明日を目指す旅路1
遠く遠くから、聲がきこえる。
麗しく、美しく、華を滴る雨粒が如き聲がきこえる。
カミよ。
アソラよ。
――我が龍よ。
「何故、頼ってくださらないの? 朕はいつもいつも、貴方様をお慕い申し上げておりますのに。龍が怖い? 化け物は嫌? まあまあ、一度委ねてみてくださいな。きっとより良き明日が見える事でしょう。一万年に一度の恋ですもの、是非、受け入れてくださいな、惟鷹様」
『ソレ』が言う。
『今日』の見た目は十歳の童女だ。
アレに常識など通じない。ニンゲン世界の法則など一つも当てはまらない。
明日は少女の姿だ。
明後日は妙齢の姿だ。
次の日は、全く別の姿だろう。
これは何人目の彼女だ?
普段、七二人程に分身を用意して、扶桑各所で治世を行っている。そも、数など数えるだけ無駄か。彼女が望めば如何様にでも姿が変わり、数が増える。
右に左に、上に下に。
家に、職場に、戦場に、彼女は現れる。
風呂場に、厠に、布団の中に、押し入れの中に、彼女は居る。
気が付けば当たり前の如く、ヒトを蕩かす笑みを湛え、彼女は誘う。
一人では足りないだろうと、貴方様には無上の快楽をと、二人、三人と、増える。
右に左に、上に下に。
ヒトを離れた絶世の美女が、埋め尽くされている。
恐ろしい。
怖ろしい。
おそろしい。
自分が望めば、彼女は何でも叶えてくれる。金を無心するなどバカに思える。何かを努力するなど阿呆の所業のようにすら感じる。
ヒトの身である事の無意味さ、ヒトの価値の無さ、世の事象、森羅万象、万物万理、何もかも、彼女の前では意味が無い。
そんな、そんな無意味さに押しつぶされてしまう。
幾らエルフとて、そんな精神、持ちえない。
「助けてくれ……時鷹……たすけてくれ……」
死んだ弟の名前を呼ぶ。
一族の期待、本来家を継ぐべきだった、親類の星。
自分を兄と慕ってくれた、輝ける『古鷹一族』の未来。
古鷹本家は彼の死を悲しんだ。
人間族と交わり、衰退した『青葉家』ではなく、純粋エルフたる『衣笠家』の長男、時鷹こそが、みんなの希望だったのだ。
皆は責めた。
輝く星を護れなかった、青葉惟鷹を責めた。
「殺したくて、殺す訳がないだろう……僕は! 僕は戦ったのだ。アイツと、時鷹と! ともに、手を繋いで! 若いアイツは、死ぬべきじゃあない! そんな事、分かってる、当たり前だろう!」
憧れていた。
若く、強く、美しいあの男は、青葉惟鷹とはモノが違う。
お家を護り、お国を護る、未来だったのだから。そんな彼が、自分を兄と慕ってくれた。落ち目の分家の長男如きを、彼は尊敬してくれていたのだ。
「そんな事でお悩みに? 言って下されば良いのに」
やめろ。
「彼を構成した物質一握り、何でも構いません」
やめてくれ。
「まあ、髪の毛。ええ、問題ありませんの。朕に出来ない事なんて、つゆ程にもな無いのだから。さあ、惟鷹様。お喜びになって。貴方の愛しい弟君は、すわ眼前に」
「やめてくれ……やめてくれぇ……やめてくれよぉ……お願いだ、アソラ、我が龍、これ以上、これ以上、僕の価値を壊さないでくれ……殺さないでくれ……」
頭がおかしくなる。
あの女にとって、ヒトなんてものは粘土細工でしかない。
そこに、肉体も、魂も。ニンゲンという難しい構成の存在を、何もかも、本当に、元あったように、完璧に、再現してしまう。
……頭がおかしくなる。
アイツは死んだ、死んだ。
死んだのだ!
