終末光彩 後
『アズダハキャリア以外会話厳禁。アズダハキャリアにおいても会話に注意されたし』
烏丸研究所、第三研究区、地下十二階。烏丸研におけるアズダハの研究開発を行っている場所であり、第三研究区は本部からかなり離れた郊外に置かれていた。取り扱うアズダハの中でも中程度の危険度を想定されるものが収められている事が多い。
地下十二階というのは、基本的に生体を用いたアズダハ実験体を収めておく場所であり、何かあれば即座に支柱が爆破され、全てが埋められる仕組みになっている。アズダハキャリアの自分からすると、正直そんなもん意味ないだろ、とは思うが、形式というのは必要なものだ。一応の安全性を示しておかないと、国に説明がつかない。
烏丸研は国立研究法人であり、文科省下に属する。つまり研究者も国家公務員だ。予算も国から降りて来るものであり、成果が無ければ数字は出ない。五智如意法の私的研究所とは懐具合が違う。
何が言いたいかといえば、国が金を出しているのに成果が上げられないのでは、アズダハ研究なんて意味ないだろ、とせっ突かれ続けていたのだ。五智如意法の研究所を襲ったのは、勿論他にも理由はあるが、主な切羽詰まった理由などそれくらいなものである。
烏丸研のアズダハ研究、その成果をみれば、焦るのもわかるだろう。
細胞(と思しきもの)が異常増殖を繰り返して人の形を失くしてしまった者。
アズダハに脳を乗っ取られ、肉体を脱皮し、手足の生えた脳だけで這いまわるナニカ。
アズダハを埋め込んだ人間が二人くっ付き、不可分となってしまった者。
アズダハが携帯端末を乗っ取り、人間に癒着して離れなくなり、あろうことかそれは全身に波及し、人間大の携帯端末姿になってしまった者。
透視能力を獲得。あらゆるものが透けて見えてしまい、目を自ら潰した者。
女性に執着した犯罪者だったが、アズダハを埋めた結果巨大な乳房が顔面から六つ生えた男。
右手から本物の金を、左手から本物の水銀を生成するが、五分後には全てが女の髪の毛になる男。
「そりゃ焦るわ。酷い有様だもの」
これで一部。十二階よりも下にはもっと目も当てられない者も居る。
アズダハとは、簡単にこちらの意図した形になってくれるものではない。直接の接触はNG、人間の思念を勝手に読み解いて形容しがたい物体に変化してしまう。ちょっとでも下手な願いをすれば即座に歪んた形で叶えられてしまう。
変化させる事は容易くとも、こちらの意図を汲ませるのが非常に困難だ。
その手順を失敗し続けた成果物が、この檻である。
そんな中、比較的手前側、まだなんとかなりそうだろう区画(と勝手に火具耶が呼んでいる)に、鈴谷新が収められていた。
鈴谷新の能力は、烏丸研においては『感応干渉系』という能力に分類されている。精神に働きかける能力全般をこう呼んでいる。
新のものはなかなかに強力で、自分の考えを、発した言語以上の意味や詳細を含めて相手に伝える事が出来、かつ、相手が何を考えているのか鋭く読み取る事が出来る。
尋問が一切通じない。相手が何を考えているのか読めてしまう為、ヘタな質問は自分の墓穴を掘るだけになる。また言語を通じて相手に最高の好感度を容易く与えて来るので、会話はかなり慎重にならねばならない。
そして何より特筆すべきは、そのコミュニケーション能力が、人間以外にも適用される事だ。
彼は――この能力を用いて、アズダハとコミュニケーションを図っていたのだ。
「はい、ID」
「はい、火具耶様。会話にはお気をつけください」
新が収監されている部屋の前室に入る。そこは強化ガラス越しの面会室のような造りになっていた。中では、虚ろな目をしたまま中空を見つめる新が、椅子に座っている。
こちらも椅子に座り、マイクのスイッチを入れる。
「おはよう、アラタ。貴方がここに来て一週間目の朝よ」
返事はない。それが心神喪失からなのか、わざとなのかは分からない。食事は最低限取っているようであるから、生きる意志くらいはあるのだろう。
「教団は混乱しているみたい。代表者は海外だし、その子供は行方不明だし。ああ、美公将は東京郊外で目撃例があったから、生きているみたい、良かったわね」
「……」
「気になるかしら。そうよね、一番の友人だもの」
普段の会話においては、まるで反応を示さない彼だが、仲間の話には流石に興味があるのだろう。微動だにしなかった身体が揺れたのが解る。
ちなみに、ここはアズダハの励起を抑え、基底状態に留める薬剤が微量に散布されているので、余程でない限りは能力の行使が出来ない。彼が本気になれば解らないが……壁越しの会話では、影響も与えられない……筈だが。
新が顔を上げる。
「アズダハ基底剤なんぞ、俺には意味がないぞ」
「おっ。喋った。やっぱり意味ないの?」
「"愛してる"」
「ほげッッ!!」
脳に直接、鈴谷新という男の好意を注ぎ込まれるような気分だった。彼が火具耶に好感など抱いている筈もない事は分かり切っているのに、それでも『もしかしたら彼は自分を愛しているのかもしれない』などという妄想が、無限に湧いて来るのだ。
否定、否定、否定。武蔵野ヒルダの能力もそうだが、それは無いもの、在る筈がない事、という意識が非常に重要だ。物体として実在しない能力は、これである程度否定可能になる。ただ勿論、これはアズダハキャリアであるから可能な芸当であり、一般人が喰らえばオシマイだ。
「おっぉぉぉ……ふぅぅぅ。はい、ありませんわ。ない。やるわね、アラタ」
「ばからしい」
「……心神喪失っぽい顔してたの、演技?」
「そう見えるようにしていただけかもしれんぞ」
「映像ぐらい残ってるわよ、流石に……え、電子機器にまで影響出すの?」
「どうだかね。妹はどうした」
「安定しているわよ。ただ、やはり前頭葉は摘出でもしない限り、死ぬわね」
「だろうな」
「ねえ。研究ならココでも出来るでしょう? 妹さんの脳に関しては……幹細胞で誤魔化す他ないと思うけど」
「幹細胞での再生は時間がかかり過ぎる。フォールン浸食部分が大きすぎるんだよ。アズダハによるフォールン抑制がなければ、ただ摘出してもまた転移するだろう。もう時間がない。俺は妹の脳を完全に戻してやる為に研究を始めたんだ。他の研究は副産物に過ぎない」
「良く喋るわね」
