第119話 エルザと水辺
翌朝は霧が薄かった。
夜の間に風が動いたらしく、葦の茂みが揺れている。水面が昨日より明るく見える。全員が朝食を終え、残りの素材確保のために湿原へ戻った。
追加のマッドゴーレムが2体。昨日の戦術をそのまま使えば対処できる。消耗を抑えながら確実に仕留める。それだけだ。
歩きながら、ユイは全員の動きを確認する。
消耗は回復している。セリスの水感知も昨日より落ち着いた様子で、杖を持つ手に余裕がある。セイラの氷槍の形成速度も戻っている。リリアが地図を確認しながら歩く。カイルが「今日で素材が揃いますね」と言い、ハンスが無言で頷く。
エルザだけが、いつもと少し違う動き方をしていた。
足元を選ぶ動作が慎重だ。山岳でもそうだったが、今日の慎重さは種類が違う。山では岩の脆さを読んでいた。今日は水面から距離を取っている。湿地の端を歩くとき、水際に近づかないよう自然に内側へ寄る。
アイリスがユイの横に並んだ。
「エルザ、水辺が苦手って昨日言ってたけど、なんかあったのかな」
声を落として言う。索敵しながら、視線は前を向いたままだ。
「聞くな」
ユイが短く返す。
「え、なんで?」
「本人が話す時に話す」
アイリスは少し考えた。エルザの背中を見る。黒装束が朝の光の中を歩いている。水際から一定の距離を保ちながら、前を向いたまま動いている。
「……ユイってそういうとこあるよね」
「何が」
「待てる人なんだよね。人が言えるタイミングまで待てる」
珍しく真面目な顔をしていた。からかいも軽口もない。ただ、そう思ったから言った、という顔だ。
ユイは何も答えない。
「でも」
アイリスが少し間を置いた。
「……自分のことは話せないじゃん」
小さく言った。責める声ではなかった。どちらかといえば、困ったような、そういう声だった。
ユイは前を向いたまま歩き続ける。
返事をしなかった。
湿原での作業が始まった。
セリスが水感知で核の位置を探り、リリアが泥を剥がし、セイラが核を割る。昨日と同じ流れだが、全員の動きに迷いがない。1体目が崩れ、2体目が崩れた。素材の回収も手順通りに進む。
再生石を確認し、必要数を満たしたことを確認した。
「これで揃った。撤収する」
「やりましたね!」
カイルが言う。
帰路につく前に、アイリスが最後の索敵に出た。エルザは素材の梱包を手伝っている。
荷物をまとめ終えた頃、エルザが一度だけ振り返った。
来た方向ではなく、水面の方向だ。
広い水面が広がっている。霧は薄く、水草が揺れている。何かがいるわけではない。音もない。ただの湿原の風景だ。
エルザはそこを見ていた。
2秒か、3秒か。
それから前を向いた。何も言わなかった。
ユイはその動作を見ていたが、声をかけなかった。
エルザは何も言わなかった。それで十分だった、とユイは思うことにした。
全員が揃い、帰路につく。湿原を抜けると、空気が軽くなる。乾いた草地の匂いが戻ってくる。
「やっぱり足場が普通だと歩きやすいですね」
カイルが言い、
「ほんとですね」
とセリスが答えた。
ユイは歩きながら、今日の作業を頭の中で整理する。
素材は揃った。再生石の確保は完了だ。あとは帰還してゴードンへ届け、ギルドへ手帳を持っていく。それだけだ。
それだけのはずだった。
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