第139話 今夜、話がある
翌日の昼だった。
ゴードンの工房を出てから一夜が明け、拠点は静かだった。3日間の待ち時間が始まっている。遠征の緊張が抜けきらないまま、時間だけがぽっかりと空いている。
カイルが中庭で盾を磨いている。磨布が金属を擦る音が、一定のリズムで響く。アイリスは部屋で地図を広げ、何度も同じ地点を指でなぞっている。セリスが食堂で昼食の準備をしている音が廊下まで届く。鍋の蓋が触れ合う小さな音、包丁がまな板を叩く音。エルザは壁に背を預け、目を閉じている。眠ってはいない。呼吸が浅い。ハンスは無言で装甲の継ぎ目を確認している。リリアは杖の石座を布で拭き、セイラは窓辺に立ち、外の空を見ている。
それぞれが3日間の待ち時間を、自分なりに過ごしていた。
ユイは一人ずつに声をかけて回る。
「今夜、話がある。全員に」
それだけ告げ、仕事に戻らせた。
「はい」
カイルが答えながら、盾を磨く手を一瞬止める。
アイリスが地図から目を上げ、ユイを見る。何か言いかけ、やめた。
エルザは短く頷く。表情は変わらない。
ハンスは装甲から視線を上げ、ユイを見る。そしてまた無言で作業に戻る。
「わかりました」
セリスがそう言い、少し首を傾げた。
セイラは視線だけを向け、すぐに窓の外へ戻す。
「はい」
リリアが静かに答える。その目が一瞬だけ揺れた。
全員が何かを感じ取っている。
ユイが全員に向けて話があると言うのは珍しい。遠征報告なら簡潔に済む。作戦会議なら先に概要を伝える。
今日は違う。
ただ「話がある」だけだ。
宣告に近い。
夕方になった。
セリスが夕食を用意する。温かい汁物と焼いた肉、刻んだ野菜を和えた皿。遠征帰りの定番だ。湯気が立ち上り、部屋に匂いが広がる。
全員が席についた。
いつもならカイルが冗談を言い、アイリスがそれに返す。今日は違う。
「おいしいです」
カイルが言う。
「よかったです」
セリスが微笑む。
ハンスは無言で椀を空にし、静かにもう一杯よそう。エルザは音も立てずに食べる。リリアは背筋を伸ばしたまま匙を運ぶ。セイラは淡々と肉を切り分ける。アイリスがちらりとユイを見るが、何も言わない。
会話は最低限だ。
静けさの中に、待機の空気がある。
ユイは箸を動かしながら、全員の様子を見る。顔色、動き、視線の流れ。誰も疲労は残していない。消耗は回復している。だが心は落ち着いていない。
言うなら、今だ。
食事が終わる。
誰も席を立たない。
椅子を引きかけたカイルが、ユイを見て座り直す。アイリスが腕を組む。エルザが背もたれに寄りかかり、視線を向ける。ハンスは静かに両手を膝に置いた。
全員が揃っている。
ユイは立ち上がり、引き出しから地図を取り出す。テーブルに広げた。
8人の視線が集まる。
「岩場、深森、山岳、湿原、氷洞。この5箇所で失踪した冒険者の痕跡を見てきた」
静かな声だ。
「方向が一致している」
指で5点をなぞる。岩場から深森へ。深森から山岳へ。山岳から湿原へ。湿原から氷洞へ。
線は自然に伸びる。偶然では揃わない角度だ。
誰も口を挟まない。
「延長線上に、地図に記録されていない場所がある。古代エルフの地図にはその地点に標があるが、名称が意図的に消されている。何かがそこへ向かっているか、集まっているかだ」
指が地図の空白を示す。
名前がない。地形の記録もない。ただの白い空間。
ユイは一瞬だけ息を止めた。
言うべきではなかったかもしれない。確証はまだない。だが、これ以上抱え込めば、判断を誤る。
「岩場で気づいた時点から、ずっと話していなかった。確証がなかったというのは言い訳だ。話すべきタイミングはあった。それを選ばなかった」
声は揺れない。
だが胸の奥が重い。
食堂が静まり返る。
外から王都の夜の音が届く。遠い馬車の音。風が壁を撫でる音。
ユイは地図から目を上げた。
8人の顔が、全員こちらを向いている。
逃げ場はない。
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