第209話 負傷者の手当て
廃墟から数時間の移動を経て、ようやく安全地帯に到着した。
王都の外れ、誰も立ち入らない古い神殿跡。かつては信仰の対象だったはずだが、今は風化した石壁が静かに立っているだけだ。その内部は、戦闘の痕跡から遠く離れた場所だ。
「ここで休息を取ります」
ユイが言った。その声は疲労を含んでいるが、指示は明確だ。
「了解です」
カイルが返答する。左腕の傷は深いが、彼は動き続けている。
全員が石壁に寄りかかって座り込んだ。17人。クロウフォール8人、ブレイズウォール4人、ラスティ5人。誰も欠けることなく、ここに集まっている。
「リリア、セリス、ナオミ。回復魔法をお願いします」
ユイが呼びかけた。
「わかりました。それでは、順番に対応させていただきますわ」
リリアが立ち上がる。エルフの癒し手は、疲労の中にも責任感を抱えている。
「セリス、ナオミ。手伝ってください」
「はい。水の癒しを準備します」
セリスが答えた。水魔法使いの声には、明るさが戻り始めている。
「わかりました。私も手伝いましょう」
ナオミが立ち上がった。ラスティの顧問・研究者は、いつもと変わらぬ落ち着きを見せている。だが、その目には何かが深く隠れているのをユイは見抜いた。だが、今それを聞く余裕はない。
「ザークス、先に診ましょう」
リリアがブレイズウォールの副官に近づく。重傷だが、意識は明確だ。
「申し訳ありません。ご負担をおかけして」
ザークスが恐縮する。その丁寧な口調は、レオンへの忠誠心と同じくらい深い。
「問題ありません。お役目ですから」
リリアが微笑んだ。癒し手としての使命感が、その表情に浮かぶ。
ユイはザークスの傷を観察した。右脇腹から腰にかけて、深い斬傷。内臓へのダメージがなければ、回復魔法で対応可能だ。
「リリア、大丈夫か」
「はい。内臓へのダメージはないようです。回復魔法で対応できます」
リリアが短く確認する。その判断は的確だ。癒し手としての経験が、その言葉に表れている。
「お願いします」
ユイが言った。
リリアが手をザークスの傷に当てた。淡い光が、手から放たれる。癒しの光。その光に包まれて、ザークスの傷が静かに塞がっていく。その過程は、医学的ではなく、ほとんど魔法だ。だが、効果は確実だ。
「終わりました」
数分後、リリアが手を離した。その声は疲労で若干かすれている。
「ありがとうございます」
ザークスが立ち上がった。その動きは自由だ。重傷は過去になった。
「次は誰ですか」
セリスが聞いた。水の癒しの準備が出来ているはずだ。
「カイル。左腕です」
ユイが指示した。
「あ、はい。よろしくお願いします」
カイルが近づく。その笑顔は、盾役らしい気楽さだ。負傷は彼の役割の一部だと、身体が理解しているのだろう。
セリスが水の癒しを唱える。青い光が、カイルの左腕を包む。その光は、リリアの光とは異なる。柔らかく、優しい。だが、効果は同じだ。傷が塞がっていく。
「できました」
セリスが笑った。その笑顔は、戦闘の後の安堵感に満ちている。
次々と、負傷者たちが癒されていく。
セイラの右足。ハンスの超重装甲の亀裂(これは魔法では直らないが、歩行に支障はないと判断される)。エルザの無数の切り傷。アイリスの軽い擦り傷。
ナオミは、ブレイズウォール側の負傷者たちにも手を貸した。
「お役に立てて光栄です」
ナオミが言った。その言葉は丁寧で、表面的だ。だが、その目の奥には何かが隠れている。彼女がラスティに属する本当の理由。その秘密は、まだ誰にも明かされていない。
回復魔法の施術が終わった時点で、リリアの疲労が明確になっていた。
「リリア、大丈夫ですか」
ユイが聞いた。
「……かろうじて、大丈夫です。これ以上の回復魔法は難しいですが」
