第191話 副官の重傷
闇の中で、レオンは炎を放ち続けていた。
分身が二体、目の前にいる。赤い目が、闇の中で揺れている。じりじりと距離を詰めてくる。
「燃えろ……!」
両手から炎を放った。赤い炎が闇を切り裂き、分身を包み込む。だが、効かない。分身は炎を吸収し、むしろ動きが速くなっている。
「くそっ……!」
分かっている。魔力攻撃は逆効果だと、ユイに言われた。だが、炎以外にどう戦えというのか。レオンは炎魔法の使い手だ。それ以外の戦い方を、知らない。
ザークスが、レオンの横で剣を振るっていた。的確な剣技で、分身の攻撃を受け流している。無駄のない動き。冷静な判断。さすがは副官だ。長年、レオンの傍で戦い続けてきた男。その実力は、レオン自身が一番よく知っている。
フィンとグレンは、少し離れた場所で別の分身と戦っていた。二人がかりで一体の分身を相手にしているが、押されている。フィンの動きが鈍い。若い戦士は、明らかに疲労が限界に達していた。
「フィン! 下がりすぎるな!」
レオンが怒鳴った。
「は、はい!」
フィンが返事をした。だが、その声には余裕がない。恐怖と疲労が、声に滲んでいる。
グレンは黙々と戦っている。古参の部下は、言葉少なに、しかし確実に分身の攻撃を防いでいた。だが、彼も消耗している。動きが、徐々に遅くなっている。
このままでは持たない。
全員が消耗している。レオン自身も、魔力の残量が心許ない。炎魔法を使いすぎた。残りの魔力で、あと何発撃てるか。
「レオン様」
ザークスが、剣を振るいながら言った。
「このままでは、全滅します」
「分かっている」
「撤退を考えるべきです」
「できるか。この闇の中で、どこに逃げる」
ザークスは黙った。彼も分かっているのだ。退路がないことを。ダークドメインは、廃墟全体を覆っている。どこに逃げても、闇から逃れられない。
その時、フィンが悲鳴を上げた。
「うわっ……!」
分身の攻撃を受け、フィンが吹き飛ばされた。地面に転がり、剣を取り落とす。若い戦士は、すぐに立ち上がれなかった。足がもつれ、膝をついている。
分身が、倒れたフィンに向かって剣を振り上げた。
「フィン!」
レオンが叫んだ。だが、距離がある。間に合わない。炎を放とうとしたが、分身の方が速い。
ザークスが動いた。
レオンの横から飛び出し、フィンの前に立ちはだかった。剣を構え、分身の攻撃を受け止めようとする。
だが、ザークスの動きは、一瞬遅れていた。
フィンをかばおうとして、無理な体勢で飛び込んだ。本来なら完璧に受け流せるはずの攻撃が、受け流せなかった。
分身の剣が、ザークスの防御を破った。
そして、腹部を貫いた。
「が……っ」
ザークスの口から、血が溢れた。剣が、腹部を突き抜けている。
「ザークス!」
レオンが叫んだ。
分身が剣を引き抜いた。ザークスの体から、大量の血が噴き出す。赤い血が、闇の中に飛び散った。膝が折れ、ザークスは地面に崩れ落ちた。
「ザークス! ザークス!」
レオンは分身を無視して、ザークスに駆け寄った。炎を放ち、分身を牽制する。分身は後退し、距離を取った。だが、完全には退かない。機会を窺っている。
「おい、しっかりしろ!」
レオンはザークスを抱き起こした。腹部の傷は深い。内臓まで達している。血が止まらない。手で押さえても、指の間から血が溢れ出る。
「レオン……様……」
ザークスが、かすれた声で言った。顔は蒼白で、唇が紫色に変わり始めている。
「喋るな! 今、治療を……」
「先に……行って、ください……」
「馬鹿を言うな!」
レオンが怒鳴った。声が震えている。
「お前を置いて、どこに行く!」
「私は……もう……戦えません……」
「黙れ! 死ぬな! 死ぬことは許さん!」
ザークスの顔が、さらに蒼白になっていく。目の焦点が、合わなくなっている。眼光が、消えかけている。
「フィンを……グレンを……頼みます……」
「お前が頼め! 自分で! 生きて!」
レオンの声が、震えていた。
ザークスは、レオンの若い頃から傍にいた。まだレオンが駆け出しの冒険者だった頃、最初に仲間になってくれた男だ。
何度も、命を預けた。何度も、背中を守ってもらった。レオンが無茶をするたびに、諫めてくれた。暴走しそうになるたびに、止めてくれた。
その男が、目の前で死にかけている。
部下を守るために。若いフィンを守るために。
「ザークス……!」
レオンは、ザークスの手を握った。冷たい。血の気が、引いている。
「レオン様……」
ザークスが、微かに笑った。血塗れの顔で、それでも笑った。
「あなたは……強い……」
「黙れ……」
「だから……大丈夫、です……」
「黙れと言っている……!」
レオンの目から、涙が溢れた。
こんなところで、こんな形で、部下を失うのか。自分の指揮の下で、自分の目の前で。
許せなかった。
自分が許せなかった。
「俺の……部下を……!」
レオンは顔を上げた。
分身たちが、闇の中で待っている。赤い目が、こちらを見ている。獲物を狙う捕食者のように。
レオンの顔に、初めて焦りが映った。
同時に、怒りが燃え上がった。
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