第146話 合わない部分を、口にする
装備が完成するまでの10日間。その最初の朝だった。
訓練場には、自然と全員が集まっていた。誰かが呼んだわけではない。ただ、動かないという選択肢がなかっただけだ。
武器も防具もゴードンの工房に預けてある。手元にあるのは、クロウフォールの資産として揃えられた下位互換のトレーニング用装備。本物とはまるで違う。それでも、何もしないよりはいい。感覚を鈍らせないために、今できることをやる。それだけだった。
カイルはトレーニング用の大剣を振っている。本剣より軽く、重心も浅い。強化後の本剣はさらに重くなる。今の素振りでは完全な再現はできない。それでも彼は振り続けていた。
振り出しをあえて遅らせ、溜めを作ってから踏み込む。理屈では分かっている。だが体が応えきれていない。軌道がわずかにずれる。それでも止めない。ずれを確認し、もう一度振る。
アイリスは的に向かってナイフを放っていた。
今の刃と本物では、飛び方が違う。強化後はさらに変わる。それを承知の上で、今の感覚を一つずつ刻むように投げている。1本ごとに、わずかな間を置く。指先に残る重みを確かめるような静かな間だった。
エルザは壁際で影に溶け、そして出る。
出る瞬間の足裏の感触、空気の密度、視界の揺れ。今の装備では問題はない。だからこそ、問題のない状態を正確に覚える。変化した後に何がずれたのかを測るための基準を、体に刻んでいる。
ハンスはハンマーを担ぎ、歩幅と重心を調整していた。
強化後の装甲は重量が増す。今の歩幅のままでは確実に遅れる。前に出るタイミングを早めるか、踏み込みを浅くするか。何通りかを試し、首をわずかに振る。まだ馴染んでいない。
セイラは杖を構え、出力を段階的に上げていた。
小さな魔力から始め、少しずつ強める。杖の先に白い霧がかすかに生まれ、すぐ消える。その揺らぎを目で追いながら、呼吸を整えている。制御の幅を今のうちに広げておくつもりだ。
ユイは短剣を両手に持ち、影歩を繰り返していた。
嵌め座が入る新しい防具は確実に重くなる。戻る位置、踏み替えの角度、着地の静音。今の感覚で基準を固めておかなければ、変化後に迷う。
約1時間。やがて訓練は自然に収束した。
食堂に移動する流れもまた、誰が決めたわけでもない。
席に着くと、カイルが先に口を開いた。
「正直に言うと」
少しだけ息を吸う。
「溜めの感覚が作りきれていないです。軽すぎて、強化後を想像しても体が追いつかない。やり方を変えるべきか、迷っています」
笑う者はいなかった。
ハンスが短く答える。
「前に出るタイミングを早める。今からずらす」
「距離も変わるな」とユイが言う。
「……確認する」
「相談させてください」
カイルは素直に頷いた。
アイリスが椅子にもたれた。
「今の感覚と強化後の感覚、両方変わるのがきつい。トレーニング用は基準になりきらない」
ハンスが視線を上げる。
「今の感覚を崩すな。数をこなせば定着する。500回だ」
「了解」
短い返事だった。
セイラがぽつりと言う。
「杖が語りかけてくる感じ、今からあった方がいいんでしょうか」
アイリスが半笑いになる。
「それ、ちょっと怖いけど大丈夫?」
「分かりません。でも、あったら心強いなって」
「素直だな」
「はい」
リリアが紙に視線を落としたまま言う。
「消費量の再計算は今夜まとめますわ。明日の朝、全員に共有します」
紙に走るペンの音が静かに響く。
一通り言葉が出そろい、食堂に小さな沈黙が落ちた。
ユイがエルザを見る。
「エルザはどう思う」
全員の視線が集まる。
エルザは少しだけ間を置き、静かに答えた。
「慣らしは必要だ。焦るな」
それだけ言い、視線を落とす。
過不足のない言葉だった。
静かな納得が、空気に広がる。
ただ1人、セイラだけがどこか遠くを見ていた。完成後の杖を思い描いているのか、それとも別の何かを。
合わない部分を口にしたことで、わずかに整ったものがあった。
だが同時に、変化は確実に近づいている。
それを全員が分かっていた。
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