「兄貴」
刃を突き立てる。還れ。還れ。
ここは、もう、お前の居場所じゃあないのだから。
どれだけ皆に乞われようと、どれだけ皆に望まれようと、死んだニンゲンが蘇っては、いけないのだから。青葉惟鷹の価値の為、お前の死の価値の為、ニンゲンの生命の価値の為、還ってくれ。
「妹……まゆり、頼むよ。兄貴。兄貴なら、安心だ」
衣笠時鷹。我が一族の星。その妹。
「時鷹兄様に何かがあれば、惟鷹兄様を頼れと。親族の皆さんは、五月蠅く言いますけれど、時鷹兄様は、常々惟鷹兄様を慕っていました。誰よりも尊敬していました。だからまゆりは、惟鷹兄様を責めたりなど、しません。時鷹兄様は、貴方の腕の中で亡くなれて、幸せだったでしょう」
済まない。
済まない。
済まない。
許してくれ。まゆり。
「まゆりは、これから惟鷹兄様の妹です。どうか、どうか。時鷹兄様と同じように、親しくしてください」
珠のように光る娘だ。あの兄があり、この妹が居るのだ。
何が在ろうと護る。絶対に護る。
自分の命など、この尊い妹に比べれば、カスのようなものだ。
何もかも、全部全部投げ打って、護ろう。護らねばならない。
護らねば……
「――あら、新しい子。ねえ、惟鷹様。可愛らしいですわね? 美しくありますわね? 古鷹の一族は、本当に恵まれていますのね」
やめてくれ。
「そんなにそんなに、愛おしい? この朕よりも? あはははッ」
やめてくれ……お願いだ。
アソラよ。
我が龍よ。
十全皇よ。
天禊国禊八百柱大御神よ。
「その子、その子だけは……その子だけは、やめてくれッッ!!」
「だぁめ」
化け物に。まともな話が通じる筈が無いのだ。龍とニンゲンは、絶対に分かり合えないのだ。
「やめてくれぇぇェェェェ――――――ッッッ!!」
明日を目指す旅路
「うああああぁぁぁあッッッッ!!」
全身が突如痙攣したかのように飛び跳ねる。前後不覚、上下不明、高波に浚われ蹂躙されたようにして、ヨージはベッドから転げ落ちた。
「あ、ああっ! あ、あ……ああ……」
悪夢。いいや、悪夢なものか。何もかも現実だ。
使ってしまったのだから、アレを思い出すのも仕方が無い。
つまり、再び繋がってしまったのだ。
「あらまあ。どうされましたの。悪い夢でも視ましたかしら?」
「アッ――ああッ」
ベッドの横。その椅子に、あの女が座っている。
夢、夢ではない。
身体が痛い。
もう来たのか。
距離なんてものは、この化け物には適用されないのだろう。そもそも、本人であるかどうかなど、問題ではない。近場に『作れば』良いだけの話なのだ。これはそういう類の、神話のバケモノなのだから。
「本当にボロボロ……御労しい。最後の最後まで渋りましたのね? 出し惜しみ」
黒髪、おかっぱ髪。扶桑の一般的な童女の装いで、この女は居る。
面白そうだ。面白いものか、何が楽しいか。
「つ、使える訳がない、クソ……使ったんだった……」
「くふ、くふふふッ! ああ、おかしい。貴方様の震える顔ったらない。素敵。愛していますわ」
「帰れ、化け物め」
「あらやだ。女皇陛下に対して化け物呼ばわり! 本当ならば、一生死ねない檻の中に入って頂いて、毎日死ぬ程の拷問を加えて差し上げるところですけれど、貴方様は特別。御咎め無し。特別、特別。くふふッ」
特権階級を嫌ったヨージに対して、この物言いだ。お前は私の掌の上からは逃げられないと、お前は絶対殺す事などせず、いつか必ず飼い慣らしてやるのだと、この女は言っている。
「帰れ」
「いけず。久しぶりにお顔が見れて、歓喜していましたのに。よくもまあ、こんなところまで」
「話す事なんか、一つも無い」
「まさかまさか。有り余る程有りますでしょう。現状、お苦しいのでは? アソラが、ええ、貴方様のこの朕が、全てマルッと解決して差し上げますのよ?」
「何も触るな」
「反抗期――可愛い――素敵――」
ふるふると震えながら、子供がしてはいけない顔で悶絶する。
何が龍か、何が十全か。こんなもの、色情狂が形を成したものと相違ない。
「冗談はさて置き。何せヒトサマの土地ですから、勝手は出来ませんの。まして、こんな帝国の内陸部に、龍が居ると知れたら、竜精どもが束になって襲ってきますわ。大変愉快ですけれども、村どころか国が一つ滅ぶ可能性も見えてしまう。これは、いけません。何せ朕、これでも一国と複数の植民地を支配する統治者ですの。むやみに世界を乱すものではありませんわ?」
