない。
『どちらにしても、アルゲナム軍の助けを得られない以上、道はひとつです』
「……」
じっと、セラフィナがアルフォンソを睨む。彼は構わず言った。
『このまま国境線へ向かうしかありません』
「そう。……そうですね」
セラフィナは小さく頷いた。
「たとえ一人でも、やり遂げると決めたから。立ち止まっているわけにもいきません」
行きましょう――銀髪の騎士姫は立ち上がった。慧太も腰を上げる。
「リアナ、先導しろ。アルフォンソ、前方警戒の鷹を飛ばせ」
「わかった」
『了解しました』
狐人の少女戦士が先を歩き、アルフォンソも再び身体から、鷹の形に変化した分身体を放った。
・ ・ ・
二日後、アルゲナムとリッケンシルト国の国境。
北を見やれば、小高い丘に国境警備のキネルカルの砦。そこからリッケンシルト国まで広がる大草原地帯が一望できる。
国境から反対側には森があるのだが、国境線のある東側には膝の高さ程度の草が生えている程度で、身を隠すのはまず無理だった。それというのも、国境線のあたりを大型の魔獣が数頭、徘徊していたのだ。
「……ギィーナルダだ」
慧太は、その姿に苦虫を噛んだ。
巨大なサーベルタイガーにも似た魔獣だ。大人のゾウのサイズの虎を思い描けばその大きさがわかるだろうか。
以前、討伐依頼を受けたこともあるその魔獣がうろついている。……記憶に間違いがなければ希少種じゃなかったか?
「あれが……ギィーナルダ」
初めて見たのだろう、セラフィナが呟いた。慧太は頷く。
「あいつはあの大きさで足が速い。ここから国境線へ走っても、越える前に捕捉される」
普通に行けば、戦闘は避けられない。
「全部、やっつける?」
リアナが淡々と言った。凶暴な魔獣が何頭いようが、彼女には関係ない。敵なら殺すだけである。
「強行突破も一つの選択肢ではある」
というか、他に案がなければそれで決まりである。ギーナルダは凶悪な魔獣ではあるが、慧太にリアナ、アルフォンソも一対一に持ち込めるなら負けないだろう。セラフィナ姫は――例の白銀の鎧形態なら凌げるだろう。だが、問題はギーナルダの数が多いこと。
そしてもう一つ。
「ギーナルダの相手をしていると、北にある砦から丸見えだ。あそこには魔人軍がいて、オレたちが国境線を突破しようとすれば、そいつらの追尾を受ける」
キネルカル砦が、魔人軍に制圧されているのは偵察で確認済みだ。もともと国境監視用の砦だからこの広い草原の動きを逐一観察しているはずだ。
『それは面倒です』
アルフォンソの言葉に、慧太は「ああ、願い下げだな」と答える。
『でも、ケイタ。魔人軍の戦争方針が変わっていなければ、連中は国境を越えて追跡はしてこないのでは?』
なに? ――慧太は振り返り、セラフィナは目を丸くした。
「戦争方針……? どういうことです?」
『魔人軍は、複数の国と同時に戦争をしません』
アルフォンソが言えば、慧太は視線を国境線に向ける。
「一度に攻め込んで、人間に団結されると困るから、ひとつの国が陥落するまで、他の国には手を出さないんだ。一年前のスプーシオ王国が襲われた時がそうだった」
そのスプーシオ王国が侵略された際に、慧太はクラスメイトともどもこの世界に召喚された。その名を出す時、どうしても舌の先がざらついた。
「すると、リッケンシルト国に逃げこめれば、魔人軍は追ってこない……?」
『少なくとも、大部隊での追撃は不可能かと』
アルフォンソは言った。慧太は首を横に振る。
「たとえ小規模でも追手はつけたくない」
いまは慧太たちがいるとはいえ、セラフィナ姫は一人でライガネン王国とやらに向かわなければならない。途中で護衛なりを雇うかもしれないが、せいぜい数人程度。小規模だろうが、追手がつけば面倒なのは想像がつく。
今のところ、国境線を越えるためには手荒な手段で行くしかなさそうだが、追手がつくつかないは、この先のことを考えれば重要な問題と言える。敵を別の方向へ誘導できれば、最高なのだが……。
慧太は振り返り、セラフィナ姫を見つめる。銀色の髪、整った目鼻立ち、顔のライン、白い首筋に、身体つきをしげしげと――
「あ、あのケイタ……?」
セラフィナは戸惑い、かすかに頬を赤くしながら視線を逸らした。間近でじろじろと見られれば、恥ずかしくもなるもので。
「悪いけど、ちょっと眠っててもらっていいか?」
「え……?」
意味が分からず銀髪のお姫様は固まった。慧太はリアナに向かって合図だけ送ると、狐娘は腰のポーチに手を突っ込み、小瓶を取り出すと布に染み込ませた。
そうとは知らないセラフィナは慧太に向かって困惑を露わにする。
「いきなり何を言うんですか? 眠る? どうやって――」
次の瞬間、音もなく回り込んだリアナが背後からセラフィナの鼻と口もとを布で覆い……彼女を眠らせた。
「さて、それじゃあ、今後の話をするか」
慧太は、リアナとアルフォンソに真顔で言った。
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