「俺は喋る事が能力の発動条件だからな。今こうしている間にも、お前の精神に影響を与えている。気が付かれない程度にな」
「そういう脅しの類は効かないの。私を取り込んだところで、何にもならないしね。私は、木端の実験体でしかない」
「烏丸研所長の孫娘なのにか」
「あの男はもう人間じゃあない。研究に魂を売って……おおおぉっと、喋らないわよ」
「お喋りなガキだ」
顔が赤くなる。ヴァルハラでも何度かコミュニケーションを取っていたが、現実で会話をする彼と言ったらない。恐らく彼の能力は常時発動だ。こんな冴えない男と会話をして、話が弾むなんて意味が解らない。しかも自分の詳細まで語ろうとしてしまった。
近くで見ている研究員が怪訝な顔をしている。
「火具耶様、後程精神鑑定を」
「解ってるわよ……。じゃあ、また来るから」
「アソラはどうした」
「生きてるわよ。離れたところに隔離してるけど」
「そりゃそうだな。ああ、そうだ、一つ助言なんだが」
「なによ」
「お前達は俺達を襲ったんだ。俺達がお前達を襲わないとは限らない」
「……――」
収容室を出て消毒され、精神鑑定を受ける。影響なしと判断され、そのまま出された。正直な話、これは無意味だと感じている。何せ鑑定している者達はただの人間なのだ。アズダハキャリアによる精神汚染を、見抜ける筈もないのである。
烏丸研がどれだけ安全に配慮していると言っても、アズダハの未知性は限りなく、影響の全てを把握するなんていうのは無理なのだ。故に、五得病院アズダハ研究所の危険性、なるものに言及するのは詭弁でしかない。アズダハを扱った時点で、全てが危険なのだ。
メイン通路を抜けて細い地下通路を通り、自分達アズダハキャリアが寝泊まりしている宿舎区画へと戻る。通路が細いのも、何かあった時すぐ生き埋めにする為だ。
交友室へと足を運ぶと、そこでは一予が音楽を聴いて呆けていた。こちらに気が付くと、イヤホンを外して小さく頭を下げる。
「火具耶様、鈴谷新はどうだった」
「まだ元気みたい。妹さんが生きて居る限りはね」
「鈴谷黄萌か。アズダハ研究を始めたのも、全部妹の為だったね」
「彼の生きる意味そのものだもの。だから結局、妹さんが無事かどうか、それだけが全ての基準なの。妹さんが助からなければ、彼もコチラに協力なんてしないわ」
彼には欲求らしい欲求が感じられない。己の全生命力を妹の生存に賭けている節がある。金など興味はないし、女も別に困っていないだろう。名誉などもっとどうでもいい。そういった人間は、普段何気ない生活の中においては無害であるが、こと専門的な事を始めると厄介である。
一つの事にしか執着していない為、他はどうでも良い。しかし才能は有る為、周りは放ってはおかない。結果、他の話をきかない暴君が誕生する事が多々あるのだが……彼の場合はそのアズダハ由来のコミュニケーション能力が全てを均し、問題無くコミュニティに所属出来ていた。
しかも執着先が肉親の延命であるからして、他と利害が衝突しないのだ。彼はひたすらに研究に勤しむ、遠くない志を持つ者達にとっての希望の光として輝いていた。
そんな彼が今は囚われの身となっている。そしてそこには交渉が必然としてついてくる。だが彼には欲求が無い。取引が成立しないのだ。これは、非常に困った事だ。
「妹さんは実質人質だけど、何もしなければ結局死ぬから、交渉に使えないのよね」
「恋人とか居なかったの?」
「武蔵野ヒルダとは、肉体関係があったみたいだけど、彼の口からヒルダのヒの字も出て来ないわ。恋人なら多少心配ぐらいするでしょ?」
「想っているからこそ名前を出さないって可能性もあるんじゃないの」
「あれは……そういうカンジじゃないわね……そも、心配するには強すぎる女だし」
「データは燃えて、美公将と武蔵野ヒルダは消えて、要の鈴谷新は非協力的。ボク達の襲撃ってなんだったんだろ」
「だいたい慙月の所為よ」
「襲撃の意味は、体よく奴を処分出来たぐらいか。言う事聞かない能力者なんて危ないし」
「ここまで誰にも死を悲しまれないというのも虚しい男ね」
「そもそも自分の家燃やして家族焼き殺した男に、誰も同情してないよ」
烏丸研における実験成功例。その内の三件が自分達能力者だ。実験件数自体はかなりあるものの、有益と判断された例はあの通り少ない。しかし度重なる実験で成功する為の傾向自体は見えて来ていた。
『本人が何を心に抱えているか』『何を切実に願っているか』である。
襲撃の折に死んだ慙月などは放火魔であったが、その度合いが常軌を逸していた。自分を含めて被害を受けるリスクを取ってでも燃やしたいという『放火癖』の類であり、未成年再教育所送りにされていたところを、その経歴を見た祖父である烏丸一郎が拾って来た。
一予などは元被虐待児であり、音にとにかく敏感で、家にいる間は衣擦れ一つ起こす事を許されず、全裸で生きる事を強要されていたという。
そういった体験や恐怖が能力としてハッキリ出る事が解っている。
「火具耶様、火具耶様、だいじょうぶ?」
「え、ええ。どうしたの?」
「目が虚ろだったけど。アラタに何か影響されたんじゃないの」
「だいじょうぶよ。ただ、アラタがほら、もしかしたら、仲間がココを襲撃するんじゃないかって」
「美公将と武蔵野ヒルダ、それに漆原宝太は無傷なんだろう。ヒルダだけでも力があるんだから、襲わない理由がむしろ無いと思うね。問題は、ここが特定出来るかどうか」
あの襲撃は、彼等が戦闘において素人集団であったからこそ成功したようなものである。しかし本当に彼等が攻めて来て、いざこちらが守備に回り、借りていた戦闘員も無いとなった場合、負ける可能性が濃厚だ。
幸いな事に、この研究所は秘匿されたものである為、公文書には記載がない。ここで働く者達も全員が強制力の強い守秘義務を有し、実質家族を人質に取られているようなものであるから、話が表に出る事はまずない。ここの存在を調べようと思って出て来るものでは、ないが……。
「麻生麗……アズダハ前頭葉は?」
「地下二十階」
「本当にヤバいのが出来ちゃった時に使うって言ってた場所か」
「ガイノイドの手足はもがれて、拘束されてるわ」
「見たの?」
「護衛としてついていった時に、チラリと」
