第208話 戦場の跡
廃墟は、静寂に包まれていた。
ユイは廃墟の中を歩きながら、カオスナイトの残骸をじっと観察していた。朝日に照らされた残骸は、昨夜よりも確実に小さくなっていた。その縮小は、物理的な崩壊ではなく、消滅に近い。残骸の端から、静かに光が散り始めている。その光は、まるで砂粒のように空気に溶けていく。
「……正しかった」
ユイは呟いた。その確信は明確だ。
前世での知識。幻モンスター討伐後、その肉体は数日から数週間かけて消滅する。その過程は決して急ではない。ゆっくりと、時間をかけて、元の世界へと還っていく。その過程を、ユイは今、目の当たりにしていた。知識が、現実と一致した。
それは安堵感をもたらした。同時に、重圧感ももたらした。なぜなら、その知識の正確さは、もう一つの事実をも正確にしていたからだ。この倒した者も、また蘇る。数年後に。その時が来るまで、世界は新しい均衡の中で生きることになる。
「ユイ」
カイルの声が聞こえた。ユイは振り向く。左腕に包帯を巻いた盾役が、確認の表情で立っている。
「大丈夫ですか?」
カイルの問いは、心配ではなく確認だ。リーダーの次の指示を待っている。
「ああ。メンバーの状態を確認しよう」
ユイは言った。
「はい。リリアとセリスが回復魔法を準備しているとのことです」
カイルが報告する。その声は迅速で、責任感に満ちている。
「了解。セイラはどうだ」
「右足を引きずっていますが、歩行に支障はないとのこと。ハンスが付き添っています」
カイルが続ける。
ユイはセイラとハンスに目を向けた。ドラゴニュートの氷魔法使いは、超重装甲の守護者に寄りかかっている。ハンスは無言でセイラの体重を支えている。その関係は、指示を必要としない。本能的な信頼だ。
「エルザはどこだ」
「角の影に。暗殺者らしく、ひとりで休んでいます」
カイルが答えた。
ユイはエルザの元へ向かった。暗殺者は角の影に座り込んでいた。その姿は、本当に動かない。動かないことで、存在を消す。それが彼女の流儀だ。
「エルザ」
ユイが声をかけると、エルザはゆっくり顔を上げた。その目は、いつもと変わらず冷静だ。
「……無事か」
エルザの声は静かで、疲労も滲み出ていない。だが、その身体は明確に疲弊している。暗殺者としての役割を最後まで全うした代償は、深い疲労だ。
「ああ。移動しよう。王都まで」
「……了解」
エルザが立ち上がる。その動きは緩慢だが、確実だ。
アイリスに目を向けると、彼女は最も無傷に近い状態だった。だが、その目には疲労が滲み出ている。情報収集で最後まで支えた緊張の糸が、ようやく切れようとしている。
「アイリス、偵察を頼む」
「了解。前方の確認してくるね」
アイリスが軽く返答し、走り始める。その軽さは、もう緊張の中にはない。戦闘が本当に終わったことを、彼女の身体が理解し始めている。
ブレイズウォール側では、レオンが指揮を続けていた。
「ザークス、グレン、フィン。集合」
「はい、レオン様」
ザークスが返答する。重傷だが、その声に迷いはない。副官としての忠誠心は動いていない。
「移動準備が出来ました」
グレンが短く報告した。古参の炎魔法使いは、黙々と準備を整えていたはずだ。フィンも頷いた。
一方、ラスティではゼックが軽い口調で指示していた。
「さあ、行きましょうか。面白い旅になりそうだ」
「確認しました。全員無傷です」
ノアが狙撃位置から降りてきて、武器を確認しながら報告する。狙撃手の視点は、微妙な変化を見逃さない。
「ルーク、マーヴィン、荷物は?」
「準備完了」
ルークとマーヴィンが無言で頷いた。斥候と重戦士は、黙々と役割を果たしている。
ユイはレオンへ近づいた。
「準備は出来たか」
「ああ。ザークスが重傷だが、行動に支障はない」
レオンが短く答えた。その言葉の奥に、信頼がある。自分の部下を信じている。
「了解。帰路に向かおう」
ユイが言う。その声は静かだったが、全員に迷いがなかった。
「そうですね」
カイルが賛成する。
「了解」
レオンが頷いた。
三つの勢力が並び始める。あり得ない光景だ。王都の冒険者ランキングで、最下位、3位、4位のパーティが肩を並べて歩く。その光景は、世界の常識に反している。
後ろを振り返ると、カオスナイトの残骸は相変わらず静かに消えていく。数日後には、その痕跡さえも残らないだろう。そして、数年後には……ユイはそこまで考えるのをやめた。
今、考えるべきことは、目の前のメンバーたちを無事に帰すことだけだ。全員が立っている。全員が歩くことができる。それだけで十分だ。
クロウフォール、ブレイズウォール、ラスティ。三つの勢力が、廃墟を後にした。その背後で、カオスナイトの残骸は、静かに光を放ち続けていた。
王都への帰路は遠い。しかし、その道のりの先には、新しい世界が待っていることを、ユイは知っていた。全員が無事に帰ることができれば、それで十分だ。
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