黒色の咎4
外はすっかり夕暮れである。
リーアのお陰もあってか、体調はかなり良い。ずっと握られていたであろう手をそっと離し、ベッドから抜ける。船を漕ぐリーアを代わりにベッドへ寝かせ、ヨージは一階に降りた。
一階の診療台ではイィルと赤子が寝息を立てている。
エオは……床で満足気に寝ている。相当疲れたのだろう、として放っておく。ヨージはそのままイィルに歩み寄り、失礼して……赤子の目を確かめる。
青い。イィルと同じ目だ。
紅目がそうそう簡単に産まれていたら、今頃エルフは全滅だ。
「強く生きてください。貴女の父は本物の怪物ですが……貴女には何の咎も無い」
多少ばかりの憂いを除いてから、ヨージは荷物を下げて外へと出る。隣を覗いてみるが、ヒナはまだ帰って居なかった。懐からグリジアヌのシンボルを取り出す。
「グリジアヌ。グリジアヌ」
『ああ、起きたか。寝てるから声かけんなって、リーアに叱られたんだ』
「ええ。過去から追いかけられて辟易とした所です」
『本当に面倒なもん抱えてんな』
「ははは。それはそれとして。僕に連絡したという事ですよね、何かありましたか」
『アンタさんに聞いた通り、スカーフェイスとかいうエルフ、第二商店街近くの城壁方面に向かった。つい半法刻前のこった』
神をコキ使うようで大変恐縮なのだが、グリジアヌには第三商店街にある彼の拠点を見張って貰っていた。本格的にお礼せねばなるまい。
『あ、城壁中に堂々と入りやがった。警備と繋がってんな……これ以上追えない』
「はい。大丈夫です。入るアテはあるので。戻って構いません」
『はー、見張りとか、神様のするこっちゃないが……これで、アンタの役に立つか?』
「凄く。流石は我等が神」
『じゃあお礼はキスな』
「……こっそりですよ、本当に」
『マジ。やった、ふふふっ』
グリジアヌのいたずらっぽい笑いが聞こえて来る。サバッとした感じはあるが、彼女は何に対しても真剣だ。そして自分が女性である、という事に誇りを持っている神であろう。心強く、頼もしく、可愛らしい。そんな神だからこそ、彼女もまた……傷つけたくは無いのだが。
頭を振る。
ヨージはボーグマンに教えて貰った城壁の入口を目指して歩く。
色街を抜け、小道細道を潜り、ガラの悪そうなヒトに絡まれつつだ。
「おう、エルフか。そういやあ昔もいたなあ、なんつったっけ、ほら、アイツ」
「覚えてねえよぉ他人の名前なんかよぉ。俺なんて兄貴の名前も忘れちまったぜぇ」
「馬鹿だなあお前は本当に馬鹿だなあ……」
「顔に瑕のある男ですね」
「そうそうそれそれ。なんだ、知り合いかアレの」
「いえ、僕はボーグマン氏とアリナ氏の知人です」
「え、あ、すんません。退きます」
「え、マジ、すんません。退きます」
「素直で助かります」
ガラは悪いが可愛げがある。むしろゆるい。
そんな者の相手をしながら更に先へと進むと、木の生い茂る地帯が見えて来た。
東城壁。城塞都市のシンボルであり、この地をこの地たらしめるものだ。
林の中へ分け入って行くと、ボーグマンが言っていた少し大きな木が見当たる。だいぶ薄れていたものの、×印は健在だった。
深い茂みをかき分けると、その木の根には、奥が見えない程の洞が有る。
「暗いな……」
カバンから小さな樹石結晶灯器を取り出し、中を照らす。地下は木の根が張り巡らされており、湿っぽい。基本的には石造りのようだが、経年劣化でアチコチと崩れている。
キシミアがキシミアとなる前から、ここは城塞都市だ。当時のニンゲンの建築技術では壁の構築が不可能、という結果が出ている為、神が拵えたものだとされている。
