黒色の咎3
仮拠点に戻ると、そこは既に近所のおばちゃん達が支配していた。
どうやらイィルが出産を迎え、結果母子ともに健康であるという。おばちゃん達に囲まれた赤子は額に白粉で横線を入れられ、口の下に赤い紅も塗られている。イナンナー式の新生児に対する祝福だ。宗教行為だが、ほぼ習慣に近い文化である。
という事はつまり女の子だ。
「出産おめでとうございます。気分は?」
「ええ、先ほど、神様に施して頂いたので……本当に、凄い力をお持ちなのですね」
リーアに掛かれば、産褥期とは何ぞや、という回復だろう。お腹は妊娠線も膨れも無く、本当に通常の状態にまで戻っている。今すぐ赤子を抱えて戻れるだろう。
「アリナ氏、エオ嬢、お疲れ様です。ぐったりしていますが、平気ですか?」
「しゅ、出産って大変ですねえ」
「ヒトが産まれるという、一大イベントですからね。良い経験でしたね?」
「間違っても医者にはなりたくないカンジしますー」
その職業は間違ってなるものではないのだが、エオ的には知識と経験における差を痛感した、と言いたいのだろう。
「しかし、アリナ氏。産婆は」
「うん、二人知り合いに居たけど、他で掛かり切りだった上に逆子だったから」
「なるほど。良い選択でした。それで、大丈夫ですか。仕込みの途中では」
「はあ……あ、ええ。兄貴に任せておいたから、大丈夫よ」
「アイツ、お酒飲んでましたよ」
「はああああーーーー? ちょっと蹴飛ばしてきます!」
「あ、そうそう。一人、女性をお預けしたくて。もう鯨の髭亭には連れて行っているのですが。あ、ご心配なく、生活費に関してはこちらが持ちますし、数日程度ですから」
「あら、そうなの? 別に良いのに!」
「宜しくお願いしますね」
「ええ! それじゃあエオさん、店に戻るわ。イィルさんは今晩こちらで宜しくっ」
「はあーい」
ズバッと起き上がったアリナが、そのままの勢いで店へと走って行った。やはりその運動性能は兄貴を超えているような気がしてならない。スカーフェイスをぶっ飛ばしたというのも、加減された訳でなく、本当にぶっ飛ばした可能性がある。
「エルフのお兄さん! ほらこれ、ウチで作ったやつだから食べて頂戴!」
「あらあんた、その歳で若い男に色目使おうっての?」
「これこれ、うちで仕込んだ葡萄酒なんだけど」
「お、お姉さま方。まあその、頂きます」
赤子が産まれると近所で盛り上がるのは、どこでも同じなのだろう。従妹のまゆりが産まれた時も、衣笠の家には様々なニンゲンが集まっていたのを思い出す。
特に純エルフはヒトにもよるが、繁殖期のスパンが長い為に新生児は珍しい。エルフの兄妹、というものがどれだけ目出度いか分かるだろう。
(イィルさんの子は……)
新生児は種族特性が薄い場合が多く、獣人は耳ですぐ分かるが、人間族、森林族、岩窟族、小人族であると、一定以上成長しないと判別し難い。
「――エルフですね。イィルさん、心当たりは」
判別は難しいが、エルフの場合多少耳の尖り具合が違う。
他の種族でも長い者はいるが、真横に長い種族は他に居ない。
それに、この肌の色に顔の凛々しさからすると、間違いないだろう。
「――……一人。そう――彼の子ですか……」
「父親は純エルフではないかもしれませんが。それでも、健康で長生きで小食なので、手が掛からないでしょう」
「バイドリアーナイ公爵領の領都でとったお客さんです。珍しい赤い目をした、肌の浅黒い方でした。軍人か、商会傭兵か」
イィルの手に戻された赤子が寝息を立てている。
ふと。動きがピタリと止まった。
紅い目……? エルフ……? 商会傭兵……?
赤子の目が開く。
産まれたての子の目が……?
