第127話 道化は場の空気を全部読んでいる
氷洞を出ると、入口前の広場に雪が薄く積もっていた。
野営地の設営は自然な流れで始まった。ラスティとクロウウォールが同じ広場に陣取り、焚き火を2つ起こす。どちらから声をかけるでもなく、気づけば1つの焚き火を囲んでいた。
白銀のローブの人物は焚き火の向こう側、揺れる影の中にいて、その顔ははっきりとは見えなかった。
ゼックとカイルの会話が先に始まった。
「この大胸筋は防御の要です。盾と筋肉で二重に受けるんです」
「分かります、俺も昔はそう思ってました。今は……」
ゼックが革鎧の胸元を叩いた。鈍い音がした。
「脂肪が混ざってきましてね」
「それでも筋肉ですよ! 脂肪で守るのも戦術です!」
カイルが力強く言い、ゼックが「いい子だなあ」と笑った。焚き火の向こうでアイリスがそれを聞いて肩を揺らしている。
ゼックがハンスの腹を見た。
岩盤のように隆起した腹筋が、焚き火の光の中にある。
ゼックが正座した。音もなく、自然に。
「……師匠と呼ばせてください」
「……断る」
ハンスが低く、一言で終わらせた。
「理由を聞いても」
「……理由はない」
「余計つらい」
アイリスがまた笑った。今度はセリスも一緒に笑っている。
ゼックが立ち上がり、今度はセイラの隣に移動した。セイラは焚き火から少し離れた岩に座り、吐息を白くしながら周囲を見ている。
「さっきの氷槍の角度調整、どうやってますか。計算してますか、本能ですか」
セイラが1秒だけゼックを見た。
視線を外した。
返事はない。
ゼックが間を置かず自分で続ける。
「……あ、難しい質問でしたね。いや、でも答えなくてもわかります。天才系のやつは言語化できないって聞きますし。そういうことですよね。うん、分かった気がします」
一人で完結させた。
アイリスが「あなた本当に面白い人だね」と言った。
「そう言ってくれるの、あなただけです」
「さっきも言ってたよ、それ」
「2回言ってもいいじゃないですか。本当のことなんで」
場に笑いが生まれていた。ラスティの面々も、クロウウォールも、自然に声が出ている。焚き火が温かく燃えていた。
ユイは笑いながらも、ゼックを観察していた。
笑わせているのは確かだ。だがゼックの目は場を見ている。誰が笑い、誰が笑っていないか。誰が緊張を解き、誰がまだ警戒しているか。全部を把握した上で次の言葉を選んでいる。道化を演じながら、場の空気を全部読んでいる。
その間ずっと、ノアはユイの動きを目で追っていた。
食事の手順。荷物の配置。メンバーへの短い指示。ノアの視線はユイの行動から外れない。話しかけるわけでも、近づくわけでもない。ただ、見ている。
前世でどこかで会ったか。記憶を探り直す。出てこない。ラスティとの接点が前世にあったかどうかも曖昧だ。だがこの視線の種類には、ひっかかるものがあった。
知っている、という目ではない。
知ろうとしている、という目だ。
何を知ろうとしているのかが分からない。
「リリアさん、お茶いただいていいですか。冷えてきましたね」
ゼックがリリアに声をかけた。リリアが茶の準備をしながら、焚き火の向こうのラスティ側の顔を確認する。ゼック。ノア。そして——
リリアの手が止まった。
茶碗が微かに震える。
白銀のローブ。金髪。碧眼。穏やかな顔立ち。
焚き火の光がその顔を正面から照らした。
「……師匠」
声にならない形で、リリアの口が動いた。
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