エントロピー魔
その掠れた奇妙な声の主は、蒼白い巨獣の背にいた。
一同の視線は、その蒼白い肉の山を伝って上へ向かう。そこでようやく見えた。黒地に灰色の文様が入った儀式用長衣をまとった男が、怪物の首の後ろにまたがっている。顔には無理やりこじ開けられたような笑みが張りつき、口角は耳元まで裂けそうなほど吊り上がっていた。その周囲には、肉眼でも見える濃い霧がまとわりつき、渦を巻いたまま散らない。
【高危険度の未知生物を検出:エントロピー異形体】
裂け笑いの男が怪物の血肉へ手を差し込む。怪物は血まみれの大口を開き、腐食の気配を帯びた黒い高濃度エントロピー霧を、一同へ覆いかぶさるように吐き出した。その臭いは腐った卵に焦げた革の臭いを混ぜたようだった。
モーフェイは慌てて拒絶ランタンを点けた。病的な緑の光が瞬時に広がる。
「防御陣形を展開!」騎士長が鋭く叫んだ。
騎士たちは一斉に円盾を掲げ、横一列に壁を作る。まばゆい白金色の「秩序場」が聖光とともに天へ立ち上った。
半球状のランタンの範囲と、騎士たちの方形の秩序場が重なり、一同を包み込む。
黒霧がぶつかると、激しい「ジジジ」という音と高温の蒸気が噴き上がった。秩序場は激しく震え、騎士団は必死に支える。ランタンの範囲も縮み始め、モーフェイは最後の冥息の実を投入せざるを得なかった。
死守する防御の末、この毒霧の波をどうにか耐えきった。
焦げた臭いが散り、短い死の静寂が落ちた。
「ククク、さすがは聖女だ。まさか『蝕級エントロピー魔』の攻撃を防ぐとはな」
裂け笑いの男が先に沈黙を破った。すぐに第二波を仕掛ける様子はない。
「攻撃!」騎士長は相手が探りを入れていると判断し、前列に突撃を命じた。いくつもの剣が一斉にエントロピー魔の前肢へ振り下ろされる。
ロックとカミラも即座に遠距離火力で支援した。だが雷撃と弾丸は、男の周囲の濃霧にぶつかった瞬間、数重の波紋を立てただけで消えてしまう。
裂け笑いの男は、もう一方の手も怪物の背へ差し込んだ。エントロピー魔は命令を注ぎ込まれたかのように、蒼白い肉の山を左へ大きく沈ませ、分厚い肉壁で騎士の陣列を力任せに叩きつける。鎧の砕ける音が連続し、二人の騎士が吹き飛ばされ、防衛線に明らかな穴が開いた。
同時に、エントロピー魔の幾重にも重なった肉体から小さな口が生え、高度に凝縮された腐食の射流を吐いた。それは梭の矢のように、ランタンの光の覆いの中心へ射かけられる。
すべてが速すぎた。強腐食の射流は防護を真っすぐ貫き、隊の中央にいるモーフェイへ襲いかかる。
その瞬間、カミラが動きを止めた。
半秒にも満たない間に、彼女の視線は森の奥へ流れた。後に続く面倒を、ほとんど予見できていた。だが腐食の射流はすでにモーフェイへ高速で迫っている。五メートル、三メートル、一メートル……
彼女は固く目を閉じ、そして勢いよく見開いた。
「くそっ、もう知らない!」
彼女はピンクのハート飾りが付いた魔杖を取り出し、頭上へ高く掲げた。
まばゆい閃光が瞬時に炸裂し、見覚えのある桃白色の魔法陣と星屑の光が再び浮かび上がる。
見えない力が彼女を中心に激しく爆ぜ、エントロピー魔とその背にいる裂け笑いの男を力ずくで静止させた。あの腐食の射流さえ、モーフェイの目前、手のひら一枚にも満たない位置で縫い止められる。
モーフェイはその隙を掴んで身をかわし、箱の中からプロトタイプ1号を掴み出した。
「晶封、早く!」
小さなやつの体が激しく震え、強烈な光輪と鳴き声を放つ。広大な灰白色の結晶が瞬く間に巨大なエントロピー魔へ這い上がり、その下半身の関節を地面にきつく縫い止めた。
巨獣の動きが制限された隙に、ヴァルクが身を低くして疾走する。手の猟刀は瓶中の幻獣の加護を受け、鋭い雷刃と化して、無防備な巨獣の腹を激しく横薙ぎにした。
肉が裂ける鋭い音とともに、蒼白い肉の山には骨まで見えるほど深い凄惨な裂け目が刻まれ、漆黒の粘液が噴き出した。