いや、開いた。ひらいたのだ。
紅い紅い、鬼灯のような目。
「アッ――……アッ……――」
見ている。
「ヨージさん……?」
見ている。
その子は、見ている。
「ヨージさん、ヨージさん!」
――因果が。
「ヨージさ……」
――因果が迫って来る。
どうしてそこに。
いや、何故居る。
どうして。
「え? ヨージさん大丈夫です? 顔真っ青――」
思い出す。
吐き気を抑えるようにて、口元を覆う。
一体、どんな、この広い世界で、どうして、そんな。
「――ハッ……ハッ――……」
わき腹が――奴に貫かれたわき腹が痛む。
冷や汗が滲む。
「生きて――」
――いたのか。
「我が神! ヨージさんが!」
視界が明滅する。凄まじい勢いのフラッシュバックに眩暈がした。
これはいけない。
……。
…………。
「あ、く、あっ」
気が付いた時には、エオに支えられ、二階のベッドに寝かされていた。
「わ、我が神ぃ! ヨージさん急に苦しみだしてッ」
「からだ、どこも悪くない……」
「ええ!?」
呼吸を。呼吸をしなければいけない。
一度、二度、三度。胸を上下させ、食いしばる歯を指でこじ開け、口で呼吸する。
ぶれる視界が大人しくなって行く。自分の口をこじ開けた為に涎でベタベタになってしまった手を、リーアとエオがヒシと握りしめてくれていた。
汚いだろうに。申し訳ない。
「はあ、ふ、はあ。ああ、いや、申し訳ありません」
「動悸も収まった。大丈夫。だけど、どうしたの」
「いえその……」
エオが持って来た水を飲み干して礼を言う。
カップを持ったまま、どう説明すべきか悩む。
彼女達には何の因果も無い事だ。ここで話をして、彼女達に余計な者が付きまとうようになってしまうのは本意ではない。
黙ろう――いつものように、誤魔化そう。
「何でもありませ」「よーちゃん」
だが、我が神は許さなかった。目を逸らしたヨージの襟首を捕まえて向き直させる。
「私達は家族。友達で、仲間で、家族。今更、何でもありません、は、酷い」
「しかし」
「しかし、はもう聞き飽きた」
「ぐっ――」
出会い、悩み、戦い、死線はもう潜り抜けて来た。明日も知れぬ我が身ではあるが、シュプリーアとエオという存在が、ヨージという馬鹿者を今日も生かしている。
何かを与えたがる彼女達を、ヨージは懸命に否定し続けて来た。
何かを求める彼女達を、ヨージはいつも避けて来た。
自分は既にまともなニンゲンではない。
手助けはしよう。恩も返そう。面倒も見よう。
ただ、君達の目の前に居る男は、君達が思っているよりもずっとずっと、異質なのだ。
だから、あまり触れないように。近くに居ても、深く関わらないように。
それが一番だ。
「エルフからすれば、私もエオちゃんも、出会いはまだ、浅いのかもしれないけれど。私達には、理解出来ない事なのかもしれないけど。でも、辛い時ぐらい縋って欲しい。悲しい事ぐらい、慰めさせて欲しい。そうじゃあなきゃ、私達は、ただの貴方の荷物になってしまう」
「そんな――そんな事は絶対に有りません。生かされているのは、僕なのですから」
「エオは、別に良いです。話してくれなくても」
「エオちゃん?」
「エオだって、あんまり、前の事は、お話したくないですし。きっと色々な事をして来ただろうヨージさんの過去なんてきっと、エオ達が耳を塞ぎたくなるような事ばっかりなのかもしれませんけど――……でも、エオは、そんな風にはならないです。呼吸困難になったり、血の気が引いたり、しないです」
「え、エオ嬢」
「一体何を抱え込んでいるんです? そんなに抱えて、潰れたらどうするんです? え、エオ達は、ヨージさんが潰れた後、ど、どうすればいいです? そんなの、困る」
何て事か。
ヨージは、また女性を悲しませているのだ。
こうしない為に、関わりを浅く持とうとしたというのに、これだ。
元から無理な話なのだ。どうやっても、ヒトと関わり、暮らし、支え合えば絆は生まれる。
この厄介な思いやる気持ちなるものに、散々な目を見せられてきた。
その場。その場の対処。その時、その時の対応。
どれだけ区切ろうと、積み重なれば、想いは育まれてしまう。
