第076話 影の監視者
王都ティリアスの夜は静かだった。
月明かりが石畳を照らし、建物の隙間を風が抜けていく。通りには人影がなく、遠くで犬が吠える声だけが響いていた。
建物の影に、一つの人影が潜んでいた。
黒いローブを纏い、フードを深く被ったその人物は、通りの向こう側にある冒険者ギルドの入口を見つめている。手には小さな手帳が握られ、時折、迷いのない動きで書き込みがなされていた。
ギルドの扉が開く。
中から数人の冒険者が姿を現す。
人影は身を低くし、さらに影の奥へと沈んだ。
8人。
先頭に立つのは黒銀の軽装鎧を纏った若い女性、ユイ・セイラス。その後ろに盾を背負った青年、長剣を腰に下げた戦士、弓を持つ女性、そして他の仲間たちが続く。
短い会話を交わした後、一行は通りを進み始めた。声は届かない。だが、装備と隊列から、高難度の討伐任務であることは明らかだった。
人影は手帳に走り書きする。
また、動き出したか。
ユイたちは闇の中へと消えていった。
完全に姿が見えなくなるまで見届けてから、人影は静かに立ち上がり、王都の裏路地へと身を滑らせた。
人目につかない古い建物が並ぶ一角。
表向きは廃屋だが、その裏には地下へと続く隠し通路が存在している。
人影は建物の裏手に回り、壁の一部に手を当てた。魔力が流れ、石壁が音もなく開く。地下へ続く石段が姿を現した。
足音を殺し、慎重に階段を降りる。
地下には広い空間が広がっていた。石造りの壁、薄暗い通路、点在する魔法灯。そして、同じ黒ローブを纏った複数の人影。
人影は通路の奥へ進み、一つの扉の前で立ち止まる。軽くノックした。
「入れ」
低く、威圧感のある声。
扉を開けると、広い部屋が現れた。壁にはエターナル・リアルム全体を示す地図が貼られ、各地に色分けされた印が刻まれている。
部屋の奥、椅子に腰掛けた人物がいた。
深いフードに顔は隠れているが、その存在感だけで、この組織の中枢に立つ者だと分かる。
人影はフードを外した。
中年の男性だった。短く刈り上げた髪に鋭い眼差し。長年、現場を渡り歩いてきた者の雰囲気がある。
「報告します」
静かな声が部屋に響く。
「ユイ・セイラスが、再び行動を開始しました」
椅子の人物は動かない。
「詳細を」
「冒険者仲間8人と合流し、ギルドを出発。目的地は不明ですが、装備から判断して高難度討伐の可能性が高いかと」
沈黙が落ちる。
やがて、低い声が返ってきた。
「引き続き監視を続けろ。必要と判断すれば、こちらも動く」
「了解しました」
男性は一礼し、部屋を後にした。
廊下には別の観察者が立っていた。
同じ黒ローブを纏った女性だ。フードを取ると、若い顔が覗く。
「また、あの冒険者?」
小さな呟き。
「上は、何を警戒しているの?」
男性は肩をすくめた。
「分からん。ただ、彼女の周囲で異常が重なりすぎている」
「偶然、とは思えないってことね」
「だからこそ、我々がいる」
二人は拠点の中央広間へと向かった。
長い机の上には報告書が並び、壁際には各地の記録が積まれている。魔法灯が淡く室内を照らしていた。
男性は棚から一つのファイルを受け取る。
表紙には名前が記されている。
ユイ・セイラス。
中には最近の行動記録、依頼内容、その結果。
そして、異常事象に関する報告。
北の森での異変。
封印陣付近での接触記録。
幻モンスターの出現地点への接近。
どれも単体なら偶然で済む。
だが、重なりすぎている。
男性はファイルを閉じ、壁の地図に目を向けた。
赤い印が、各地に打たれている。
封印が緩んでいる。
それは疑いようのない事実だった。
だが、その原因は分からない。
彼女が関与しているのか、それとも、ただ巻き込まれているだけなのか。
男性は手帳を開き、今日の報告を記す。
判断するのは、上だ。
我々は観測し、記録し、命じられた通りに動くだけ。
地下拠点に、再び静寂が戻った。
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