「はは。ガキっぽいなあ」
道なりに進んで行くと、壁にラクガキがあった。『ボーグマン参上!』とある。
ここは彼等の遊び場、過去の残滓。辛いながらも、幼心に楽しかったであろう、儚い記憶の保管庫だ。周囲には遊びに使った小さな弓や、加工された棒切れ、使命を終えて輝かなくなった樹石結晶が山となっている。
『ディアラト アリナ』
見覚えの無い名前と、見覚えの有る名前。元はハートマークで囲われていたのだろう、思い切り何かで擦って消した跡が有る。
幾つになっても、他人の過去に触れるのは辛いものだ。
それが、輝かしければ、輝かしい程に、顛末に触れる恐怖が増す。
突き当りにあったドアを押し開くと、中には階段が見えた。
およそ十階分の階段を上り、床に擦れた跡のある壁を押すと、外に出た。
夕暮れのキシミアが眼前に広がる。
外を見れば黄金色の海にカモメの鳴き声。内を見れば活気と喧騒に包まれた、イナンナー様式の建築物が輝く。遠くを見れば、自分達が超えて来た山が茜に染まっていた。
「城壁警備は、人気ありそうだな……」
美しい。人工物と自然物、ヒトの世と竜の世が、全て緋色に溶けている。
「よぉう。オタクもこっそり見学かい」
そんな景色に見とれていると、遠く……第二商店街がある方から、男が歩いてくる。彼は気さくに手を振っている。
顔には瑕。
「いやあ、素晴らしい景色ですねえ。こっそり上がって来た甲斐が有りますよ」
「だろう。この景色があんまりにも好きでな、俺なんかは城壁警備にワイロまで渡して上がってるんだぜ」
「気持ちは分かります。キシミアが観光地になる所以ですね。いや、温泉も素晴らしいですが」
「気に入ったかよ。ああ、まあ、住んでる奴が多少クソッタレだってのはあるが、イナンナーよりマシだな。飯も美味い。オタクのお仲間も、どうだい、キシミアに移住なんて」
「はは、まあ、居ないのですがね、そんな仲間」
「だろうよ。ま、そこ、上がろうぜ。もっとよく見える」
スカーフェイスも、ヨージがココに居る時点である程度察してはいたのだろう。態度は崩さず、組まれた櫓を指さして言う。小さく頷き、彼と共に櫓へと上がる。
「どっこいしょっと」
櫓の縁に腰掛け、彼はスキットルを取り出し一杯やり始める。その悠々とした姿は、どこか羨ましい。
「堂に入っていますね」
「趣味だからな。オタクもどうよ」
「ええ」
受け取り、口をつける。かなりキツい蒸留酒だ。唇に着いたものを舐めるだけでもカラい。
「うへ、ここでコレを飲んだら、落ちますね」
「まー、いつ落ちたっていいのさ。人生なんて、とっくの昔に終わっちまった……――どうだい、オタクは、人生楽しいかい?」
「計、三回ぐらいは、終わってますかね。それを考えるなら、今はそこそこ楽しいです」
「うげー、俺より重い奴か、不幸自慢出来ねえじゃねえかよぉ」
「はははっ。まあこれでも、もう五三です。元軍人っていうのは、本当ですよ、ディアラトさん」
「その名前すげえ久々に聞いたわ。ボーグマンか? アリナか?」
「侵入経路に、アリナさんとハートで囲われてましたから。たぶんそうだろうと」
「あすこか……ちゃんと消しておけばよかった……ああそうだ、名前聞いてねえな」
「ヨージです。ヨージ・衣笠。ま、これも偽名ですが」
「立て込んだ人生送ってんのな」
出会った時はどうやら男色の気配があってかなり警戒したのだが、話してみれば楽しいものだ。ハーフエルフ同士、どこか気を許す部分が有ったのかもしれない。
