この世に竜在りき3
心を限界まで縛る。覚醒したインガに持って行かれれば最期、敵がまた一人増える事になる。
いや、そもそも、竜精が出て来た時点で、神が何柱居ようと、ものの数ではない。インガは放っておいて、今は竜精に全力対処、突破口を見つけて逃げるのが最良の選択肢だと思ったが、ヨージはそれを否定、何とかすると息巻いた。
「いいか、素人。火の神ってのはまあ大体熱いだけだ。ただその熱さが魂まで焼く。アタシ等受肉した神でいうところの支命柱だな。その形を維持する基となる結晶みたいなもんだ。アンタは半神みたいだから、これも小さいかもしれないけど」
「う、うん」
「水魔法、使えるか?」
「最盛期程じゃ、ないけど」
「十分。時間稼ぐから、その身体の頑丈さに任せて、最低八項まで唱えろ。水の神としての奇跡に頼るより、魔法をぶつけた方が良い。それに、今は根幹魔力が乱れまくってるから、上手く引き出せないかもだし」
「は、八項……が、頑張るわ」
「坊主!」
「あ、はい!」
「お前は彼女支えてろ」
「う、うん!」
この火の神に、勝てるか、勝てないかで言えば、半々だ。
グリジアヌは逃げようと思えば逃げられる。だが任せられたこの新人を放っておく程爛れた心は持っていない。
神器顕現。
自分の故郷である南方大陸にそびえ立つ異形の大樹『九頭樹』の枝から切り出した木剣は、この世に命を持つその全てに死をもたらす事が出来るとまで言われてる。
が、加工段階で使用者がまともに扱えるようにと自己の神気を浴びせる為、本来通りの力が発揮出来ない難物だ。
だが勿論、神が持つ武器としては最上位に入る。違法な手段で手に入れたものである為、誇れはしないが。
「ぜいッ!」
インガが引きこもる洞窟の正面に向けて一振りする。何も無い筈の空間に弾かれ、魔力が火花のように散った。結界だろう。
「おっと」
その振動に驚いたか、中のインガが蠢く。数拍置いた後、ゆらゆらとした火の玉が出で、ミュアニスに向けて射出される。
これを迎撃。
「あっちぃ」
グリジアヌの浅黒い肌に汗が浮かぶ。ニンゲンのように生きる神は、長い生活で生理現象の抑制を会得出来る筈だが、火の神相手では通用しないと見える。
インガの居る洞窟を警戒しながら、ヨージ側、そしてミュアニス側の様子を窺う。
これは長く続かない。
例えばヨージが死に、リーアが死ぬとする。竜精はこちらにはさして興味が無いだろうから、最悪ミュアニスとライセンを連れて逃げる方が良いだろう。ただ、親の仇を目の前にしてミュアニスが引くとは思えないし、決着がつかなかった事を咎めに竜精がかかって来る可能性もあるが……少なくとも、グリジアヌが生きる目はある。
例えばこちらがやられ、何かしらの手段によってヨージが竜精を退けた場合。竜精は撤退、ヨージとリーアは助かり、ミュアニスとライセンは死ぬ。グリジアヌが無理をしない限りは、自分も無事だろう。
これは何が悪いかと言えば、後味が悪い。
基本的に、快不快で物事を決めるグリジアヌにとって、面白くない事この上ない。
両方アッサリ死ぬ、という選択肢もあるが、考える必要の無いものだ。死ぬのであるから。
ヨージが何かしらの手段によって竜精を退けた上で、こちらも火の神を倒す……この薄い可能性の確率を上げるに、最適なものは何かと言えば、結局、自分である。
「どこまで唱えたぁ!?」
「さ、三項……ッ!」
魔法の習熟度を無視した詠唱はニンゲンならば身体的な障害を負う可能性がある。まして八項となると、唱えると決意した瞬間から負担が来る。半神ならば不可能ではなかろうが、それでも負担は大きい。グリジアヌが時間を作らねばならない。
