第13話 夜風と背徳のバルコニー
煌びやかな舞踏会の喧騒が、黒塗りの馬車の窓の外へと遠ざかっていく。
密室となった車内で、カイルは私の身を包んでいた豪奢なシルクのドレスを、まるで不要な包装紙でも剥がすかのように冷淡に脱がしていった。
「魔法は終わりだ。これを着ろ」
無造作に顔に投げつけられたのは、あの塔の牢獄で着せられていた、みすぼらしい生成りの麻の服だった。
かつての私なら、この屈辱的な仕打ちに発狂して泣き叫んでいただろう。
けれど、素肌に触れるその荒い布地から、微かにカイルの革手袋の匂いと、暗い牢獄の冷たい空気が香った瞬間――私の胸の奥に、甘く痺れるような不思議な安らぎが広がったのだ。
(ああ、このゴワゴワした感触……これが私の今の、本当の姿なのね)
豪華なドレスは、ただの借り物。
私にとっての真実は、カイルに与えられたこの惨めな服と、首筋に刻まれた消えない噛み痕だけ。
私は誰に急かされるでもなく、自ら進んでそのゴワゴワとした服に袖を通し、飼い主の匂いに包まれる安心感に小さく息を吐いた。
しかし、その安寧は長くは続かなかった。
翌日の夜。
私は再び仮面をつけさせられ、厚い黒マントで全身をすっぽりと覆われたまま、カイルに連れ出された。
到着したのは、昨夜の優雅な社交界とは似ても似つかない、紫色の煙が立ち込める怪しげな宴の会場だった。
「マントを脱げ」
カイルの短い命令に従い、私が肩からマントを滑り落とすと、周囲の空気が一変した。
私が下に着せられていたのは、令嬢の装いとは程遠い、透けるような薄絹のシースルーと、胸の谷間やへそ、太ももが露わになった『踊り子』のようなひどく煽情的な衣装だったのだ。
「ひっ……」
途端に、会場にいる男たちの剥き出しの劣情が、無数の矢のように私を射抜いた。
かつて「表の社交界」で浴びていたような「高嶺の花への憧れ」など微塵もない。そこにあるのは、路地裏で肉の塊を「値踏みする」ような、野蛮で下劣な視線だけだ。
身がすくみ、反射的に胸元を隠そうとした私の腰を、カイルの太い腕がガシッと抱き寄せた。
「俺のそばから離れるな」
その言葉と、背中に密着する圧倒的な「雄」の熱。
瞬間、男たちの視線に晒される恐怖は、ドロドロとした倒錯的な喜びへと反転した。
(どんなにいやらしい目で見られても、私はこの最強の雄に守られている。……この人だけのものなんだわ)
私の歪んだ優越感を見透かしたように、カイルは鼻で嗤うと、私を会場の隅にある暗いバルコニーへと連れ出した。
重いガラス扉が半分開いたままのバルコニー。
冷たい夜風が、露出の激しい踊り子の衣装をすり抜けて素肌を撫でる。
手すりの向こうには暗い庭園が広がっており、下から見上げられれば、ここにいる私たちの姿は丸見えかもしれない。
さらに背後の扉の隙間からは、宴の狂騒的な音楽と、男たちの粗野な笑い声がすぐそばで聞こえてくる。
「っ……カイル、ここ、は……誰かに、見られ……っ!」
そんな極限の状況下で、カイルは私を背後から石の手すりに押し付け、両腕をきつく拘束した。
「見られればいい。お前が俺に乱される惨めな姿をな」
「いやっ、あ……ぁっ!」
冷たい夜風に晒された肌を、カイルの灼熱の掌が容赦なく這い回る。薄絹越しに胸の先端を捏ねられ、太ももの内側を野性的な指先が撫で上げる。
(嘘、嘘でしょ……こんな恰好で、こんな外に近い場所で……。でも、彼に触れられると、心臓が爆発しそうに喜んでしまう……!)
どんな恋愛小説の、どんな「耳年増な知識」も、今の私には全く追いつかない。
恐怖でガタガタと震えているのに、カイルの指が急所を掠めるたび、私の身体は勝手に腰を揺らし、もっと奥まで触れてほしいと彼に擦り寄ってしまうのだ。
「鳴け。お前が誰のものか、外の奴らに聞こえるようにな」
耳元に吹き込まれた、絶対的な独占欲を孕んだ低い囁き。
それだけで、私の頭の中に残っていた最後の「令嬢としての理性」の糸が、プツンと音を立てて千切れた。
「あ……んっ、わん……っ、くぅん……っ」
自分が誰なのか、ここがどこなのか。そんなことはもうどうでもよかった。
階下の喧騒も、冷たい夜風も、ただの快楽のスパイスでしかない。
私は涙と涎を垂らしながら、自分の全てを支配するカイルの指先だけを求め、底なしの熱の海へと完全に溺れていったのだった。