「幼い貴女達に語るのは、気が引けます。それに、僕というものは、いつか消えるものです」
「また、そういう事言う」
「……――たぶん、貴女達が愛しいのです。だからこそ、あまり近づけたくない。もう――家族は、傷つけたくない……――」
顔を覆う。自分がひたすらに恥ずかしい。もうどこも、この身体にまともな部分は有りはしないというのに、その感情だけはヒトのままであった。
いっそ、純エルフのような達観した精神と知性であれば良かった。
いっそ、石のように動かぬ神の心があれば良かった。
己はニンゲンだ。
ただひたすらに、間抜けなニンゲンなのだ。
「話して」
「あの子――イィルさんの子ですが……アレは、僕を死に追いやり――……僕の弟――従弟の時鷹を、死に追いやった男の子供です」
紅い瞳を持つ、浅黒い肌のエルフ。
あの眼光、あの力、あの魔力、忘れもしない――『殺した筈』の男だ。
「人違い……じゃあないんだね」
「紅い瞳のエルフが産まれるのは稀です。ましてエルフは絶対数が少ない。しかも、特徴を照らし合わせると、間違いないでしょう」
少し、誤魔化した。
紅い瞳のエルフは、東西問わず忌み子である。産まれた瞬間に殺される。
出自が明らかでない場合その限りでも無いが――そもそも確率が低い。
「仇……」
「はい。だから、討ちました。僕の身体と引き換えに、奴は殺した。殺した、筈です」
「でも、生きている?」
「どのような理屈で、あの状態から再生したのか……考えられる状況は多くありませんが……二人と居ない人物です」
紅の魔鳥。
真紅の撃滅者。
死線の狂気。
狂える魔導兵器
「バルバロス商会が飼う、ひたすらに殺戮に特化した傭兵魔法使い――『狂魔』アスト・ダール。僕の率いた中隊を、鏖にした」
「ひ、一人のエルフが、精強な扶桑陸軍を……?」
エオの顔が引きつる。扶桑の軍隊についてどれほどの知識が有るかは知らないが、大帝国と扶桑国の軍隊が半端ではない事は、皆の知る事実だ。
「……神様より、強いんじゃない、それ?」
「ええ。神殺しという異名も持ちます。あまり、我が神の前でお話したくはない事ですが……通常、神は殺せません。大量の兵器と特殊な術式を用いて、なんとか一柱を押し留めて、一斉攻撃で一時的に消滅させる、という方法以外に無い。これを実行する費用があまりにも莫大である為に『通常では殺せない』という事です」
「それは、何となくわかる」
「僕が竜精フィアレスに用いた『四元詞纏』も有りますが、ほぼ自爆に近い。例え神を殺せたとしても、この大技を実行可能な一人が確実に犠牲になる。費用対効果最悪です」
「という事は、そのアスト・ダールは、そんな対価も支払わず、神を殺すと……?」
「奴はやります。もう、その力がニンゲンの領域に無い。殺し……殺した、はず……なのに」
あの男との殺し合いは、忘れようもない事だ。しかし、もう死しているものであるとして、ヨージは意識する事も忘れていた。いや、心を護る為、思い出さなかった、が正しいか。
最愛の弟を、惨たらしい怪物に変え――ヨージに差し向けた、あの男。
「……今日は、もう休もう。エオちゃん、イィルちゃんと赤ちゃんをお願い」
「は、はい」
「一人でいると、思い出すだろうから、隣にいるね」
「済みません。しかしその、色々立て込んでいまして……動かねばいけないというか……」
「少なくとも、今は、ダメ。貴方が動かないと、知らないヒトが傷つくかもだけど、貴方が傷つくのはもっと嫌」
ヨージの手を握りしめる力が強くなる。表情の調子は変わらないが、これに抵抗は出来そうにない。小さく溜息を吐き、厚意に甘える。
キシミアに来れば、もう少し楽が出来るかとも考えていたのだが……自分が自分である限りは、難しいようだ。なるべく早く彼女達が安住出来る場所を探さねば、もっと余計な事に巻き込みかねない。
「分かりました、休みます。では、寝ながら状況をお話ししましょう。我が神にも、一応把握して貰いたいので」
「んっ」
次第に積み重なって行く己の業を感じながらも、止まる事は出来ない。
ただ今は、現状を切り抜ける事だけを考えよう。