「ようし分かった、グリジアヌちゃん、少し頑張るぜ」
大木剣を担ぎ上げる。この木剣に掛けられた拘束は三段階だ。二段目までが限界だろう。三段目を外すと、もうグリジアヌに扱えるモノでは無くなってしまう。
「"リベラティオ・ウヌム"」
第一種拘束解除。今まで黙していた木剣がぼんやりと光を放つ。同時に解除によるフィードバックが襲い掛かり、グリジアヌの肉体を巡る血管が何本か弾けた。
「グッ……いた、いてて」
「グリジアヌさん!?」
「大丈夫、大丈夫。でも早いとこ、唱えろよ、マジ」
「は、はいッ」
思えば遠くまで来たものだ。南方大陸を出て、東に大回り。大樹が枯れた不毛地を抜け、群雄割拠する大陸を横断し、船に乗って揺られに揺られ、扶桑を経由、この大陸に辿り着いた。
どの土地でも、死した神、神気だけ残して逝った神に置いていかれた信徒、教徒達が溢れかえっていた。
大樹教加盟国、保護国は直ぐに新しい神が派遣される。だが、信徒達の気持ちが、そう簡単に前の神から離れる筈も無い。
死んだ神というのは、当然悲惨な末路を辿った神だ。信徒達は、その死に応じた様々な悲しみを抱えて日々生きている。
自分は元を一つの浜辺を依代として産まれた神だ。
ノンビリとした場所で、悲しい顔をするヒトもおらず、人里に顔を出して施しを受け、暇になったらニンゲンと遊ぶ。そんな、殺伐とした世界とはかけ離れた場所で産まれた故に、この世界の残酷さは見るに堪えなかった。
腰に下げた小瓶。自分の産まれた砂浜の砂の一握り、これを見返す度に、信じる者達に救いあらん事をと、願わずにはいられない。
だからこそ、この村にやって来た時は、驚いた。
そして雨秤を降ろし、その理不尽に怒りを覚えた。雨秤は、グリジアヌが呆れる程に心優しい神であった。折角手に入れた幸せを投げ打ってまで、自分の教徒と家族を守ろうとしたのだ。
だというのに、この村ときたら、そもそも存在していなかったかのような振る舞いをする。
世界は神とヒトが手を繋ぐ事によって成り立っているのに。
だからこそ、間違いであったからこそ、今このような、悲惨な状態になっているのだ。
「ぐっ――ッ」
「ミュア、出来るよ。君は雨秤の子だ」
「うん、うんッ」
「僕も居る。僕は、何も出来ないかもしれないけれど、もう目を背けないから。君を信じる教徒の一人だ……僕はどこにもいかない。君を支える為に居る。ミュア」
「へっ、なんだよ、もう」
ヒトと神の絆。ヒトと神の愛。麗しく尊い、人類種に許された至高の感情だ。
世界を渡り歩き、神の死を見続けたグリジアヌにとって、これほど守りたいと思えるものは無い。自分こそが、ヒトと神を繋ぐ架け橋でありたかった。そこに、正義を見たのだ。
「羨ましいなあ」
構える。大木剣を大きく後ろまで回し、しゃがみ込み、足を踏ん張る。
第一種解放によって目を覚ました神殺しの剣が、生き物のように蠢いた。
「大抜刀」
一言、一息、一瞬の衝撃が大気を切り裂き結界にぶち当たる。ガラス戸を大量に叩き割ったような轟音が響き渡り、洞窟の護りがはじけ飛んだ。
「ミュアニス!」
「ろ、六項!」
「分かった! さあ来いやインガァッ!!」
熱風と火炎が洞窟周辺を焼き始める。グリジアヌの汗も端から蒸発して行く程だというのに、ライセンという少年はミュアニスの前に立ち、決して動こうとしない。
男の子だ。彼は良い旦那になる。
では神様も負けてはいられない。ミュアニスが魔法を放つ前に片付けられるならば、それが最も良いのだから。
さあ、何が出るか。
インガはまだ形を成していなかった筈だ。
