ep.28 笑顔の秘密
孤児院へと戻ると、ルクシアが俺を出迎えてくれた。
すでに日が沈んで随分経つというのに、アスペルの事が心配で眠れなかったのだろう。
俺は、肩に少し積もった雪を払いながら口を開いた。
「アスペルの様子、どうかな?」
「…良くも悪くも相変わらずです。
疲れてしまったのか、今は寝ていますね」
「…そっか。
あ、そうだ。薬を貰ってきたんだ。
アスペルが起きたら少しずつ飲ませてあげて欲しい」
「…ありがとうございます」
「…ねぇ、ルクシア。
少し話をしない?」
「…夜遅いので、少しだけでしたら。
冷え込んでいますので、何か入れますね」
礼を言う間もなく、ルクシアはリビングの奥へと進んで行った。
ルクシアを待つ間、俺は頭の中でライアスの言葉を反証していた。
人を思いやることの何がいけないのか。
ライアスは気にしすぎなのだ。
そこまで頑なになるほどのことじゃない。
…そこまで考えて、馬車の中で見せたライアスの手の震えを思い出した。
「……お茶、どうぞ」
気がつくと、ルクシアは既に対面に座っていた。
やはり、アスペルの事が気になるのかどことなく落ち着かない様子でカップの縁を撫でている。
「…アスペルなら大丈夫だよ。
明日、アスペルが起きたら薬を飲ませよう?」
「え?…あ、はい。そうですね」
「それ…でさ。
実は聞きたいことがあるんだよ」
聞きたいこと。
そう聞いた瞬間に、ルクシアの肩がビクリと跳ねた。
そして、いつもニコニコとした彼女が、ほんの少しだけ目を細めると静かに呟いた。
「…お聞きしましょう」
「そんなに固くなるような話でもないんだ。
ただ、ライアスさんと少し喧嘩をしちゃってね。
ルクシアは、友達や家族に言えない秘密ってある?」
「友達や…家族…ですか…」
ルクシアは宙に目を泳がせ考える素振りを見せると、結論が出たのか1度頷いて答えた。
「……リベリアやアスペルは長い付き合いですから。
あの二人に隠していることは、特にありませんよ」
「だよなぁ〜
そもそも、隠し事をするなんておかしな話なんだよ!
なんで俺ばっかり…」
俺の口から深いため息と共に飛び出た言葉を聞いて、ルクシアはいつもの笑顔を見せる。
「カエルム様は、色々とお悩みなのですね。
でも、今はもうかなりの時間ですからお休みになられては?
1度寝ればスッキリとするかもしれませんよ」
「……たしかに。言う通りだね。
そしたら、今夜はもう寝ることにするよ。
ありがとう、ルクシア」
俺は入れてもらったお茶をグッと飲み干すと、そのまま自室へと移動する。
心中穏やかとまではいかなかったが、ルクシアに話を聞けたおかげで荒々しい波は比較的静まっている。
俺の自室の手前の部屋。
アスペルの部屋の前にたどり着く頃には、気を取り直してアスペルに向き合いたい。
そう感じるようになっていた。
数日後。
アスペルは薬の服用とルクシアの献身的な看病によって徐々に元気を取り戻していた。
現在はルクシアが買い物に向かっており、リベリアの訓練にはミリアが付き添っているため、アスペルの部屋には俺とアスペルしか居ない状態である。
「…窓開けないでよ。寒いから」
「換気だよ換気。
晴れてる日くらい開けとかないと」
そう言って俺は窓に手をかけたが、ほんの少し開けただけだと言うのに指先が凍るように冷えて咄嗟に閉めた。
「…だから言ったのに。バカじゃん」
…元気すぎるのも考えものである。
「…まぁ、良かったよ。
アスペルがこんなに元気になるなんてね」
「……怒らないんだ?」
「怒る必要あるか?
少しムカつきはするけど、元気な証拠だろ?」
「今のことだけじゃなくて、冷たい態度だったこととか…さ?」
久々に元気になったかと思えば、またしてもしおらしくなってしまった。
アスペルは元々口数の少ない子だったが、今日はやたらと口が回る。
今回の一件でなにか思うところでもあるのだろうか。
「なぁ、アスペル。
何が言いたいことがあるならはっきりと言ってくれ」
「別に……」
しかし、当の本人はずっとこの調子なのである。
行き場を失ったもやもやとした何かが、胸の奥深くで渦巻いている。
そんな嫌な気分が永遠と思えるほど続いている時、ついにアスペルは口を開いた。
「…あのさ。
リベリアは、なんでお前と仲良くなったわけ?」
「え?リベリアのこと好きなの?」
「は?違ぇよ。そんな話してるんじゃ…」
「まぁまぁまぁ、そういう事か〜!
安心しろって!俺とリベリアはそんな関係じゃねぇよ!!!」
俺はベッドに腰掛け、アスペルの肩をバシバシと叩くと、アスペルは不服とばかりに喉を鳴らした。
「…まぁ、そういうことでも良いけど、俺が聞きたかったのはどうやってリベリアに取り入ったのかって事だよ」
「取り入ったとは人聞き悪いなぁ〜。
ただ、リベリアの夢の話を聞いただけだよ」
「あの荒唐無稽な夢の話?」
「荒唐無稽かどうかはリベリアが決めることだ。
努力すれば実るなんて綺麗事を言うつもりは無いけど、夢は追いかけ続けるかぎり自分の先にある!
だから、追いつけないとしても、止まる道理はないよ」
それに、夢を持てるだけ幸せな事だ――
とまでは、続けなかった。
「アスペルもなにか夢とかあるのか?」
「……夢ってほどじゃない。
…笑うなよ?」
「笑わない笑わない!
俺は常識知らずらしいからね!」
「…ルクシアに、笑って欲しいんだよ」
「ルクシア?いつも笑ってるだろ?」
「そんなんじゃない。
あの子は、出会った時から心の底から笑ったことなんて一度も無いんだ。
だから…」
さては本命はルクシア――。
と、そう思った時にハッと気がついた。
アスペルの顔には無数にシワが寄り、いつになく真剣な表情で呟いていた。
冗談で流していい話じゃない。
そう思わせるだけの迫力が、その表情にはあった。
「俺たちの中で1番闇が深いのは、あの子なんだよ。
抱えてるものが大きすぎて、押しつぶされながら笑顔を貼りつけて生きている。
だから、俺とリベリアが矢面に立つことにしたんだ。
…リベリアは毎回から回ってるけど…」
「…そういう事情だったのか」
「でも、お前なら!
リベリアの夢を笑わずに聞いてやれるお前なら。
無愛想なガキのために一生懸命になれるお前なら!
…もしかしたら、ルクシアを救えるんじゃないかって…」
俺はそこまで大層な人間ではない。
むしろ何も出来ずに、ただ惰性で生きて、そして死ぬようなやつだ。
でも、それでも求めてくれるならば
――俺はそれに応えたい。
「聞かせて欲しい。
ルクシアに何があったのか。
何を抱えているのか。
アスペルの知る限りでいい、教えてくれ」
「実は…」
俺たちはその後、陽が橙に傾くまで話し続けた。
そのせい、だろうか。
廊下で息を潜める微かな気配に、俺たちは気がつくことができなかったのだ。
数刻前までの暖かな日差しは陰りを見せ始め、気温は徐々に低下していた。
まるで凍りついた涙のように、
――今夜もまた、空が泣く。