あれが、どのような仕組みで動いているかは分からない。ただ手足は接合部から外されており、自ら動ける状態になかった事は確かだ。ガイノイドは年々高性能に、人に近いスキンを自在に動かせるようになって来ているが、少なくとも彼女の顔は、既にロボットの域にはなかった。
そもそも、顔の造りがヴァルハラで見た彼女と同じだった。声も、そのまま彼女だった。
アズダハによる肉体再現……物理法則を無視した質量の増加、由来不明のまま現実の素材を作り上げる不可解生成。アズダハ脳なのだ、そのぐらいは平然とやってのけるだろう。
ちなみに、火具耶は別の場所での管理を進言したが、却下された。ここ以外の研究所が街から近すぎる、高度なアズダハを扱うのならばココが一番、という理由だが、防犯性は加味されないのだろう。
いざとなれば全部生き埋めにするつもりでいるのかもしれない。
鼻で笑う。アズダハ脳を土に埋めたからと、どうにかなるものでもないのに。
「一予ちゃん」
「なに?」
「もし本当に、美公将や武蔵野ヒルダが攻めて来たら、逃げてね」
「逃げて、どこで暮らせっていうんだ」
「その力を使えば幾らでも暮らしていけるわよ。貴方は薬剤に頼らなくていいもの」
「逃げるなら一緒ね」
「私は無理よ」
「――いっそ裏切る? ここのカス共も、研究所長もぶっ殺してさ」
「盗聴はされてないけど、口にしない方が良いわ」
「考えておいてよ。慙月は馬鹿だったけど、もう居なかった者として扱われてる。僕達が死んだって同じような扱いだ……。じゃ、実験に戻るよ」
「……」
彼は小さく幼いが、生きる為の嗅覚……というより、聴覚が鋭い。絶望的な家庭環境を生き延び、彼は意を決して家を飛び出した。補導され、施設へ送られたところで、彼もまた烏丸一郎の眼鏡にかなったのである。
それが良かったのか、悪かったのかは分からないが、音を出しても叱られない環境にいる彼は、苦しそうではなかった。この研究所にもそれなりの義理を持っていると思われる。だがそれでも、慙月の扱いの悪さを見た彼の出した答えがコレなのだろう。
(私には出来ない)
日本におけるアズダハ研究の第一人者、烏丸一郎という呪縛。才あるもの、力あるものは全て身を粉にして社会に奉仕せよという思想は一般的な度合いを通り越したものであり、アズダハに取り憑かれた彼は、世界を救う為に……孫娘も犠牲にした。
両親は嘆くばかりで助けてなどくれなかった。自分よりも優秀であった姉もアズダハの犠牲となった。姉が死んだ時とて、泣くばかりで、何もしてはくれなかった。
(羨ましいんだわ。鈴谷兄妹が)
妹の為に。妹を必ず救う為にと己の全てを擲ち、心から嘆き悲しみ諦めず努力をしてくれる兄がいる、その家族愛が。
形だけではない、言葉ばかりではない、本物の心が、烏丸火具耶は欲しかった。それさえあれば、火具耶は何でも喜んで協力したに違いない。
しかし結果はこの有様だ。アズダハの励起を促す薬は依存度も高く、定期的に摂取しなければ錯乱する。当然こんなものを手に入れられるのは研究所だけだ。
目に見えない檻が、自分を閉じ込めている。
第三研究区、地下二十階。
他の隔離階層とは異なり、ここは特別製であった。アズダハを研究している限りは、想定を超える現象が起こったり、手に負えない能力を持つ者が産まれる可能性がある。現状は通常隔離で対処可能となっているが、それでも手に負えないと判断した物体、人物を収容する為の階層だ。
地下二十階は上層階とはかなり離れて深く置かれており、厚さ十数メートルのコンクリート壁に加えてタングステン合金、鉛、特殊ゴム、複合繊維素材等で全てが覆われてその外装部には更に水の壁が設けてある。貫通爆弾を投下されてもここには到達しないし、中性子爆弾が破裂したところで放射線も届かないし、何も逃さない。
常に気密され、換気の為にも三つの手順が存在する。コンピューターは全てスタンドアローンであり、研究所内のローカルすら繋がっていない。データの持ち運びは厳重に管理され、身体検査およびアズダハの測定が義務付けられている。
存在しているだけで金を食う場所に、とうとうそれを必要とするアノマリーが運び込まれたのだ。
個体識別番号は0番。地下二十階を初めて使用する事となった物体だ。外部から受け入れたものである為、番号割り当てはゼロとなった。
外装部は女性型超高性能ガイノイド『MWG-01』であるが、純正品ではなく、私的に改造された形跡が見受けられる。頭部の容姿もカタログとは異なるものであるが、全体の形状としては十代中盤女性の見た目をした性目的のロボットだ。
頭部内側は特に改造されており、柔らかい物体を液体に浮かせて保管するよう作り直されている。現在行動を制限する為に肘から下と膝から下は取り外されている。取り外しの際、人間のように血を吹き出し、骨と脂肪、筋肉繊維が露出した。
奇妙であるのは、全てが人間の部品に置き換わっているものではなく、部分によって異なっている事だ。末端はまだ機械部品も多かったのだが、レントゲン撮影の結果、内臓部の大部分は人間と同じような構造の臓器に置き換わっていた。
それら異常な構造を再現しているのが、頭部に収められた人造脳、鈴谷黄萌アズダハ代替脳である。幾つかの資料から、これが本来は前頭葉部分しか存在しておらず、代替脳はやがて自意識を覚醒させ、脳の不足部分を自ら補い、全脳として自らを構築したという。
アズダハ脳の研究は禁止されている。アメリカ南部の研究所で行われていたアズダハの人体代替研究において、アズダハ海馬を人体に移植した結果、原因不明の幻覚現象が周辺の街にまで広がり、これに対処する為南部統括臨時政府は核の使用を躊躇い無く実行した。
アズダハ海馬の行方は不明とされていたが、五得病院アズダハ研究所の資料から、それが宗教法人五智如意法の教祖、武蔵野界光に渡っていた事が解っている。アズダハ海馬の行方はまた不明である。
「うん。右腕を切除してくれ」
「右腕切除」
「了解、右腕切除」
特別収容物研究室内、解剖室。全面強化ガラス張りの部屋には中央に手術台が置かれ、その上に0は設置されている。研究執刀者はロボットアームを用いて器具を操り、対象物の右腕部分を電動解剖鋸で切除し始める。
『ぎぃぃぃぃいぃぃあいああぁぁああぁあぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁっっっっっ!!!! やめて、やめてやめてやめてぇぇぇえぇぇッッ!!!! 痛い痛い痛い痛いッッ!! ぎっ、ぎぃぃぃぃいぁぁぁぁあぁ!!』