「食らえ!」アーダイが手際よく裂け笑いの男へガラス瓶を投げつけた。
ガラス瓶が裂け笑いの男の防御圏に当たった瞬間、鼓膜を裂くような内破の唸りが響き、彼の周囲を覆っていた濃霧が一気に崩れた。
同時に、ロックの杖から荒れ狂う雷霆が落ち、無防備になった裂け笑いの男へ正確に直撃する。
鈍い衝撃音とともに、裂け笑いの男は血を激しく噴き、地面へ重く叩き落とされた。
空気には焦げ臭さと荒ぶる電糸が満ちていた。一同はまだ恐怖の抜けきらない目で、地面に倒れ血を流し続けるその姿を見つめる。
足止め、守り崩し、そして最後の撃破へとつながる先ほどの連携は、力ずくで局勢を覆した。
しかし、叩き落とされた裂け笑いの男に恐怖は一切なかった。彼は苦しげに首を回し、下半身を晶封された巨大なエントロピー魔を見る。血に汚れた顔に、背筋が凍るほど狂熱的な笑みが咲いた。
「混沌の恩寵を、終焉へ帰さん──」
咆哮とともに、彼はエントロピー魔の腹に刻まれた骨まで見える裂け目へ自ら飛び込んだ。一同が衝撃に凍りつく視線の中、彼は体の大半を怪物の傷口の奥へ無理やりねじ込んでいく。
骨肉が強引にこね合わされる「ギシギシ」という音が響いた。下半身を潰されたはずの巨獣は、制御不能に膨張し、歪み始める。
轟!
天地を裂くような爆音。蒼白い肉の山全体が中央から外へ炸裂し、漆黒の血霧と灼熱の肉片が四方へ噴き出した。衝撃波を受け、一同は後ろへよろめく。
爆発の中心で、煙と血霧の中から不気味な輪郭がゆっくり立ち上がる。それは歪んだ人型の怪物だった。
裂け笑いの男の融合された半分の顔が、その胸元にはっきり浮かんでいる。口元には、なおもあの背筋の凍る笑みが張りついていた。
地面に落ちた肉片はどれも濃霧の中で狂ったように蠢き、わずか数秒でそれぞれ分裂し、膨れ上がり、数十体の小型エントロピー魔へ変わった。
小型エントロピー魔は甲高い悲鳴を上げ、潮のように一同へ押し寄せる。
局面は瞬く間に崩壊した。騎士団は隊形を維持できず、ロックの魔力は底を突き、カミラの魔法連射もどうにか押し止めるのが精一杯。ヴァルクは猟刀を振るいながらも完全に足止めされていた。アーダイとライフは重撃の余波で吹き飛ばされ、目を回すほど激しく転がった。
一体の小型エントロピー魔が、無防備な聖女へ飛びかかる。それを見たモーフェイは聖女の肩を掴み、横へ力任せに引きずった。エントロピー魔の爪は、彼女がいた場所をかすめて空を切る。
プロトタイプ1号は再び晶封を発動しようとしたが、結晶の強度はすでに大きく落ちていた。わずかな間だけ牽制したものの、すぐに砕き散らされる。
「退けません!」聖女は口元から血をにじませ、どうにか秩序場を支える。だがエントロピー魔の狂った攻勢を前に、白金色の防護シールドには無数の亀裂が走った。
カッ……パリン!
澄んだ破砕音とともに、秩序場は連鎖的に砕け散った。
白金の光の粒が消えていく。一同は切り札を使い果たし、この死地の中へ座り込むしかなかった。
その人型の怪物は、巨大なカマキリの鎌のような異化した腕をゆっくり持ち上げた。高みから聖女とモーフェイを見下ろし、胸元の半分の人面がさらに深い笑みを搾り出す。屠刀を振り下ろそうとしていた。
救援に間に合う者はいなかった。
息も詰まるその瞬間、上方の濃密な霧が突然、不自然にうねった。
バサッ、バサッ──
巨大な羽ばたきが死寂を裂き、異常なほど大きな黒鴉が堂々と割り込んできた。黒鴉の背には、体に沿った長衣をまとい、復古調の尖り帽子をかぶった女性が立っている。
黒鴉の周囲には、同じ装いで箒に乗る女性が数人いた。
黒鴉の上の黒衣の女性が指を上げ、下方へ向けて一つ指差す。
虚空で金属が擦れる音が爆ぜた。無数の太い黒鎖が地面から噴き出し、怪物たちをすべて乱暴に引き倒し、泥濘の中へ縛りつける。
「これは……巫術!」アーダイが叫んだ。
カミラは複雑な表情で、その黒衣の女性たちを見つめていた。