他愛ない話だ。どこにでもある世間話に、下品な話。
少しだけ昔の話。
夕暮れに漂いながら、風に吹かれて笑う。
「扶桑軍なんてキッツいだろうと思ってたけど、そりゃそうか。秩序乱す奴は仲間でも打ち首ってすげえな」
「侵略者の嗜みですよ。礼儀正しく侵略して、礼儀正しく統治する。貴方は……噂を聞く限りでは、酷い仕打ちにあったそうで」
「んまあ。顔良いだろ、俺。オタクほどじゃねえが。ミンダネロ戦争の後、ボーグマンは引退しちまってよ。根性のねえ野郎だと馬鹿にしたが、アイツが正しかった。本国まで戻った俺を待ってたのは、敗残兵呼ばわり。腰抜けの烙印。内勤命じられたかと思えば、おエラ方のペットだぜ」
「散々ですねえ」
「……――なあ、ヨージ。ひとつ良いか」
「はい、何でしょう」
「今な、イナンナー本国をひっかきまわしてやろうって、計画してんだ」
「成程。それ、僕に話して大丈夫ですか」
「良いんだ、俺はこの先、本当に長くない。とてつもなく、短い。だから良いんだ。俺が死のうと、オタクが協力して、作戦が成功してくれりゃあ、それでいい。ああ、まあ、オタク真面目そうだから、協力しねえだろうが」
「では何故」
「懺悔……に近いか。どこにも話さず、もう二年だからよ……あの丸薬、あれ実はな、ただの丸薬じゃねえんだ。火山に埋没した、神話時代の樹木。しかも、大樹だとよ」
「――……なる、ほど?」
彼は――何を話しているのだろうか。
「噂じゃあ、十全皇が伐採した後、火山に埋まったんだと。とんでもねえよな、大樹切り倒すとか、どんなバケモンだよ。オタク、見た事あるか、女皇をよ」
「ああ、元カノですよ」
「ぶははは! そりゃおもしれえ! ああ、くそ、おもしれえなそれ。扶桑人もそんな軽口叩けやがるのか、オタクが言うからおもしれえのか、ぶははっ!」
「……まあ、バケモノですよ。本物の。龍ですからね」
「ああ、うん。その大樹の、粉末だ。細かい話はされちゃいねえが、特定のニンゲンや神に、強力に作用するんだとよ。それがアイツラ、イナンナーのクソ女神どもが居る所にばら撒かれたらどうなるか……ってこった」
ヨージは今、テロの相談をされているのだ。平静に聞けるものではない。
与太なら良いだろう。だが、彼の語る話の、その真相の大半を、ヨージは確信をもって知っている。
あの木炭化石の粉末が連合王国本国に撒かれれば……恐らく、壮絶な殺し合いが起こる。
特に抑圧される男性は、挙って女神達を殺すだろう。結果訪れるのは、イナンナー部族連合王国という巨大国家の、実質的崩壊だ。
「キシミアは、試金石ですね」
「ああ。散々入念に警戒して、まき散らして、様子見て、改善してを繰り返してきた。軍警察まで巻き込んでる。だがどうやら、バレちゃいけないところにバレたみたいでな。俺の上役が慌ててたぜ……あ、もしかして、オタクか? てか、何者?」
「それを聞かず語るあたり、貴方の無鉄砲さを感じますね。いえ、嫌いじゃありませんよ。貴方は、きっと貴方が思っているより、素直であるし、恥ずかしがりだ」
「おい、答えになってねえぞ」
死相が見える。半笑いの彼の顔には、どこか影が掛かっていた。
本当に、彼が語る通り、彼は終わりなのだ。どうしてそこまで思いつめたのか。誰にも相談しなかったのか。誰か、心許せる者は居なかったのか。
地下道の、掠れたラクガキを思い出す。
「――……キシミア守護神。エーヴの勅命を受けています。僕は、貴方の敵です」
「嗚呼、そうかよ。だろうと思った。良い男だもんな。あの女神だって目を付ける。でも、悪い神じゃねえだろ。イナンナーの女にしちゃあ、比較的控え目だ。何せ俺の祖国の神だ」