本来ならば相当の距離を置いた遠隔操作での手術が好ましかったものの、地下二十階での通信は禁止されている為、研究員達には同意書を書かせた上で作業に従事させている。
切除していた研究員の手が止まる。
「……――……――――」
「手を止めるな」
「しかし」
「人間の擬態が囀っているだけだ。気にする事じゃあない。大事なのは、これがどのように構築され、構造を維持しているか、それを知る事だ」
「はい」
『ぃぃぃっぃいぃぃっひっ、ひっ、ひぅぅぅぅっ、うぅぅっ、なんで、なんでこんなことを……ひっ、いぃひたい、ひたいいたいいたい痛い……』
「所長。せめて麻酔を」
「アズダハに麻酔なんか効かないよ。アレは痛覚遮断の意味を理解していない。では全身麻酔だが、そもそもコレが眠った姿をみたか? アズダハは疲労なんぞしない。眠りも必要がない。意識を遮断する意味もない。アレの意識というものは、『人間は意識を持っている』という思い込みによってのみ存在しているにすぎない。あれは、ただの、反応だ。早く切り落とせ」
0は自身を人間と自称している。事実一部に関しては鈴谷黄萌という実在人物の脳であるが、それはおよそ3g程度であり、アズダハ代替脳部分は800gに及んでいる。前頭葉として培養されていた頃の重量がおよそ200gである事から、その増加量は目を見張るものがある。
『あああぁぁ……どうしてこんなこと……なんでなんで……アラタ、アラタどこなの……』
「みろ。大体な、麻酔も無しに腕なんぞ切り落とされたら卒倒するか下手をすればショック死だ。随分余裕そうだろう。血液量も明らかに少ないし、あの色は機械用のグリースも混ざっている。そういう事だ。腕はそちらのボックスに収容、次は開腹だ」
「開腹準備」
「開腹……準備します」
先に切除した右肘から下と見比べても、右腕は生体部分がかなり多くなっている事が見受けられる。ガイノイドを支配しているアズダハ代替脳の判断によるところも多々あるとは思われるが、生物として成立し得る部位から優先して、生体部位に置き換えて行ったと予測される。
注目すべきはやはり臓器であろう。
「所長」
「なんだ」
「見学されていた、火具耶様が卒倒されていますが」
「可哀想に。優しい子だからね。休憩室に運んであげなさい」
「はい」
「さ、あまり長い時間の接触は推奨されない。腹を開いてくれ」
『何……次はなんなの……イッッッ!! いや!! 痛い痛いっ!! やめてやめて!! なんなの、なんなのよッ!! っぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ――――ッッッ!!!!!!!!』
0の腹部を開く。中は既に人間と遜色のない臓器で埋められており、人間と同じような色をしていた。やはり人間になり替わる為にはまず臓器を置き換えるのが正しいという判断をしたと思われる。
「凄いな……ここまで精巧とは。アズダハ製で在る限りはあらゆる人体に適合出来る。これを臓器の製造工場に出来れば効率的なのだがな」
「五智如意法から引き上げて来たサンプルも、かなりの出来でしたね」
「ああ。鈴谷新、なんとか協力させられないものか。界光め、一体どこからあんな天才を引き込んだのか。いやあすごい、すごいな。新興宗教になど置いていられないだろう、あんなの。世界を救える才能がある。間違いない。火具耶とは仲良くさせてやっておいてくれ」
「はい」
「ふうむ。しっかりと臓器としての役割を果たしている。骨も気になるな。あの血液らしきものも、本物の血液として、骨髄から作られたものかもしれんな……そうだ、おい、腸はどうか。フォールンはその性質上どうしても食物に付着する。一番障害が多く発生するのはやはり消化器官だ。これがアズダハで代替可能となったならば、かなりの人々を救う事が出来るぞ」
「……腸を、如何しましょう」
「切除してくれ、サンプルとする」
研究員が腸にメスを入れる。しかし表面を削り取るような採取方法であった。これでは十分なサンプルが得られない。
「何をしているか。さっさと引きずり出せ」
「ひっ……ひっ……ひぅ……」
「ううん、お前は下がってよし。お前がやれ」
「はい」
研究員の一人が過呼吸を起こして目を回し始めたので、別の研究員を当てる。所長の指示通り、その研究員は腸と思しき部位を腹の中から引き抜き、剪刀で幾つかに裁断した。0は既に声を上げる事もなく、微動だにしていない。
「宜しい。今日はあと一つまでだな。何度も言うが、長時間のアズダハ接触はリスキーだ。レントゲンは……ああ、これこれ。うん、そうだな。いや――」
「どうされましたか」
「全て縫合しておいてくれ。どうせ一時間後には全部くっついているだろう」
「よろしいので」
「ああ。実験用に用意していた犯罪者が一人いただろう」
「はい」
「子宮が機能するか見てみたい。以上。手筈は任せる」
もし、アズダハで出来たニンゲンらしき何かが、アズダハで出来た子供を産めるのならば。自分達が繰り返して来た悲しい努力の成果など、どこかへと吹き飛ぶほどの結果を齎すのではないか。人間の代替部位を、人間のフォールン耐性を、幾らでも産み出せる事が出来る、魔法の杖となり得るのでは、ないか。
もはや存在自体が革命だった。それが、烏丸研の努力によって作り出す事が出来なかった事実については、いささか悔しくもあるが、世界を救うという大義名分の前には些末である。
烏丸一郎は世界を救う為に戦っている研究者なのだ。アズダハという奇跡を目の当たりにしたその日から、烏丸一郎にワタクシなどはなく、全てはオオヤケの為だけに存在している。
例え、身近などんな犠牲を払ったとしても。世界を存続させねばならない。
何もかも手遅れであった。
「吐け。鈴谷新と鈴谷黄萌はどこに収容されている」
「ぐぎっ……、ぐっ、うううっ」
不運が重なった所為とも言えるし、そこまで配慮が行き届かない精神状態であった所為とも言える。研究所を脱出し、波照間力実の遺体を抱えて、美公将は茫然自失としたまま外の世界を歩き回った。彼女の遺体は彼女の望む通り、骨にして海に撒き、それからは暫くと、長く祈りを捧げていたと思う。
