第142話 リリア、それでいい
全員が引き上げていった。
「おやすみなさい」
カイルがそう言い、アイリスが軽く手を振りながら廊下へ出る。エルザが無言で立ち上がり、ハンスがその後に続いた。セリスが椅子を引いて立ち、セイラが音もなく食堂を出た。
足音が遠ざかっていく。
やがて静かになった。
食堂に残ったのは2人だった。
リリアは席を立っていない。椅子に座ったまま、膝の上に杖を置き、テーブルの地図を見ている。背筋は伸びている。いつもの姿勢だ。
ユイもテーブルの前に座ったまま待った。急がない。今夜は、待つと決めている。
しばらく沈黙が続く。外から王都の夜の音が届く。遠い馬車の音。風の音。灯りが壁に影を作っている。
リリアが口を開いた。
「全員に話してくれてありがとうございます」
「約束したからだ」
短い返答。
また沈黙が来る。
リリアが膝の上の指先を一度重ねる。それから顔を上げた。
「……ユイさんは、話すことが苦手なんですか」
「そうじゃない」
すぐに否定する。
だが、そのあとに言葉が続かない。
「……話して、間違っていたらという考えが先に来る。そのまま止まる」
自分で口にして、ようやく形になる。
リリアは頷いた。すぐには返さない。何かを確かめるように考えている。
「間違っていても、一緒に修正できます」
静かな声だった。
「私たちはそのためにいるのではありませんか」
ユイは視線を落とす。テーブルの地図が視界に入る。5点の印。その延長線上の空白。
「……そうだな」
認める声は低い。
リリアの目に、あの夜とは違う何かがある。涙が落ちた夜とは違う。今夜は乾いている。揺れていない。静かな決意に近い光が奥にある。
「一つだけ言ってもいいですか」
「言え」
リリアは少し息を整えた。
「孤独でいることと、一人で考えることは違います」
落ち着いた声だ。揺れていないからこそ、言葉が真っ直ぐに届く。
「ユイさんはずっと一人で考えすぎていた。仲間がいながら、一人で全部を抱えていた。それは孤独と同じです」
ユイは答えない。
否定できないからだ。
「でも今夜、それを自分で認めてくれた。全員の前で。それが私には……嬉しかったんです」
最後の言葉が少し小さくなる。嬉しかった、という音を出すまでに、わずかな間があった。
沈黙が落ちる。
食堂の灯りが揺れる。風が窓の隙間から入り、壁の影を動かす。
ユイは地図から目を離さないまま、胸の奥の感覚を確かめる。重さが少し薄い。誰かに預けた分、確かに軽い。
それから、一言だけ出た。
「リリア、それでいい」
リリアがわずかに目を見開く。
名前で呼んだ。役割でも敬称でもなく、名前だけで。
それだけのことだが、今まで一度もなかった。
リリアは静かに頷いた。
「おやすみなさい、ユイさん」
「ああ。おやすみ」
リリアが立ち上がり、杖を手に取る。食堂の扉を開け、廊下へ出た。振り返らない。扉が静かに閉まる。
ユイは1人になった。
テーブルの地図を見る。
岩場、深森、山岳、湿原、氷洞。5点の印を指でなぞる。延長線上に空白がある。名前のない場所。記録のない場所。
何があるのか、まだ分からない。
3日後、装備が完成する。
その先にある空白を、もう1人では見ない。
そのことが、思ったより軽かった。
第17章 完
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