「……」
「……――そう硬くならず。これでも、朕は反省致しましたのよ」
「反省? うん十万年前から、精神性の変わらない龍が、反省?」
「酷い、女を年増と罵るだなんて。ま、それは良しとしまして。交渉に参りました」
「御自ら? ハッ」
「治癒神友の会。これ、扶桑で公認致しましょう」
明るい笑みで、化け物が言う。答えは決まっている。
「結構です」
「そう逸らないで。貴方様の身柄は当然、朕の悲願ですから、確保致しますわ。代わりに、扶桑での布教許可、女皇陛下お墨付きを発布、貴方様もそのまま、宗教の幹部に居座って頂いて構いません。貴方様はあの国で自由を得られる。あの国で、ですけれど、それ以上の束縛は致しません。現在の指名手配は全部白紙。何でしたら、官位は如何? 官職は如何にしましょうか。格好の良いもの、幾つか身繕わせます。ああ、所領は、そうですわね、実京から近い場所。一〇万石程度ですかしら」
「……何も反省してない」
「……だって。朕、与えるぐらいしか出来ませんもの。彼が無欲で困ります」
拗ねたように、口を尖らせて言う。
これが怖い。コレに、基本人格なるものは存在していない。
『あらゆるもの』である十全皇は、その時々、作り上げた肉体に性格が寄る。故に今は、知識こそあれど見た目相応の、十代の少女程度の性格だ。
出会ったあの日と、同じ格好、同じ服装、同じ髪型をしているのは――彼女なりの、誠意なのかもしれない。
いや……なんだか、アンバランスに、胸が大きすぎる気も……するが。
「……寝起きで錯乱しました。失礼。しかし、お断り申し上げる」
「そんなに、自由である事が素晴らしい?」
「貴女に縛られない自由ですかね?」
「あー。それは難しいお話です……ま、貴方様が寿命で亡くなるなどもっと先でしょうから、気長にお待ちしておりますわ」
「……なんと、お帰りで」
「帰れと仰いましたでしょう? だから、反省致しましたの。しつこくないよう」
だから、今この状態がしつこいのだ、という言葉を飲み込む。
しかし、この女がただで帰る訳が無い。何を企んでいるのか。
「シュプリーア」
「……!!」
「可愛らしい……良い神ですわ。いささかばかり、まともでは無さそうですけれども」
「――……ッ……ッ」
「嗚呼、うふふ、その睨んだ顔が見たくて、口にしましたの。触りません、触りませんわ、今は。今回は報酬として、なんと、少しだけ見逃して差し上げます!」
「……は? 報酬?」
「貴方様のお妾の為に朕の占有根幹魔力を使用されましたのは、大変に、それはもう、大変に不愉快なお話なのですけれど……それ以上に、竜精めを退治してくだすった」
「まあ、逃がしてしまいましたがね。あと、妾ではない」
「ヒトの身で、あれを殺せるとお思いになる辺り、流石としか言いようがありませんわ、愛しい貴方様。竜精はちょっと突くとすぐ怒る。短気で情が無くて趣が無くて、好きません。だから、そんな畜生めを敗走せしめました貴方様に、報酬。ご褒美。女皇陛下からの、お許し」
「……――」
「右往左往、してくださいまし。朕楽しく眺めさせて頂きますわ。非道と罵られ、エルフの風上にも置けぬと恨まれ、逃げ回った貴方様……御可哀想。ふふっ、ああ。御可哀想な姿が、とてもとても、愛らしい。新興宗教経営、頑張ってくださいまし、青葉惟鷹様。愛しい、愛しい、朕の男。嗚呼、本当に、好き、好き、好き好き、大好き……ふふっ、ふふッ」
十全皇の分身は、一しきり笑った後、そのまま床に溶けて消えた。比喩ではない。
あれはどこにでも居る。どこにでも在る。
居ようと思った場所、居たいと思う場所に居る。
これも、魔力で作り上げた、しかし実際殆どヒトと変わらない、使い捨てなのだ。
寝起きからとんでもないモノに出会ってしまい、精神の値が下がる。
「あうー! ヨージさん起きなかったらどうしましょー我が神ぃ!」
「起きるよ」
「そうですかー? 本当ですかー? ヨージさんそのまま植物になりません?」
「ならないよ」
「我が神が言うんだから間違いありませんね! 流石我が神! おはよーございまーす!」
「声がデカすぎる……いえ。声が大きすぎますよ、エオ嬢」
「あはは。うわー! 起きてる! ヨージさん!」
「ぐえぇ」
エオの上段タックルを食らい、首が締まる。それにしてもおっぱいがすごい。
「よーちゃん、死ぬ、死ぬよ、エオちゃん」
「ぐえぇ」
「ああ!」