ここで端末が生きていたならば、連絡も直ぐ取れたであろうに、火事の熱ですっかりダメになっていた事に気が付いたのは、二日経った後であった。
自身の身体に起こった変化……アズダハが身体に深く交わり、常軌を逸した力を発揮出来るようになった事は、現状都合は良かったが、何をするにも力の加減が必要になってしまい、身内に近づく事さえ危なっかしくて出来なかった。
それからまた一日経ち、やっと制御出来るようになったところで美公家に連絡、兄弟達と連携しつつ、隠れ家へと急いだのだが……もぬけの殻であった。
恐らくは新が生活した痕跡とそれを探った敵の痕跡、双方を見つけたところで、自分の間の悪さに絶望した。
「ふン……もういい。ヒルダ、そっちは」
「駄目ね。ここは本当に表面的なアズダハの代替素材研究をしているだけで、生体を産み出すような研究をしてるワケじゃない。だから、彼等は秘匿研究所なんて知らないわよ」
「関係者の一人くらいは居ると思ったんだけどね」
「こんなご時世だし、秘匿研究所を更に地下に埋められたら、見つけようがないわ」
「ネットを探ったところで意味もないか。スタンドアローンだろうし」
烏丸研の秘密主義はかなり徹底している。アズダハという未知の素材を取り扱っている事もそうだが、研究所長の烏丸一郎は、かなり政財界に顔が利く。大した実績も無いのに研究所を幾つも運営出来ている事実がそれを裏付けているだろう。
美公家とも繋がりがない訳ではない。顔も何度か合わせている。
将は大きく溜息を吐き、椅子に腰かけてパソコンのログを確認する。
「秘匿されていると言っても、利便性の観点からそこまで離れた場所には無いだろう。どうあろうと保護区や特別区の近くにある筈さ。アズダハを取り扱う限りは大量の建築資材が必要になるし、高価な計器だって取りそろえる必要がある」
「国立よね。過去の科学技術予算、補正予算からアタリをつけましょ。えーと、アズダハ研究を国が打ち出したのが二十年くらい前で……烏丸が研究所長に就任したのが十五年前……とするとこの辺りの予算で……あ、大きな動きがあるのがここで……」
国家予算から場所を算出しなければならない、などという不毛な行為を繰り広げる。確かに金の流れ事態は追えるのだが、割かれた予算がどう投入されたのか、細かい部分がオオヤケにされていない。
「ま、秘匿研究所だもの、そりゃそうよ」
「場所のアタリをつけて……聴き込みして……ライブカメラの過去映像を追って……無理だ、時間がかかり過ぎる。具体的な場所の指示も無しにAI頼ったところでなぁ……」
「烏丸の家族でも脅す?」
「そういう事はしたくないし、そもそも秘密主義のアイツが家族の場所なんて誰にも教えてないよ。なんなら研究所に住まわせてるんじゃないか?」
「暴力的なのは嫌なのね。で、そこに転がっている奴等は?」
「理性的な判断の結果だよ。殺しちゃいないしね」
烏丸研から委託を請け負っている関連企業、その研究開発室は、全身を枝と蔦で絡められ、身動きを取れなくされた人間達が転がっていた。彼等自体に罪がある訳でもない為、なるべく穏便に済ませたつもりである。
当然、彼等を生かせば自分達が動いている事実を烏丸研に知られるであろうが、だからといって彼等は秘匿研究所から新達を動かしたりは出来ない。彼がアズダハキャリアである限りは、雑に扱えないからだ。むしろこの事実は奴等に対するけん制になる。
「アラタはいつの間にアズダハを埋め込んでいたのよ?」
「研究所から逃げ出す間際だった……レイが語り掛けてきてね」
「レイ、意識が戻っていたの?」
「さあ。ただ、レイはどうあってもアラタを守りたかったんだと思う。アラタはレイを……泣きそうな顔で半分にして、一つを自分の腕に、一つを僕に預けた」
そうして掌を開いてヒルダに見せる。青く透明なゼリー状の物体が震えている。普段は無くさないよう、体内に『収納』しているものだ。取り込んではいない。
「愛していたのね」
「そうだろうさ。小さい頃からずっと一緒なんだ。逆にいえば……」
「呪いね」
「……レイに会わなかったなら、界光教主に会わなかったなら、普通の人生を、悲劇と共に過ごすだけの青年だっただろうさ。なまじ才能があった故に、黄萌への想いが強すぎた故に、そして僕が……今こうして……クソっ」
彼を、こんな場所に導いてしまったのは、結局のところ自分なのではないかと、思わずにはいられなかった。
界光が新を連れて来た時、将は新を見下していた。最先端の技術を手掛けようと言っているのに、界光が連れて来たのは在野の研究者紛いである。自分の知識を、スキルを活かす為に協力しているのに、アズダハ研究のメインチーム長として引き合わされた人物は、専門的な受け答え一つ出来ない男であったからだ。
しかし彼は真剣で、真摯であり、その発想は常に自分のような頭でっかちにはない柔軟なものであり、そして試みは次々と成功していった。勿論、彼の超能力はあっただろう。何をどうしたいか、どうするべきなのか、足りない言葉だけで事細かに伝わって来るのは驚異的であったし、最初は不気味にも思っていたが、それは常に彼が、全身全霊を研究に傾けていたからだ。
彼になら命を預けられると思い至るまで時間はかからなかった。そして、そんな彼にあらゆる提案をし、共に試行錯誤を重ねて来た。
「貴方の辛そうにする顔って可愛いのよね」
「ぶっ飛ばすぞ」
「うふふ。はあ、しかしどうしたものかしら」
「宝太が居れば多少マシなんだけど。あの強運でアタリがつけられる」
「連絡がないわね。流石にそろそろ落ち着いた場所を見つけたと思うけど……まあでも、矢面に立つようなヒトじゃないし、研究員とヒルダを助けた功績を認めて不問としましょ」
「基本保身的だからね……うーん……」
何の気なしにパソコンでニュースサイトを閉じたり開いたりする。出て来るものといえば、研究所が燃えた、行方不明者多数、五智如意法の教主不在、といった、気持ちの良くないものばかりだ。界光が居てくれたならば、きっともっと穏便に済まされていただろうが、そもそも烏丸研は、間違いなく界光不在を狙ったのだろう。
「うん?」
呆けながらスクロールしていると、ニュースサイトの端にある広告が目に留まった。広告などさして珍しくも無いのだが、それだけはやけに気になる。リンクの張られた画像には『いま、お困りの貴方に』という文言が入っている。
