第147話 セイラが、一人で試していた
訓練場の扉が、わずかに開いていた。
夜明けにはまだ早い時間だ。回廊を歩いていたユイは、隙間から漏れる青白い光に気づき、足を止めた。炉の火ではない。魔力特有の揺らぎを帯びた光。波打つように明滅している。
静かに扉を押す。
中にいたのは、セイラだった。
訓練場の中央に立ち、トレーニング用の杖を前に構えている。額には汗が滲み、呼吸は浅い。いつからここにいたのか分からない。杖の先から霧のような白い魔力が生まれては消え、生まれては消える。
小さく。
少し大きく。
また小さく。
意図的に出力を揺らし、その都度、指先と腕、体幹に走る感触を確かめている。
ユイが近づいても、セイラは振り返らなかった。
「……トレーニング用では限界がある」
低い声。説明ではない。ただ、現状を置いただけだ。
「本杖が戻ったとき、制御の幅がどこまで変わるか。今から試しておきたい」
ユイは何も言わず、隣に立った。助言のためでも、止めるためでもない。ただ、そこに立つ。
訓練場の空気に、薄い霧が漂う。外から鳥の声が聞こえた。夜明け前の、まだ冷えた空気を震わせる小さな鳴き声。
しばらくして、セイラが杖を一度下ろす。
「……出力が跳ねる可能性がある。幅を広げておけば、暴発は防げる。今やれることは、今やる」
「前から制御は課題だったな」
「今より荒くなる。分かっている」
「どうするつもりだ」
「慣れる。他に方法はない」
言い切ったが、声の奥にわずかな硬さがあった。
再び杖を構える。
今度は、先ほどよりも少し強い出力。霧が広がり、空気が震える。壁に触れる直前で、出力を絞る。絞りすぎれば途切れ、広げすぎれば暴れる。その狭い幅を探している。
ユイは横目で見ていた。
昨日の食堂で、セイラはどこか遠い顔をしていた。その理由は、これだ。一人で先に進もうとしている。
やがて、セイラが杖を下ろす。今度は疲労ではなく、区切りをつけた動きだった。
「……ユイは、制御が噛み合わないと感じたことがあるか」
少し考える。
「ある。知っている動きと、体が出せる動きが一致しないときだ。どちらかが先走る」
セイラは黙る。
だが、杖を握る手の角度が変わった。力がわずかに抜ける。
「……それは、どうした」
「慣れた。時間はかかった」
「何日だ」
「覚えていない。ただ、ある日、違和感が消えていた」
特別な方法はない。積み重ねだけだ。
セイラは再び杖を構える。
今度は最小出力から始め、ゆっくりと上げていく。さきほどまでの焦りがない。暴れない範囲を探すのではなく、安定する中心を探している動きだ。
霧が静かに広がり、均一に保たれる。
ユイはそれを確認し、踵を返した。
扉へ向かう。
背中に向けて言う。
「アイリスもセリスも、同じ問題を抱えている。1人で背負う話ではない」
わずかな沈黙。
「……分かっている」
振り返らないままの返事だった。
扉に手をかける。
背後から、小さな声。
「ありがとう」
かすかだが、確かに聞こえた。
ユイは振り返らない。
扉を閉め、回廊へ出る。冷たい空気が頬に触れる。東の空が、わずかに色を変え始めている。石畳に足音が響く。
セイラは、礼を口にする人間ではない。
だからこそ、あの一言は重い。
特別なことはしていない。ただ横に立っただけだ。
それでも、焦りの中心が少しだけ定まった。そんな感触があった。
変化はまだ先だ。
だが、今日の霧は昨日よりも安定していた。
それだけで十分だと、ユイは思った。
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