第178話 ザインの影
同じ頃、森の奥深くに、もう一つの動きがあった。
古代遺跡。苔むした石壁に囲まれた空間に、3つの人影が立っていた。
ザインは封印の石碑を見上げた。高さは2メートルほど。表面には古代文字が刻まれ、中央に複雑な紋章が浮かび上がっている。紋章は微かに光を放ち、規則的に明滅を繰り返していた。心臓の鼓動のように、ゆっくりと。だが、その間隔は徐々に短くなっている。
「状況は」
ザインが短く問うた。黒の戦闘服に身を包んだ男。短髪に鋭い目つき。引き締まった体格は、戦闘専門の観察者としての修練を物語っている。
「予定通りです」
傍らに立つミラが答えた。黒髪を短く切り揃えた女性。細身の体躯に短剣を2本携えている。Aランク相当の実力を持ち、幻術と情報操作を得意とする。その目は冷たく、感情を読み取ることができない。
「封印の弱体化は順調に進んでいます。廃墟の封印陣も、もう限界でしょう」
「冒険者どもは」
「廃墟に留まっています。クロウフォールとブレイズウォール、計12名。動く気配はありません」
ザインは小さく頷いた。クロウフォール。最下位のクラウン。だが、そのリーダーは気になる存在だった。ユイ・セイラス。あの女は何かを知っている。幻モンスターについて、普通の冒険者が持ち得ない知識を持っている。
だが、今は関係ない。
もう一人の男、ドレイクが石碑の傍で腕を組んでいた。大柄な体躯に重厚な鎧。背中には大剣を背負っている。寡黙な男だが、その実力はSランク相当。防御魔法を得意とし、ザインの右腕として長年共に行動してきた。
「あいつらが気づく前に、終わらせるべきだ」
ドレイクが低く言った。
「気づいても遅い」
ザインは石碑に歩み寄った。古代文字が刻まれた表面に手を伸ばす。指先が紋章に触れる直前で、一度止まった。
シャドウ・ヴェールの上司たちは、均衡を保とうとしている。幻モンスターを封じ、世界の秩序を維持することが観察者の使命だと信じている。だが、それは停滞だ。権力にしがみつく老害どもの言い訳に過ぎない。
世界を変えるには、まず壊さなければならない。
「時が来た」
ザインの掌が、紋章に触れた。
魔力が流れ込む。ザインの体内から、石碑へ。黒い光を帯びた魔力が、紋章の溝を伝って広がっていく。影を操る魔法。それがザインの本領だった。通常は戦闘に用いるその力を、今は封印を侵食するために使っている。
紋章が激しく光り始めた。青白かった光が、赤みを帯びていく。脈動が速くなる。石碑全体が震え始め、周囲の空気が重くなった。
「ザイン様」
ミラが一歩下がった。ドレイクも警戒するように身構える。
「問題ない」
ザインは動かなかった。掌を石碑に押し当てたまま、魔力を注ぎ続ける。額に汗が浮かぶ。全身の魔力を絞り出すような感覚。だが、ここで止めるわけにはいかない。
ひび割れが走った。
紋章の中央から、亀裂が広がる。蜘蛛の巣のように、石碑全体へ。光が亀裂から漏れ出し、赤と青が混ざり合った不吉な輝きを放つ。
「崩れる」
ドレイクが呟いた。
ザインは掌を離さなかった。最後の魔力を注ぎ込む。
「解放しろ」
低く、命じるように。
石碑が、砕けた。
轟音と共に、古代の封印が崩壊する。破片が飛び散り、光が爆発するように広がった。ザインは腕で顔を庇いながら、その光景を見つめた。
石碑があった場所には、何も残っていなかった。ただ、地面に刻まれた紋章の痕跡だけが、消えかけた光を放っている。
「終わりましたね」
ミラが静かに言った。
「始まりだ」
ザインは砕けた石碑の残骸を見下ろした。
この石碑は、廃墟の封印陣と繋がっていた。中枢を破壊すれば、末端も崩れる。今頃、廃墟では封印が完全に解けようとしているはずだ。カオスナイトが目覚める。幻モンスターが、顕現する。
「撤収する」
ザインは踵を返した。ミラとドレイクが後に続く。
森の奥へ消えていく3つの影。その背後で、空が微かに震えた。遠く離れた廃墟で、何かが起きている。
ザインの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
計画は、順調だった。
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