何に困っていたら、何を解決するのか。広告として成立しているのだろうかと、下らない思考が割り込む。タップして変なサイトに繋がったらいやだな、とも思い、しかしそもそもココは敵地であった事を思い出し、指で触れる。
古式ゆかしいチャット画面が開いた。
「六十年くらい前のチャット画面みたい。何かしら、それ」
「さあ……広告だしねぇ……」
『ごきげんよう』
「返してあげなさいよ」
「AI広告だろう?」
『また逢ったわね』
「何が宣伝したいのかしら、これ」
「さあ……」
『カメラを拝借』
「え?」
『マサル、少し雰囲気がかわった?』
「おっとぉ? 個人情報把握されてるわよ。どんな技術?」
「いや……これは、違う」
『誰だ』
『名前を呼んで。ワタシを確定させて』
言われ、キーボードを打つ手を止め、ヒルダを見る。彼女はなんだが嬉しそうだった。ここは自分とは何の関係もない企業であり、触っているのはその企業のパソコンだ。美公将という人物が居るなどと特定出来るものはなく、ましてセキュリティの厳しいアズダハ企業のパソコンをハッキングしてくるような奴はまともではない。
『ルルムゥ』
『正解。ずっと見ていたわ』
どうやら、彼女は本当にネットに住んでいるようだ。アズダハ代替海馬であったルルムゥは、仮想精神サナトリウムという架空世界を足がかりに強い自我を獲得、自身の在り方、定義を改め、研究所が崩壊する前に、ネットへ移り住むという話をしていた。
気ままに世界を巡っているものだとばかり思っていたのだが、どうやら監視されていたらしい。
『僕がそんなに気になったかい?』
『まだルルムゥは恩人である貴方に報いていないの』
『好きに生きなよ。僕は何も求めないから』
『そういう精神が好き。困っているでしょう。助けるわ』
厄介なモノに好かれてしまったようだ。とはいえ、現状八方塞がりの自分達にとって、アズダハ電脳意識体と化したルルムゥは、確かに強い味方になり得るだろう。
『では恥を忍んでお願いしようかな』
『恥じる必要はないわ。さ、願いを言って』
『鈴谷新と鈴谷黄萌が攫われた。鈴谷黄萌アズダハ代替脳……麻生麗もだ』
『そこは――烏丸研の下請け企業ね。つまりあの時の襲撃は烏丸研で、そのどこかに連れ去られてしまった、という事』
『そういう事になる。秘匿研究所だ、ネットにも繋がっているかどうか。手を借りたい』
『お安い御用よ。お菓子を食べながらパズルゲームを解く程度だわ。近くに空いてるスパコンは……無いわね。量子コンピューターは弄るのに時間かかるし、今あるルルムゥのリソースでは少し足らないから……じゃあ古い手を使いましょ』
『何をするんだ?』
『昔あったの。分散コンピューティング。個人のパソコンのリソースを借りて統合、計算速度を上げるっていうの。ルルムゥが占拠しているサーバー群とメインコンピューターを司令塔にして、十万人分のパソコンと端末をハッキングするから、ちょっと待ってね――出来た。適性ソフトを無断インストール、統合処理開始』
『怖すぎる』
『ここから提携企業や省庁関係の人員に対して総当たりでセキュリティ突破して情報を抜いて、関連性の高そうな人物をピックアップ、普段の言動や行動から意味のあるものを選別、整理して、縦横の繋がりから、うんうん。烏丸研に関する情報――……烏丸研関係者――……決済情報――……通勤経路――……ヒット、二件』
『すごいな。とても他人様にお出し出来る技術じゃない』
『ルルムゥ一人で世界のインターネットを終わらせられるわね。終わらせないけど』
『それで、その二件というのは』
『烏丸研の上級研究者が数名、異動になって以来情報が途絶しているわ。烏丸研に所属している筈なのに、どこにも名前が出て来ないから、間違いなく秘匿研究関連の施設に居るでしょう』
『なるほど、優秀者の部署異動か』
『その人物二名に絞って、彼等の出身校のデータベースから個人情報を取得。得られた限りの個人情報から通信会社を特定、ハッキング。GPS非対応だったし、契約者登録情報も実家の住所みたいだったから、良く通信している基地局情報を参照して大まかな利用場所を特定』
『えぐいえぐい』
『利用している電子マネーサービス企業をハッキング、直近の決済場所から過去のライブカメラ映像を精査、頻繁に行き来している場所を大まかに特定したの。幾ら秘匿されているからと言って、人間である限りは地下通路ぐらい歩くもの』
『天才だ』
『個人の携帯端末も乗っ取れるけど、流石に個人の電子機器は所内持ち込み禁止みたいだし、守秘義務もキツいから有益な事は知れなかったわ。ただ秘匿研究所の大まかな場所と、研究員の自宅は特定は出来たから、この二人を脅せば何か吐くでしょう。昔ならもっと楽だったでしょうね。どの端末にもGPS搭載みたいだったし』
『頭の良い奴とは友達であるべきだね。というか電子マネーハッキング出来るの、ヤバすぎて言葉もない。いや本当にやばい。経済が終わる』
『嬉しいわ。貴方に褒められるのが一番嬉しい。詳細は貴方の端末に送るわね』
『それは怖すぎる……けど有難う』
『いいえ。出来る限り、ルルムゥは貴方を見ているわ』
メールに二名のまとめられた情報が送られて来る。将が睨んだ通り、やはり都心郊外の、比較的インフラが整っている特別区の端に秘匿研究所はあると見える。ここが新達を監禁している場所である、とは特定出来ないが、研究員を絞れば何か出るだろう。
自分達が只人であったのならばお手上げであるが……その心配はない。
「んま。ネットの彼女なんて不健全よ?」
「いいだろ、可愛いんだぜ、まあ海馬の姿しか知らないけどね」
「アズダハはこんな事も出来るのね。で、場所は?」
「八王子特別区」
「……目と鼻の先じゃない」
「二人は居ないかもしれないけど、叩けば情報ぐらい出るだろう」
「じゃあ頑張りましょ」
「ああ。先に動いていてくれ」
「ええ」
ヒルダが満足気に部屋を後にする。アズダハの可能性を見出し、胸を躍らせているようだ。彼女は倫理観が怪しいので、この事実に対して悦びしかないのだろうが、将からすると恐怖感が少し勝つ。
『元気にしてる?』
『自由自在である事に対する満足感はあるわ。でも、ルルムゥは人間だから、やっぱり肉体は欲しいわね』
『君なら作れるんじゃないか。疑似的にでも』
