この世に竜在りき4
「女皇龍脈――ッッ!!」
刀を地面に突き立てる。
「は……あ――……!! ドラゴマギ……」「遅い!! 接続――ぉッッ!!」
背後で爆音が響く。水魔法が放たれたのだろう。
しかし、それをも凌ぐ衝撃が、今目の前に起こっていた。
ヨージが何事かを唱えた瞬間、対象とされた竜精フィアレスから魔力の一切が抜ける。地面を通じて『吸い取られた』が正しい。
フィアレスの驚愕は続く。口は半開き、目は見開いたまま、動く事が出来ないのだ。
それは、絶対にあってはいけない事だ。
フィアレスの眼前に存在する、ヨージという男が唱えた文言は、ニンゲンが口にしてはいけない、いや、口にしたところで何の意味も無いものだ。
だが、全てが伴っている。
本当に短い詠唱の中に込められた意味の巨大さ、膨大さは、竜精にして、受け止めきれるものではない。
「嘘、嘘、嘘嘘、嘘嘘嘘嘘嘘ですわ、嘘!!」
「嘘なものですか。僕という何もかもを賭したのですから」
「――そ、そういう問題……ではない……でしょう? 女皇龍脈? 大樹『扶桑雅悦』の子、十全皇の占有根幹魔力を、何故、なんで、貴方がッッ!!」
「旧知の間柄でして」
「冗談はよしてくださいまし! あんなバケモノの……お友達には、そんなものの使用権を授けますの!?」
「そりゃ、普通ならあり得ませんね」
「当たり前ですわよッッ」
フィアレスの激昂が辺りに響き渡る。本来、竜精がそんな怒りを放とうものなら、周囲が音波の衝撃で吹き飛びそうなものであるが、今の彼女は一般女性と相違ない。
女皇龍脈は接続時、魔力を引き上げると同時に、近場の魔力も吸い上げる。本来無指向であるが――
「がっ……だから、首を落として……ッ」
大量の魔力が漏れている場所から優先的に吸い上げるよう『指向』させた。何せ強欲な『かの龍』が保有する根幹魔力帯であるから、脈自体も強欲だ。
「なんで、こんなところに……? あり得ない。もし、そんなニンゲンが居たとして……どうして、手放すでしょう? ああそうか、だから、ハハ。貴方、ああそう、ハハ! 貴方、十全皇に追われていますのね?」
「しつこい元カノでして」
「あはは! 冗談、冗談みたい! あはは! あの女! あの歳で! ニンゲンに恋したの!? あははははッッ!! バカみたい!! バカじゃないの!? あああッッ!!」
天禊国禊八百柱大御神。大樹『扶桑雅悦』の子。大扶桑女皇国女皇陛下。原初の龍。
ヨージ・衣笠を縛り付け、その身を、胤を捧げさせようとした、女の形をした化け物だ。
女皇龍脈とはつまり、この星を駆け巡る無数の脈の中で、最も古く、最も力を蓄えたまま保持されている、かの龍が占有を宣言し、以降数十万年誰にも触れさせなかった、極大の力の渦だ。
当然ニンゲン如きが触れるものではない。触れようと思えば呪い殺され、例え触れたとしても、発狂して死ぬだけだ。特に人間族、獣人族は不可能だろう。
精神性が特殊なエルフ、かつ、接続を許可されたもののみに許されるものだ。
そしてそんなものは、この世に存在しない、筈である。
だからこその激昂、だからこその狂乱、故の絶望だ。
「……内在魔力だけ使っていたのも、そういう事でしたのね」
「外在魔力は、大気中の魔力とはいえ、根源からあふれたものですから……そこから通じて、いつ女皇龍脈を刺激するとも限らない。彼女は、当然龍ですが、案外神経質ですからね。どこにアンテナを張り巡らせているやら……解りますか、この気持ち」
「――……」
「そして当然ですが、こんなものを観られて、タダで帰す訳にもいかず、なおかつ、貴女は我が神に敵意を向けた。絶対に殺します。絶対に、殺します」
「あ、あ、嘘、本当に、死ぬの? 竜精が、竜精よ? 竜精に……死なんて、あるの?」
「さあ。殺してみれば分かるでしょう。例え地主神と同じで不死だろうと、何度だって刻むしかないでしょう。今魔力が無い貴女では、この事実をどこにも伝えられないでしょうし、やるなら今でしょう」
刀を構える。占有根幹魔力帯から引き出した膨大な魔力は、これを叩きつけるだけで、神だろうが、竜精だろうが、ヘタをすれば竜すら傷つけられるだろう。力無いフィアレスがこれを防ぐ手段は無く、また受けた瞬間蒸発するのが目に見える。
「さて」
