第098話 鱗の壁
岩場に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
乾いた土と石の匂い。風が岩の隙間を抜け、低く唸る。足場は不安定で、平坦な場所はほとんどない。訓練場とはまるで違う地面だった。
「3体、右の岩陰に。2体、奥」
アイリスが囁く。いつもの余裕は消えている。
「計5体か」
ユイは小さく息を吐いた。想定は3体前後。数が違う。
「カイル、前に出るな。まず動きを見る」
「了解です」
カイルは踏み込みを抑え、大剣の柄に手をかけたまま様子を見る。
岩陰からアーマーリザードが姿を現した。
四足歩行。灰褐色の鱗が全身を覆い、鈍く光を弾く。体長は約2メートル。資料通りの外見――だが、体表の鱗が妙に厚く見えた。
「見るだけだと向こうが先に動く」
アイリスの声と同時に、ユイが決断する。
「行くぞ」
「任せてください!」
カイルが盾を構え、一直線に踏み込んだ。アーマーリザードが即座に反応し、鋭い爪を横薙ぎに振るう。
金属音が岩場に響いた。
カイルの盾が受け止める。衝撃で足元の小石が跳ねる。
そのまま剛力斬を振り下ろした。
刃は確かに背へ届いた――だが、弾かれた。
「……え?」
確実に当たっている。それでも鱗が厚すぎて食い込まない。
「関節を狙え。鱗が薄い」
ユイが叫ぶ。前脚と胴の接合部、後脚の根元。そこまで誘導するしかない。
「どうやって誘導する!」
カイルが盾で連撃を受けながら叫ぶ。押されている。
ユイは即断した。
「セイラ、足元を固めろ。ハンス、体勢を崩せ。エルザ、関節へ差し込め」
3段階の連携。
「……承知した」
セイラが杖を掲げる。氷槍が前脚手前へ突き刺さった。
だが凍結の広がりが浅い。リザードは後方へ跳び、範囲外へ逃れた。
「ハンス、今だ!」
「……!」
ハンスが踏み込み、重撃を振り下ろす。だが巨体はすでに移動していた。空振りの衝撃が地面を叩く。
エルザは強い日差しを見上げ、一瞬止まる。影が薄い。影潜みが使えない。
「……別角度から行く」
岩陰へ回り込むが、連携は崩れた。
奥の2体がこちらへ接近する。
3体同時。
「リリア、後衛を下げろ」
「承知しましたわ」
セリスとリリアが岩陰へ退く。
乱戦になった。
カイルが1体を引き受け、ユイは風刃斬で別の1体を牽制する。しかし直線軌道の斬撃は岩に阻まれ、角度が取れない。
鱗が硬い。攻撃が通らない。
時間だけが削られていく。
ランクCの相手に、ここまで苦戦するはずではなかった。
セイラが深く息を吸い、再度詠唱する。
氷が広がる。今度は前脚を確実に捉えた。
「固定!」
ハンスが即座に跳び、真上から重撃を叩き込む。巨体が揺らぎ、関節部が露出する。
その一瞬。
ユイは踏み込んだ。
風刃斬。
薄い部位へ正確に差し込む。
鱗の隙間を裂き、1体目が崩れ落ちた。
「この流れだ。同じ手順で行く」
声は落ち着いているが、内心は焦っていた。
残り4体。
同じ連携を繰り返す。ただし完璧ではない。凍結までの時間、崩しの角度、日差しによる影の制限。
一つずつ噛み合わせながら削る。
そのたびに、体力も魔力も削れていく。
最後の1体が倒れたとき、岩場は静まり返った。
荒い呼吸だけが残る。
ユイは地面に横たわる5体を見下ろした。
鱗の厚みが違う。
知識は間違っていない。だが、現実がわずかにずれている。
誤差か。
それとも――
何かが変わっているのか。
「全員、怪我の確認。回復はまとめてやる」
「はい……」
カイルが肩で息をしながら応じる。
予定より時間がかかった。消耗も大きい。
この岩場は、ただの素材回収地点ではない。
そんな予感が、胸の奥に残った。
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