『その時はルルムゥとお付き合いしてくれる?』
『友達からでいい?』
『なんにでも、順番は必要だものね。まあ、叶えばなのだけれど』
『うん?』
『本当はね、あと二時間も経てば貴方達はルルムゥに頼らず場所を特定出来たの』
『君の計算で弾き出した結果かい?』
『否が応でも解るから。でも、もし二時間早いだけで間に合うならいいなって』
ディスプレイに表示される文章だ、そこに感情を読み取れるような要素はなかったかもしれない。ただ、やはりこれはアズダハの所為であろう、文字列から、どうしようもなさ、というものが伝わって来るのだ。
『……行ってみるよ』
『頑張ってね。また、会えたらうれしい』
チャットが失せ、広告が消える。ログを見ても、何も残されていない。立ち上がった将は能力を解除、床に締め上げられている人々を解放してから、外へと出る。
懸念される事は幾つもある。両名の安否もそうだが、代替前頭葉――アソラがどのような扱いを受けているか、だ。アズダハ脳が危険である事はあちらも十分承知であろうが、それでも、相手はあの烏丸一郎だ。
公の為に私は棄てよ。智と技は全て人類存続の為。目的の為ならば、他の勢力を襲う事も躊躇わなかった男だ、アソラが実験に用いられていない筈がないのである。
「……僕達も、形が違うだけだったといえば、そうか」
自分達はただ上手く行っていただけであり、大義名分の為に危険を冒していた事自体は変わらない。同じ穴の狢相当だ。故にこれは、何が正義だなんて話ではない。
友人達が攫われた、だから取り返しに行く、それだけの話なのである……が。
『マサル、マサル』
インカムからヒルダの声が響く。その声色は、どうも尋常にない。強い不安と、興味と恐怖がない交ぜになったようなものだった。どのような状況だろうと飄々としている女であると思っていたが、一体何があったのか。
「何かあったの?」
『今、地上の汎用パイプラインの自動レーンに乗ってるんだけど』
「確かに楽だし早いけども。迅速すぎない?」
『先に乗り込んで露払いでもしておこうと思って』
「そういうのは許可取ってよ。それで、どうしたの」
『まず、パイプラインが途中で途切れた』
「は?」
『降りて外を見たら、植物がおかしいの』
「え?」
『地上主要道……の脇に見える草むらからしておかしい。日本にはこんなの生えてない』
「うん?」
『樹木も、なんていうか……物語に出て来るみたいな……木で』
「え、映像回してくれる?」
『ちょ……ッ!!』
「なんだなんだ……」
『"村"がある』
「はい?」
『村があるの』
「その座標にヒトなんかいないけど……自然派の人達かな、特別区の外だし」
『違うの――だから、村よ。"ファンタジーに出て来るような村"が、目の前にあるのッ!!』
「――……~~~ッッ!!」
発狂したルルムゥが、アメリカの街一つを滅ぼした時、何をしたか。その情報が脳裏を過ぎり、絶望的な、取り返しのつかない未来が現実として目の前に現れている事実に驚愕する。
ヒルダから送られてくるライブ映像は、将の顎を外すに十分な光景だった。
ルルムゥから感じた『どうしようもなさ』は、これか。
現実に『ヴァルハラ』が産み出されている。
お前が何を見て何を感じているのかよく話してほしい。俺にはそれを聴く意味と意義と義務があるからだ。私はそれを聞いて心が熱く、そして締め付けられるような想いを感じていた。君にはやるべき事がある、君には目指すべき未来がある。そう諭された時、私の胸はどこかトクメクようなものを感じ取っていた。嗚呼私はなんて幸せなのか。こうしてみんなに気にかけて貰って信頼して貰えるなんて、まずなかなか得られない生だろう。
痛い
青い空に白い雲、花咲く丘の上で貴女は私を唯一無二の友であると語ってくれた。いつもどこか陰鬱な空気のある貴女はけれど私の言葉を受けて微笑んでくれた。彼女を守らなければならないという使命感を私に植え付けるには過不足の無い感情の公開だったろう。そして貴女はいつも私を困らせてばかりいて、正直少し苦手だったけれど、ふいに見せる寂しそうな表情は繊細な心を持っていなければ出来ないものである事を私は知っていた。それについて言及した時の貴女の表情と言ったら、今でも忘れられない。
痛い
いつもお金の勘定ばかりしていては不健康だからと彼を森に連れて行った事がある。豪胆なのはフリばかりで、本当はもっと普通の人なんじゃないかって話をした時、彼は豪快に笑った後、虚しそうに苦笑した。そうしなければいけない理由があるならば止めないけれど、せめて私の前では素のままでいたらいいんじゃないのなんて差し出がましくも言ってみたら、彼は泣いてしまった。彼女は彼女で豪快に振舞っているけれど、どうして何でも暴力で解決したがるのか聞いてみた。アタシはそれが役目でそうしているのが一番楽で、それが自分に求められている事なんだと話してくれた。他に夢はないのかと聞いてみれば、彼が好きなんだという。彼が好きだからどうしても恥ずかしくて乱暴にしていて、それはそれで求められているものだから問題ないと思っていたけれど、怖がられてばかりでは本末転倒だなと笑っていた。
痛い
みんなみんなそれぞれそれぞれ何かを考え何かに悩み何かを望んでいた。夢も希望もけれども届かない場所にあって、何をすればそれが手に入るのか分からないと自嘲した。皆は私に優しくしてくれるけれど、私は何も返すものがない。皆は優しいからそのままで良いというのだけれど、それでは私の気持ちが収まらない。私には彼等彼女等の本心なんて一つも解らない。わかろうと理解するとスルリと抜けて消えて行く、まるで幽霊のような気持ちばかりがそこにある。
痛い
みんなを幸せにしてあげたい。私なんていう人間が出来る事なんて限られるけれど、それでも努力しようと心に決めた。何もない私にカタチを与えてくれた人々を、少しでも笑顔に出来たならば、そんな幸せな事は無い筈だからだ。
痛い
この無限に広がるような世界で。何も解らず無駄に時間を浪費し続けていた私に意味と意義と義務を与えてくれた人々に、感謝を。
――痛い。
「こんなのは全部嘘。何もかも偽り。私は酷い悪夢の中に居るんだわ」
「こんな筈ないもの。目を覚ませば、また彼等に会えるんだから。きっと敵の精神攻撃に決まっている。問題があるなら、解決しなくちゃ。皆も私が目を覚まさなくて困っているかもしれないわ」