リリアが正直に答えた。癒し手としての自分の限界を、正確に理解している。
「ご苦労様でした」
ユイが言った。その感謝の言葉は、心からのものだ。
全員を見渡した。
カイル。左腕の傷は塞がった。セイラ。右足の傷も塞がった。エルザ。無数の切り傷は、すべて閉じられた。アイリス。軽い擦り傷は完全に消えた。ハンス。左腕は失われたままだが、ゴーレムのため出血がない。右腕は完全に残っている。その状態でも、彼は全員を守り切った。リリアとセリス。疲労は深いが、二人とも無事だ。
ブレイズウォール側。レオン。右肩の深い傷は塞がった。ザークス。右脇腹の重傷は治療された。フィンとグレン。軽い傷は処置済みだ。
ラスティ側。ゼック。目立った傷はない。ノア。狙撃手として、距離を保っていたため負傷も軽い。ナオミ。戦闘参加者としては、傷も最小限だ。ルークとマーヴィン。斥候と重戦士として、役割を全うしながらも無事だ。
全員が、ここにいる。
「みんな、生きてる」
ユイは呟いた。その声は、心からの驚嘆に満ちている。
「……それが、奇跡だった」
その瞬間、全員がユイを見た。リーダーの言葉が、すべての者の心に届いた。誰も死ななかった。誰も倒れなかった。全員が、この場に立っている。その事実の重みを、全員が同時に感じた。
カイルの目に、涙の光が宿った。だが、彼は言わない。言葉ではなく、その目で、ユイへの信頼を伝える。
「本当に、全員ですね」
カイルが呟いた。その言葉は、感謝と驚嘆が混在している。
セイラは無言で頷いた。淡々とした氷魔法使いが、感情を表現する唯一の方法だ。
「誰も欠けていない」
セイラが淡々と言った。それは、事実の確認であり、同時に心からの喜びでもある。
エルザも、目だけで何かを伝えている。暗殺者の、深い承認だ。
「生き残った」
エルザの声は静かだが、その中に確実な感情が在る。
アイリスは小さく笑った。その笑顔には、戦闘の緊張から解放されたことが表れている。だが、その笑顔の奥に、深い疲労も隠れている。
「全員生き残るなんて、本当に奇跡だ」
アイリスが言った。その言葉は、彼女の本心だ。
ハンスは無言で頷く。守護者として、全員を守り切ったことの満足感。その満足感だけが、彼の心に在る。
「任務完了した」
ハンスが低い声で言った。それは彼にしては、言葉の多い返答だ。全員を守り切ったことへの、深い満足感の表れだ。
リリアとセリス。二人の癒し手は、互いに目を見つめた。その視線の中に、一緒に全員を救ったことの喜びが在る。
「皆さんが無事で良かった」
リリアが言った。その言葉は、疲労の中にも確実な喜びを含んでいる。
「本当にですね」
セリスが頷いた。水魔法使いの笑顔は、戦闘前よりも明るくなっている。
レオンも、その場に在った。最初はユイの指揮に反発していた男だ。だが、その目は、ユイへの信頼を示している。共闘を共に戦い抜いた者同士の、深い理解だ。
「全員無事。指揮は正しかった」
レオンが短く言った。その言葉は、ユイへの最大の承認だ。
ブレイズウォールのメンバーたちも、その感情を共有している。全員が無事。それは、レオンの判断とユイの指揮があったからこそだ。ザークスは深く頷き、フィンとグレンも無言で賛成の意を示す。
ラスティのメンバーたちも、その場の雰囲気を感じていた。三勢力が一つになった瞬間。その瞬間が、この場に在る。
「全員、よく戦った」
ユイが言った。その言葉は、単なる褒辞ではない。一緒に戦い抜いた者たちへの、心からの感謝だ。
「はい。ありがとうございました」
カイルが答える。その返答は、盾役としての信頼をすべて示している。
誰もが、その場に在る。生きている。全員が。
そして、それは本当に奇跡だったのだ。
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