竜精が通信手段を持たない筈が無い。魔法か、魔法科学か、如何なる手段かで、この事実を大教会と共有するだろう。そうなれば、ますますリーア達の立場が危うい。直接リーアやエオに咎が無かろうと、彼等は関係者一族郎党皆殺しぐらいヤる。
更に言えば、リーアの能力も、伝えたいものではない。竜すらやらない蘇生を行うリーアだが、ではそれがどのような罪になるのか明確ではないが、竜精が処罰すると決めればそれは罪だ。
死んで貰う他無い。
「い、命乞いなんて、した事がありませんわ。どうすれば良いのかしら……?」
「乞われた所で助ける余裕など一切ありません」
「そんな! 後生ですわ! な、何か欲しいものは? す、少ないですけれど、エルフがいつでも豪遊出来る人生を七周するぐらいの資産なら、直ぐに出せますけれど……」
「出来るじゃありませんか。お金は欲しいですね。逃げるにしても」
「まあ! では少しばかりですけれど……」
「要りません。死んでください」
「ヒッ」
尻もちをつき、後ずさる竜精に対して、刃を構えて近づく。肉体を構成するだけで精一杯であろう彼女の首筋と胸からは、桃色の魔力が煙のように漏れていた。
これでは完全に悪役だ。
だが、生かしておいて得るものが無さ過ぎる。失うものが多すぎる。
こちらは、全部支払ったのだ。
例え、今でこそ力無い女だったとしても、竜精である事に一つも変わりは無い。正義の味方を気取る気は一切無いが、彼女が奪い続けて来たであろう命の数は、万をつけた上で指で数えても足りないだろう。報復に来る。次こそいとも容易く殺される。
今は例外の例外の例外だ。
「よーちゃん」
「はい。我が神、今殺しますから、待ってくださいね」
「駄目」
「――例え、深遠のご配慮であろうとも、これだけは生かせません」
「駄目」
「じ、慈悲深い神ね……? み、耳を傾けては如何かしら?」
ヨージの前にリーアが立つ。これは、困った。
「フィアちゃん」
「あ、あら。はい。何かしら?」
「私は、何で殺されるの?」
「……――若き神。あのね、神は様々な力を持っていますけれど、神が行っても良いという、領分がありますの。ヒトの生死を采配して良いのは、竜だけ」
「それは、決まり事なの?」
「いいえ。いいえ。わたくしの判断ですわ。わたくしは竜の代弁者ですもの」
「じゃあ、見なかった事にとか、出来る?」
「も――勿論ですわ。では、黙ります。大教会にも、報告しません」
「村から、手も引いてくれる?」
「ええ、こんな村……いえ。ビグ村には、触れません。元より、独断ですもの?」
「えーと。よーちゃんの力。私は、良く分からないけれど、凄いの?」
「凄い……というか、あり得ない、が正しいような……」
「それも報告するの?」
「しませんわ。しません。竜精フィアレス・ドラグニール・マークファスの名に懸けて、一切の口を閉じますわ……惟鷹さ……いえ、ヨージさん。あの、この条件では……如何かしら……?」
「殺します」
「あー! 待って、待ってくださいまし! 嘘ぉ! やだぁ! 殺さないで!」
「子供ですか……腹ぐらい括ってください、何万年生きてるのですか、恥ずかしい」
「扶桑人が可笑しいんですのよ! どうしてあんな簡単に括るのか意味不明ですわ! ううう、ふえー……ッ」
フィアレスは……力無くグッタリしたかと思うと、丸くなって泣きじゃくり始めてしまった。
まさか竜精がニンゲンに追い詰められた事例など、存在しないだろうし、蟻か羽虫かと思っていたものに蹂躙されれば、確かに泣きたくもなるかもしれない。
「我が神。口約束なんてものは、直ぐ破られるのです。前科もありますしね。竜とヒトは対等ではない。彼等が決めたならば、僕等は殺されるだけです。どんな約束も、無意味だ」
「でも、女の子切り刻むのは、良くないと思う」
「女の形をしていようが、化け物は化け物です。身をもって知っているのです、僕は」
「……女皇陛下? よーちゃん、女の子と付き合った事あるの?」
「あの、僕、五三歳ですよ。そら、あるでしょう」
「えー……」
「そんな不満げな顔されても……ああ、とにかく殺します」
「駄目」
これを生かした場合。地獄しか無かろう。それを、リーアがどれ程理解しているのだろうか。判断は早くせねばならない。
