第161話 報告の届け先
シャドウ・ヴェールの拠点。
王都ティリアスの裏路地に隠された、石造りの地下施設。薄暗い通路を魔法の明かりだけが照らしている。
ザインは記録室に入った。
壁際に並ぶ棚には、厚いファイルが詰め込まれている。冒険者の記録、依頼の履歴、幻モンスターの目撃情報。シャドウ・ヴェールが収集した情報が、この部屋に集約されていた。
机の上に、新しい報告書が置かれている。
現場の観察者からの報告だ。ザインは報告書を手に取った。
「クロウフォール。空白の地点に到達。8人全員が生還。滞在時間、約2時間」
ザインの目が止まった。
空白の地点。15本の柱が立つ場所。
あの場所に到達した冒険者は、これまでにも何人かいた。だが、全員が「消えた」ことになっている。
シャドウ・ヴェールが確保した。
組織にとって不都合な目撃者は、排除するか、利用するか。あの場所に辿り着いた者たちは、今は組織の工作員として動いている。記憶を書き換えられ、別人として。
クロウフォールは8人全員が生還した。
確保されずに。
ザインは報告書を置き、棚へ向かった。
「クロウフォール」と書かれたファイルを引き出す。結成から日が浅いクラウンだ。
リーダーの名前。ユイ・セイラス。18歳。女性。
ザインの指が止まった。
上司から命じられた監視対象だ。カオスナイト戦でユイたちは撤退した。だが、全員が無事だった。
あの戦いで、ザインは上司派の精鋭10人を殺した。意図的に連携を崩し、孤立させ、カオスナイトに殺させた。組織の主力を削るために。
だが、ユイたちは8人全員が生きて逃げ切った。
「なぜユイ・セイラスたち8人は生還できたのか」
上司の問いが、頭の中で反響する。
ザインは表向き忠実な部下として答えた。「あの冒険者たちは、幻モンスターについて、我々より多くを知っている可能性があります」と。
上司は「引き続き監視を続けろ」と命じた。裏切りには気づいていない。
ザインはその命令に従い、観察を続けてきた。
だが、今日の報告は違う。
空白の地点。15本の柱。
あの場所は、シャドウ・ヴェールにとって重要な監視対象だ。定期的に観察者を送り、管理している場所。幻モンスターの名前が刻まれた柱。
クロウフォールがそこに到達した。そして、全員が生きて戻ってきた。
なぜ確保されなかった。
誰かが見逃したのか。それとも、手を出せなかったのか。
ザインは椅子に座り、報告書を読み返した。
「滞在時間、約2時間。何かを持ち帰った形跡あり」
何を持ち帰った。
ザインの胸の奥で、何かが警告を発していた。
理由は分からない。論理ではない。ただの本能だ。
この情報は、上へ上げてはいけない。
空白の地点への到達。それを上司に報告すれば、上司は動く。監視を強化するか、接触を図るか、あるいは——排除を命じるか。
どの選択肢も、今は望ましくない。
なぜそう思うのか、自分でも分からなかった。上司への報告は義務だ。ザインは裏切り派のリーダーだが、表向きは忠実な部下を演じている。命令には従ってきた。
だが、この情報だけは——
ユイ・セイラス。
その名前が、頭の中で反響していた。
18歳。だが、動き方が違う。判断が速い。まるで何十年も戦場を歩いてきた者のようだ。
年齢と動きが、一致しない。
そして今日、空白の地点に到達した。15本の柱を見た。幻モンスターの名前が刻まれた場所を。
ザインは報告書を閉じた。
今日の報告には、この件を含めない。
「空白の地点への到達」は削除する。
理由は後から考える。今は、この名前を隠す。ユイ・セイラスという名を、この件から切り離す。
机の引き出しを開け、報告書をしまった。鍵をかける。
立ち上がり、記録室を出る。廊下は静かだった。
上司への報告書は、別に作成する。クロウフォールの動向について、当たり障りのない内容で。空白の地点への到達は、記載しない。
虚偽報告。
組織への反逆の第一歩。
だが、ザインは迷わなかった。
ユイ・セイラス。
あの名前に、何かがある。まだ分からない。だが、分からないまま動く。
これは組織のためではない。
自分自身の、本能だ。
ザインは一人、記録室から出た。目は鋭い。何かを追う狩人のような瞳。
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