第111話 山岳の夜と、静かな会話
山の夜は深かった。
街の明かりは届かない。星だけが岩肌を薄く照らし、焚き火の光が岩陰に小さな円を作っている。風は日中より穏やかになったが、気温は下がり続けていた。全員が焚き火を囲み、黙って体を休めている。
食事を終えると、少しずつ声が戻ってきた。
カイルが膝に肘をつき、今日の戦闘を思い返している。しばらくして口を開いた。
「傾斜に誘導する発想、エルザさんはどこで覚えたんですか。岩場での戦いとか、訓練でやった記憶がないんですが」
エルザは焚き火を見ていた。少し間を置き、短く答える。
「……昔、山にいた」
「山に?」
カイルが続きを聞こうとする。だがエルザは視線を火から動かさない。それ以上語る気配はなかった。
「そういう話は後で」
セリスがカイルの腕を軽く引く。声は明るいが、これ以上踏み込まない方がいいという意思が滲んでいた。
「はい」
カイルは素直に引き下がる。
炎が揺れ、赤い光がエルザの瞳に映る。
しばらくして、セイラが口を開いた。
「……山は、下より静かだ」
誰に向けたわけでもない。
「そう? あたしはちょっと静かすぎる気がするけど」
アイリスが膝を抱えたまま周囲に耳を澄ませる。
「昨日も今日も、鳥の声が全然しなかったよ。山って、もっと生き物の声がするものじゃないの?」
すぐには誰も答えない。
深森の夜と同じだ、とユイは思う。生き物の気配が薄い。あの時も最初に違和感を口にしたのはエルザだった。
焚き火を見つめたまま、ユイは何も言わない。
「……そうね」
エルザが静かに同意する。
焚き火の向こうで、リリアがユイを見る。
「ユイ」
静かな呼びかけ。
「……気になることがあるんですの?」
回りくどさはない。
ユイは少し考え、短く答えた。
「確認してから話す」
リリアは数秒だけ見つめ、それから頷く。
「わかりましたわ」
それ以上は問わない。根拠のない段階で広げないという共通理解がある。
ハンスは焚き火の端に座り、ほとんど動かない。岩のような安定感。
セリスが水を足して回る。
「明日も頑張りましょうね」
声はいつもより少し小さい。
「そうですね」
カイルが返す。
「ゴーレム戦、最初より全然違いましたね」
「連携がまとまってきた」
ユイが答える。
「次に繋がりますね」
「ああ」
会話が途切れる。
焚き火の音だけが残る。
眠りにつく者が増える。セリスが先に目を閉じ、ハンスはすでに動かない。カイルも横になった。
アイリスはまだ起きている。索敵の癖が眠りを遅らせる。
エルザも目を閉じない。
ユイも眠らない。
焚き火が小さくなり、山の夜がさらに深くなる。
夜明け直前、音が届いた。
山の奥から低い響き。地鳴りに似ているが違う。均質で、遠い。岩が崩れる音でも、風の唸りでもない。
ユイは立ち上がらない。ただ、その方向を見る。
音はすぐに消えた。
焚き火は静かに燃えている。
全員が眠っていた。
その音を聞いたのは、ユイだけだった。
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