今、ヨージはニンゲンの限界を超えた位置に居る。本来その器に収めてはならない力を、これ以上は保持出来ない。
時間が経てば経つ程、竜精は回復する。
だが、リーアはヨージの前を動こうとはしない。
「優しすぎます、我が神。僕達、殺されかけたのですよ」
「生きてるもの」
「そうですが、結果論です」
「……ねえ、あの、殺さないの……?」
ひとしきり泣いたらしいフィアレスが顔を上げる。濡れた猫のようだ。いや、濡れた爬虫類だが、そんな例えをしたら竜罰を受けそうである。
「フィアちゃん。約束して。誰にも喋らない」
「絶対に、絶対に、守りますわ。どうか、その……」
何一つ信用する要素が無い。竜精の思考回路はニンゲンには分からない。女皇龍脈を行使した自分は、もう終わってしまっているが、リーアとエオにはまだまだ生きて貰わねばならない。
これを逃す手は無い。殺さなければならない。
だが。
リーアは何故か泣いていた。
どうして泣くのだろうか。
自分を殺そうとした者に対して、涙を流せるものなのだろうか。
甘い。生が浅い。産まれて間もない。何も知らないから、そんな純粋でいられるのではないのか。
しかし。
しかし、自らの拝む神が懇願するのだ。
自分を助けてくれた、生かしてくれた神が、どうしても殺さないでと言うのだ。自分は、今までどうして来ただろうか。
大切なヒトを殺された時も。
大切なヒトが、取り返しのつかない事になった時も。
自分は、その時、その場で、どう判断しただろうか。
『――兄貴。惟鷹の兄貴。俺、死んじまうけど――……』
『兄様。惟鷹兄様。まゆりは――まゆりは――』
殺すばかりで、何一つ、守れなかったではないか。
死にたくない。生きていたい。殺されたくない。自由を、奪われたくない。
「……竜精は、あらゆる命を平らげて来ました。千でも万でも、足りない程でしょう」
「ええ、ええ。だって、そのようにしか、産まれていないもの。作られて、いないもの」
「僕は、身近なヒトだけでも、助けたかった。僕は、僕と僕の仲間と家族を、生かしたかった。僕も、沢山殺しました。軍人ですからね。皆、生きたいと願った。殺したヒト達だって、そうでしょう。だから、今更、偉そうな事は言えない。大きな事も、言えない。僕は、僕と我が神と、エオ、これだけを、今は助けられれば良い。貴女を殺して」
「……――」
刀を、鞘に納める。
「行け、竜精。二度とそのツラを見せるな。もし今後、治癒神友の会に害成せば、僕は、もう何も、きっと許さないし、許したくない」
「よーちゃん。よーちゃん」
リーアが近づき、ヨージを強く抱きしめる。
優しく、そして愚かな神なれど、我が神だ。
これから、さて、どうなるだろうか。こんなものを生かして、どうなるのか。
辛く険しい道しか、残されないのではないか。
ヨージが悲観主義だからか。本当は、もっと幸福な未来が、有るのではないか。
「感謝します、慈悲深いヒト。きっと、非道を歩まされたヒト」
そういって、フィアレスが身体を無理やり奮い立たせ、ゆっくりと山の中へと消えて行く。
今ならばまだ間に合う。この一刀で、終わらせられる。
だが、その時、リーアが一体どのような顔をするだろうか。
辛い顔はさせたくない。
彼女が与えてくれた禊の機会を、逸したくはない。
「ぐっ……げほっ……あっ」
喀血。肺腑が傷ついたか。
当然だ。この魔力は、ニンゲンの身体に宿して良いものではない。
「よー、ちゃん?」
「うん。はい。まあ、当たり前でしょう。知ってますか、これ、普通のニンゲンに流すとですね、発狂して死ぬのですよ」
「あ、よ、よーちゃ」
全身から力が抜け、魔力が解放されて行く。
これには覚えがある。つい最近だ。
視界がかすみ、呼吸し辛く、胸が苦しい。
走馬燈が幾重にも重なって、己の人生を反芻させる。
勝ったのか。
負けたのか。
分からないが、今は凌げた。
『くっ……ふふっ、あはは! いたぁ! そんな処に! そんな処に居りましたのね、惟鷹様! まあ、なんて田舎、なんて辺境! もお、探しましてよ、貴方様!』
ああだが。
あのヒトの声が、直接脳に響く。
それはそうだ。あのヒトの力を直接借りたのだ、場所だってバレる。
「ヨージ!」
「衣笠さん!」
声が聞こえる。
生きていたのか。ならば良かった。死ぬ気で戦った、甲斐があるというものだ。