靄か、霧か、『雰囲気』なんてカタチもあるかもしれない。
だが、洞窟から歩み出て来たものは、ヒトの形をしていた。
「――お、お父様」
「外道め、死体を依代にして保ってやがるのか」
焼け爛れた肌、燃える衣服、赤い炎を纏ったヒトガタがゆっくりと顔を覗かせる。
ミュアニスの父だ。どこへ消えたかと思っていたが、まさかこんな事になっているとは想像だにしなかった。
「ミュアニス、集中しろ、もう、それはただの肉の塊だ」
今まで冷静であったミュアニスの気が乱れ始める。変わり果てた父を見たのだ、動揺するなという方が無理であった。だが、今躊躇ってしまえば、少なくともミュアニスとライセンの命は無い。
「ミュアニ……くそ、強欲だぞ、インガッ! アンタを可哀想だと思ったアタシがバカだった!」
獣の如き自然現象に感傷を抱いた己を悔いる。こうなると分かっていたのならば、憐れみなどせず、自ら殺してやるべきだった。
「ちぃッ」
死体であるとは思えない動きで手を前に突き出したインガの矛先はグリジアヌに向いている。
『操作』が来る。グリジアヌが保有する属性上、更にはその巫女神という性質から、その身体は他の気が乗りやすい。如何に心を縛ろうとも、入る器が空いたままでは、強い力の前に屈服せざるを得ない。
……そうだ、空いたままであるのが悪い。
「坊主! 水、水無いか、水ッ」
「ある! 雨秤の泉で汲んだものがッ」
「最適解! ぶん投げろッ」
ヨージはここまで見越していたのか、はたまた偶然か。
いや、単純に、巫女神としての仕事をしろという話なのかもしれない。ライセンの投げた竹筒を受け取り、頭の上からぶっ掛けて印を結ぶ。
「"カラの器の神の身在り""宿らば宿れ、憐憫なる神の気よ""神神合一"」
どうか、まだ残っていて欲しい。かの神がこの地で生きた証を、この地に根付いた記憶を、今こそこの身に宿さねばならない。
どうして先走ってしまったのか。どうして、誰にも相談しなかったのか。どうして逃げなかったのか。もっと別の方法もあっただろうに。
彼女は心優しく、そして勇敢であったが、賢くはなかったのだ。
娘は日々怯え、教団は消え去り、夫はこの通りだ。神は確かにヒトを超越した存在だが、神一柱で何か大きな事を成し遂げられる程は強くない。
だからこその、ヒトとの絆なのだから。
今ならばまだ、その責任を取れる。使命を果たせる。
「……来た。随分、おっかなびっくりだな」
雨秤の神気がグリジアヌの中へと入り込んで来る。きっと後悔しているのだ。
『今更、愚かな私が出た所で、娘を傷つけるだけであるように、思えて』
「馬鹿言うな――ふんッ」
雨秤に身体を預ける前に、大木剣を地面に突き立てる。木剣は蠢き、瞬く間に地面に根を張り始めた。此方が何をするのか理解したであろうインガは慌てて火球を放つも、既に木剣が元となった木々の壁が一人と二柱を囲んでいる。
「貸す。返せよ」
『……有難うございます、異邦の尊き神』
……。
一度は訪れた事のある身体だ。村に復讐など、辞めろといったのに聞かない、少し困った神ではあるものの、その全てはグリジアヌの性根の優しさから来るものだ。今もこうして、もう二度と会う事の無かったであろう、娘の前に立つ事が出来ている。
これを感謝せずにはいられない。
そして同時に、こんな形でしか出会なくなってしまった事を、謝る他無い。
「ミュアニス」
「……お母様」
「雨秤神……」
「……お母さんが、もう少し賢かったら、こんなことにはならなかったわ」
「そんな事ない。お母様は、命を賭してでもインガを抑えようとしたのでしょう」
「ええ。でも結果が伴わないどころか、皆に迷惑をかけてしまった……」
