第176話 脈動
深夜。
ユイは目を覚ました。
何かが、おかしい。
焚き火はまだ燃えている。仲間たちは眠っている。見張りのカイルも、入口付近で静かに立っている。
だが、空気が重い。
息苦しいほどの圧迫感が、胸を押さえつけている。
ユイは静かに起き上がった。
周囲を見回す。
ブレイズウォールの野営地も静かだ。レオンたちも眠っているようだった。
何も、異常はない。
だが、この感覚は何だ。
ユイは耳を澄ませた。
風の音。木々のざわめき。焚き火が爆ぜる音。
それ以外に、何かが聞こえる。
低い音。
規則的な、低い音。
心臓の鼓動のような音が、どこかから響いている。
ユイは立ち上がった。
カイルがこちらを見た。
「ユイさん?」
「……少し、見てくる」
「何かありましたか?」
「分からない。だが、確認したい」
カイルは頷いた。
「気をつけてください」
ユイは廃墟の中へ足を踏み入れた。
薄暗い通路を進む。月明かりが、崩れた天井から差し込んでいる。
音が、大きくなっている。
心臓の鼓動のような、規則的な音。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
封印陣のある大広間に近づくにつれ、音は明確になっていった。
ユイは大広間の入口で足を止めた。
息を呑んだ。
封印陣が、光っている。
昼間よりも、明らかに強い光。
青白い光が、大広間全体を照らしていた。
そして、その光が脈打っている。
規則的に、明滅を繰り返している。
まるで、生き物の心臓のように。
ユイは一歩、前に出た。
陣の中央を見つめる。
ひび割れが、広がっていた。
昼間見た時よりも、明らかに大きくなっている。
亀裂が、陣の中心に向かって走っている。
封印が、崩れようとしている。
「……もうすぐ、解ける」
ユイは呟いた。
確信があった。
この脈動。この光。この亀裂の広がり。
封印は、限界に近づいている。
カオスナイトが、目覚めようとしている。
前世の記憶が、頭の中で蘇る。
あの時のカオスナイト。闇を纏い、分身を生み出し、魔力を吸収した。
一人で戦い、死闘の末に倒した。だが、その戦いで多くのものを失った。
時間も、自分自身の一部も。
あれでさえ、圧倒的な脅威だった。
だが、今度は違う。
封印されていた。長い間、力を蓄えていた。
リリアが言っていた。封印は古い。数十年、あるいは百年以上。
それだけの時間、力を溜め込んでいたとしたら。
前世より強い可能性がある。
ユイは拳を握った。
冷たい汗が、背中を伝った。
どうする。
今すぐ仲間を起こすべきか。
レオンたちにも伝えるべきか。
だが、まだ解けていない。
脈打っているが、封印はまだ保っている。
亀裂は広がっている。光は強くなっている。だが、完全には崩れていない。
今夜中に解けるとは限らない。
明日かもしれない。数日後かもしれない。
だが、近いのは確かだ。
時間がない。
ユイは封印陣を見つめ続けた。
青白い光が、規則的に明滅している。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
その音が、ユイの鼓動と重なった。
陣の中央、最も深い場所に何かがいる。
長い眠りから、覚めようとしている。
秩序を否定する騎士。闇を纏う者。
カオスナイト。
「……準備が必要だ」
ユイは静かに言った。
カオスナイトが目覚める。
それは、もう避けられない。
ならば、迎え撃つしかない。
前世では、逃げた。
今度は、違う。
今度は、仲間がいる。
8人のクロウフォール。そして、ブレイズウォールの4人。
12人で戦えば、勝機はある。
ユイは踵を返した。
大広間を出て、通路を戻る。
石の床を踏む足音が、静かに響く。
背後で、封印陣が脈打ち続けていた。その音が、ユイの背中を追いかけてくる。
外に出ると、夜空が広がっていた。
星が瞬いている。月は西に傾き、夜明けが近いことを告げていた。
静かな夜だった。
虫の声も、鳥の声も聞こえない。森全体が息を潜めているような静けさ。
だが、その静けさの下で、何かが蠢いている。
封印の下で、何かが目覚めようとしている。
ユイは焚き火の傍に戻った。
仲間たちは、まだ眠っている。
リリアは杖を抱えて丸くなっている。アイリスとセリスは並んで寝息を立てている。エルザは影のように静かに横たわり、ハンスは座ったまま微動だにしない。セイラは少し離れた場所で、空を見上げるように仰向けになっていた。
カイルが、入口から戻ってきた。
「ユイさん、何かありましたか」
「……いや」
ユイは首を振った。
「明日、話す」
「分かりました」
カイルは頷き、再び見張りの位置に戻った。
ユイは焚き火の傍に座った。
今は、起こさない。
明日、話す。
封印が近いうちに解けること。
カオスナイトが出現すること。
そして、戦う準備をしなければならないこと。
全てを、伝える。
ユイは空を見上げた。
夜明けまで、あと数時間。
その間に、何が起きるか分からない。
だが、ユイは覚悟を決めていた。
何が来ても、立ち向かう。
前世では、一人で戦った。
今は違う。仲間がいる。
8人のクロウフォール。
今度こそ、全員で勝つ。
封印の下で、カオスナイトが脈打っていた。
第21章 完
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