第207話 世界が震えた
戦闘は終わっていた。
ユイは短剣を握り直した。全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、その疲労さえも、戦いが本当に終わったことを証明していた。カオスナイトの肉体が最後の輝きを放ち、その存在が現世から消えようとする瞬間。その瞬間を、ユイは確かに感じ取っていた。
「全員、集合。負傷者の確認をする」
ユイの声は静かだったが、全員がそれに従った。クロウフォール、ブレイズウォール、ラスティ。三つの勢力の者たちが戦場に散った場所から集まり始める。灰色の廃墟の中で、彼らは全員が立っていた。倒れている者はいない。死んだ者もいない。
「全員、無事か」
ユイが確認する。
「はい。左腕に傷を負いましたが、戦闘には支障ありません」
カイルが報告した。その声には迷いがない。左腕の傷は深いが、カイルの眼光は揺るがない。盾役としての役割を最後まで全うした達成感が、その表情に滲み出ている。
「私たちのメンバーも全員生存。ザークスは重傷だが、命に別状なし」
レオンが短く告げた。ぶっきらぼうな口調だが、その中に確実な安堵が含まれている。右肩が深くえぐられているにもかかわらず、指揮官としての姿勢は崩れていない。
「ラスティも全員そろってます。さすがに疲れましたけどね」
ゼックが軽く笑った。その笑顔の奥に、深い疲労が隠れているのをユイは見抜いた。古参の遊び人は、本当の顔を隠すのが上手い。
全員が無事だ。それは、奇跡に近い結果だった。
ユイは戦場の隅に目を向けた。カオスナイトの残骸が、徐々に消えていく。朝日に照らされたその肉体は、昨夜よりも確実に小さくなっていた。その縮小は、物理的な崩壊ではなく、消滅に近い。残骸の端から、静かに光が散り始めている。その光は、まるで砂粒のように空気に溶けていく。
「あれが、消えていくのか」
アイリスがささやいた。その呟きは、他の誰にも聞こえないほど小さい。だがユイには聞こえた。偵察役の視覚は、細部を捉えている。
「そうだ。……知識が、正しかった」
ユイは短く答えた。
前世での記憶。幻モンスターの討伐後、その肉体は数日から数週間かけて消滅していく。その過程は決して急ではない。ゆっくりと、時間をかけて、元の世界へと還っていく。その過程を、ユイは今、目の当たりにしていた。知識が、現実と一致した。それは安堵感をもたらした。同時に、重圧感ももたらした。なぜなら、その知識の正確さは、もう一つの事実をも正確にしていたからだ。
「ユイ、大丈夫ですか?」
カイルが近づいてきた。その目は心配ではなく、確認の色だ。
「ああ。メンバーの状態を見ていた」
「そうですか。リリアとセリスが回復魔法を準備しているとのことです」
「わかった。ハンスはセイラを見ていてくれ」
ユイが指示すると、無言でハンスが頷いた。超重装甲の守護者は、セイラの肩に手を置いている。セイラは右足を引きずっているが、その目は冷静だ。
その時だった。
世界が、震えた。
物理的な揺れではない。だが、確かに何かが動いた。空気の流れが一瞬逆転し、光の角度が変わった。その変化は一秒未満で、戦場にいるユイたちにその詳細は把握できない。だが、その異変は確実に起きていた。
「何か、起きた……?」
セイラが呟いた。淡々とした口調だが、その中に違和感が含まれている。氷の魔法使いの感覚は、微妙な変化を察知する。
「戦闘の余波だろう」
レオンが判断した。その推測に、全員がうなずく。理性的で、戦場にいた誰もがその判断に同意する。
しかし、ユイの中には確実な疑問が残っていた。幻モンスター討伐による世界への影響。それは前世でも経験した現象だ。世界の均衡が破られ、新たな均衡が形成される過程。その過程で、様々な異変が発生する。今、その異変が起きているのだ。ユイはそのことを誰にも言わなかった。話せば、パニックになるかもしれない。だが、本当は別の理由だ。自分自身が、その異変の詳細を理解していないからだ。
「帰ろう」
ユイは言った。その声は静かだったが、全員に迷いがなかった。
「そうですね。王都まで、気を抜かずに進みましょう」
カイルが賛成する。その返答は即座だ。盾役は、リーダーの決定を信じている。
「了解」
レオンが頷いた。簡潔で、迷いがない。
「さあ、行きましょうか。面白い旅になりそうだ」
ゼックが立ち上がった。その口調は軽いが、その奥には何かが隠れている。
三つの勢力が並び始める。あり得ない光景だ。王都の冒険者ランキングで、最下位、3位、4位のパーティが肩を並べて歩く。その光景は、世界の常識に反している。だが、誰も疑問を呈しなかった。
その時、空白の地点の彼方で、かすかな光が消えた。その光は誰にも気づかれなかった。
シャドウ・ヴェール。観察者たちの組織。秘密拠点の奥深くでは、上司派が動揺していた。その施設の奥、暗い部屋で。
「7番柱の光が、消えた……?」
声にならない呟きが放たれた。その声の主は、顔色を失くしていたはずだ。報告を受けた瞬間、その体は緊張に包まれた。だが、その反応は、より大きな陰謀の一部に過ぎなかった。
同じ時刻、別の場所。
ザインは報告書を読み終わった。その内容は、彼の計画が正確に進行していることを示していた。ほぼ完璧に。カオスナイトの討伐。三勢力の共闘。世界への影響。すべてが、計画通りだ。
彼は静かに笑った。
「世界は、確実に動き始めている」
ザインの呟きは、誰にも聞かれることなく、室内に消えていった。その笑顔には、深い満足感が詰まっていた。計画の成功。その実感が、彼の内側に満ちている。
帰路での三つの勢力。その歩みの先には、新たな世界が待っている。世界が震えた。その振動の中で、何かが確実に変わろうとしていた。
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