「それは、村とアインウェイクの所為です。大樹教への協力打診も加盟申請も握り潰されて……雨秤神。貴女は悪くなんかない」
強い意志の瞳がこちらを見つめる。ライセン。醸造家の息子。
水を第一とするからこそ、彼の家は雨秤を大事に扱った。また、歳の近いミュアニスと、唯一親しくしてくれた子だ。
自分がもっと神出来ていたならば。
いや、もう悔やんでも仕方が無い事だ。
「ライセン。有難う。よければこれからも、ミュアニスと仲良くしてあげて頂戴」
「……はい」
「ミュアニス。こんな役目を押し付ける形になって、御免なさい。許してとは言わないわ」
「許すも、何も無いわ。ワタシは信じてる。ライセンも。それに、お父様だって、ずっと信じていた。だから、お母様。泣かないで。ワタシは、負けないわ」
幼子だとばかり思っていた娘は、眼尻に涙を溜めながらも、気丈に振舞っている。ヒトとしての感性を抱きながら、神としての自覚を秘めた、強い意志だ。
もっとその成長を見守りたかった。その場所に立ち会いたかった。
愛すべき幸福な日々はもう訪れない。だが、この子達だけには、こうなって貰いたくない。
自分が受けた幸せ以上の世界を、見て貰いたい。
自分は母であるから。家族であるから。
神なれど、ヒトと交わった者として、責任を取らねばならない。
「さあ、ミュアニス。正面を向いて、目を見開いて。魔法とは、この世界に渦巻く力を自らの色に染めて形作る法則。本来なら、どんな才能が無いヒトだって扱える筈のもの。ヒトがヒトであれば、神が神であれば、誰にだって出来る事なの」
「ええッ」
ミュアニスの左肩に手を乗せる。ライセンもまた、右肩に手を乗せた。
「それはヒトが、神が、生きたいと思う力。遠く遠く離れてしまったご先祖様達が編み出した、願いの具現。そこに善悪は無い。結果だけに善悪が宿る。これから、貴女は一柱の神と、可哀想な……父を殺すわ。苦しませないように。これ以上、悲しませないように。貴女の行いに、善が宿るように、願いを、カタチにして」
世界の力は無形だ。ニンゲン達はこれにそれぞれの色があり、個別の力を有していると勘違いしているが、そうではない。本来は全て無形で無色透明だったものを、誰かが支配しただけだ。
新しく産まれた末端の神達には、既に本来の無形の力は扱えないかもしれないが、それでもこの『星』は未だ胎動し、鳴動し、溢れる力を漲らせている。
これを借り受ける手段、方法、行動、それによって、魔法の強弱は変動する。
『九頭枝の保護が切れるぞ』
頷く。グリジアヌという神には、感謝してもし足りない。
「辛いでしょうけど、痛いでしょうけど、紡いで。お父さんを、助けてあげて」
「ミュア。やろう。オジサンは、誰かを傷つけたいなんて、絶対思わないヒトだから」
「――"水の尾は途切れ無く""神の肌はまた穢れ無く""生命の濁流は永遠であると知れ"」
九項。
「『雨秤の血』」
十項。ニンゲンを超越する、魔法詠唱限界突破点。
ヒトの身では体内から爆散するであろう力を、全て押し留め、それを放つもの。
「……生きてね。幸せに、なってね――」
「はい、お母様」
グリジアヌの結界が解ける。
『アアアアア――ッッ』
可哀想な夫。燃えながら、涙を流し、きっと抵抗しているに違いない。
本来ならば蒸発する筈の涙は、もはや呪いとなって流されている。
「……左様なら、お父様、お母様――"放て"」
突き出されたミュアニスの右腕に力が収束する。
この灼熱の中、濃霧が立ち込め、光と共に、娘の一撃は正面に存在する、あらゆるものを弾き飛ばした。