「……それでも、やるんですね」
「やる。まさかバレるとは思ってなかったみたいだからよ、上役、もう、カンカンでよ。事を急いでるっつーか……ま、そういうこった」
スカーフェイス――ディアラトが立ち上がる。
スキットルを全部飲み干してから、櫓から下りた。
「いや、運命っつーか。なんつーか。最期に話が出来たのが、オタクみたいな男で良かった。ちょっとばかし賢しいが、良い顔だし、良い声だし、良い奴だよ。もーちょっと早く、逢いたかったなあ」
「――まだ。まだ間に合います。僕は、元締めさえ特定して、捕まえられればそれで良い――……散々な目にあって来たのでしょう。貴方が犠牲になる必要は無い。何をするかは、知りませんが、命の使いどころを間違えている。スカーフェイス……いえ、ディアラト」
「優しいなオタク。こんなくそったれでも、説得するのかよ」
「しますよ。ヒトがモノみたいに、コロコロ死ぬ姿なんて、もう見たくない。僕は、僕が、築き上げた屍の上に立ってる。そんな馬鹿者でも――愛してくれるヒトは居た。頼ってくれるヒトも居た。なんです、そのぐらいで、ヤバいなら、逃げれば良いじゃないですか。逃げましょうよ」
「ははっ! オタク図太いなあ。俺にゃ無理だ。俺は所詮歯車。それぐらいが相応だったんだよ。俺は――……俺のプライドを傷つけた連中を、許せない。ホントに、下らねえ理由だ」
「ディアラト」
「俺は暴れる。だけど、あいつ等……ボーグマンとアリナは、逃がしてやってくれないか」
彼は、そのまま城壁から、飛び降りる。本当に、一瞬手が届かなかった。
「あばよ、色男――……巫女は、――……世界を終わらせる気でいやがる――……」
「ディアラト――――ッッ!!」
落ちる。堕ちる。墜ちる。
手は全く届かない。
男は、あまりにも虚しいあの男は、泣きながら、笑いながら、城壁の外へと落ちて行く。
そうしてその男は、胸に何かを突き立てた。
「な、なんだ、なんだ、何が起こった……?」
周囲の外在魔力が一気に乱れ始める。黒色の霧が城壁を、いや、空すら覆い始めた。魔力、だが、魔力だけではない。もっと概念的――ニンゲンの、感情をカタチにしたものとでも言うべき霧が、城塞都市を飲み込んで行く。
「ィ――ッッ!!」
強烈な殺気に全身が粟立つ。ディアラトが落ちて行った方向から、絶対的な、ニンゲンの根本を揺るがすような、恐怖が沸き立っている。
それは果てしなく、全ての光を飲み込む程に黒い。
それは満遍なく、恐怖と嫌悪と憎悪で出来ている。
それは絶望的に、ニンゲンの感情をかき乱す。
そしてそれは――翼を持っていた。
「――……竜――……ッッ!!」
神話の形。最初の生き物。
あらゆる種族の始祖であり、この世界の理の形だ。
こんな場所に居て良い訳が無い。こんな場所で顕現したら、それはもう、終わりだ。
終わり。
竜とは、生きる者であり、殺す者であり、破壊する者であり、創る者であり、統治するものだ。
竜が産まれた場所には、その竜の秩序が生まれる。何に配慮する事もない。ニンゲンなど塵芥だ。竜は竜が良しとした、その理念にのみ動く。
だから有り得ない。絶対に、有り得てはならない。
「カルミエ――あの女――ッッ!!」
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ――!!』
キシミア全土を揺るがす咆哮が聴こえる。
キシミア人民の、死出の旅の始まりの合図だ。