「それにしたって酷いわ。身体を切り刻まれ、腹を裂かれて、知らない男に犯される夢なんて、度を越してる。いえ、私をどうにかしたいから攻撃してくるというのならば、確かにそのぐらいするのかもしれないけれど」
「私は負けない」
【何ぶつくさ言ってんだ、コイツ】
「否定、否定しなきゃ。今見えているものが全て偽りなんだって事を、しっかり心に刻まなきゃいけない。相手の思う通りになんてなっちゃいけないんだから。私は屈しないわ」
【いや怖ぇけどよ。毎度具合だけはイイんだわこれ。ホントに人形か?】
「これも幻覚。幻聴。私の身体には何一つ問題なんて起きちゃいない……私、私の初めては、失われてなんかいない。こんなの何のカウントにもならない。これは夢、これは幻術」
【おい、なんか、腕とか手とか、生えてきたけど? 係員さん?】
「抵抗。抵抗しないと。夢でも幻覚でも、抵抗してみれば何か糸口がつかめるかもしれない。ああ、悪夢なだけあって、醜悪な顔。顔の造りじゃないわ、人をモノとしか思ってなさそうな、軽薄な顔よ」
【え、お前等どこに、嘘だろ、全員逃げやがった。おい、放せ、おいッ】
「このッ」
【ぷぇッ】
私の上に乗りかかっていた男が、煙のように消えてなくなる。やはり幻覚だったんだ。だから、この腕だって脚だって、願えば元に戻る筈。これは無いもの、これは全部嘘、これは偽り。ほらそうだ。切り刻まれたと思われた私の腕も脚も全部元通りだ。
「まずはここを離れなくちゃ。夢なら物理的な距離は変わらないだろうけど、抵抗しようという意思をみせれば、影響も出る筈だもの。それにしても強力な精神攻撃だわ。私じゃなかったら、きっと心が折れていたもの。これを受けたのが黄萌じゃなくて良かった」
全てはイメージだ。私を隔離している透明なガラスのようなものを念じて吹き飛ばす。まるで容易く壊れてしまった。人一人を閉じ込めるのに、こんな脆弱なものは用いないだろう。つまりはそういう事なのだ。意志の力が試されている。
「イメージ。私が元の世界に戻るイメージをしなきゃ」
大好きだったあの世界に。大好きな仲間がいたあの世界に。私が願いながら進むと、石造りの建物がどんどんと、私の知っている世界に塗り替わって行くのが解る。敵は手ごわいかもしれないけれど、人間の持つココロの力を侮ってはいけない。世界は人間のイメージによって形作られてきたのだ。望むものを、その知恵と技術で組み立てて、具現化して来たのだから。
【0番収容を脱しました!! 総員退避、総員退避!!】
「逃がさないわ」
夢の中に紛れた敵の使い魔だろう。騒がしく喚いている。私が手を振り払うと、十程の使い魔が泡のように消えていった。大体こういうものは、悪夢のイメージを下支えしている使い魔だ、一匹残らず処理すれば、目を覚ます時も近づくだろう。
そうなったらあとは作業だ。レベル的にも問題ない。
【原理不明の高エネルギー反応――無から物質が生成されます】
【なんだそりゃあッ!!】
「光王蝕現界」
超古代兵器具現召喚。私の手足のように動く薙刀が一閃として振り下ろされる。世界が裂け、煌煌とした太陽が空から降り注ぎ始めた。
【0番、正体不明の攻撃!! 空が、むき出しに……】
【地下二十階は核攻撃も凌ぐんだぞ!! 特殊装甲壁が何十層あると思ってんだ!!】
「外だわ。まず出て見ましょう」
出る意志。戦う意思を敵に見せつける。例え心を蝕もうと画策しようと、私には効かないのだと知らしめてやる必要がある。
【部位破壊を狙えッ!! まず足を止めろ!!】
【アスダハ基底化弾装填、撃て、撃てッ!! ガスもありったけ放てッ】
【対物ライフルもってこい!! 豆鉄砲なんかきかねぇよッ!!】
世界が裂けると、その隙間から使い魔がわらわらと湧いて来た。何匹集まろうと所詮小物は小物、その程度に負ける程、私は弱くなどない。光王蝕を振り回し、使い魔を塵に変えて行く。
「他愛ないわね。これ、幻術は強力でも、本体自体は弱いパターン。よくあるわよね」
【×××、貴女……×××?】
「まあ、そうよね」
追い込まれれば敵はより卑怯な方法を取る。当然だ。例えば仲間と同じ顔をした幻覚をみせてくるなど、そういう手法だ。似ているけれど、髪の色は違うし、顔付きもどこかおかしい。コピーするならちゃんとして欲しいものだ。
「邪魔よ」
【――ッ!!】
"黄萌の顔をした何か"を、一撃で弾き飛ばす。当然、夢なのだからそこに肉も血もありはしない。スパン、と煙に消えて終わり。私を舐め過ぎている。こんなものでたじろぐような訓練を受けてはいない。彼等に引き連れられて、無理やりレベル上げをさせられた日々が思い出される。
「あれは辛かったわね。レベルが50も上のダンジョンにぶちこまれて……」
瓦礫を昇り、上を目指す。登り切った先は、いつも見ていた世界に近いものだった。ただ、これで安堵してはいけない。大体こういうものは、油断させてから襲って来るものだ。私は光王蝕を構えて用心深く森の中を進んで行く。
【――とまれ、化物】
どこかで見た顔。またそれも幻覚だろう。
【――ああうん。無理だわ。まあ、解ってたけどさ。火具耶様、逃】
薙刀を振り抜く。現実ではない所為か、異常に威力が上がっていたと思う。薙刀の軌道はそのまま数百メートル先までを全て一刀両断し、森の木々を剪定してしまっていた。
「はあ。幻覚でも日差しは心地よいものね。なんだか久しぶりに浴びた気がする」
【なるほどね。アズダハ脳に手出しなどしてはいけないという、理由がこれか】
そうして、一人の老人がこちらへと歩み寄って来た。恐らくこれが幻覚を見せているボスだろう。周囲には沢山の使い魔がいる。使い魔達が魔法を雨霰と浴びせてくるも、私には効果がない。それが嘘で幻覚だという事を知っているからだ。自覚してしまえば、こんなものは痛くも痒くもない。
【界光。ついぞ私はお前を越えられなかった。これだってきっと、お前の下にあったのあらば、抑えられたものだったんだろうよ。私は虎の尾を踏んだ。なあ、お前達、これをどうにかする術を、誰か知っているか?】
【知らんか。しかし……凄い。本当に、ここまでのものが出来るのか。イメージで世界を塗り替える……そんな無茶な事すら、可能にするのか、アズダハは。ああそうか……今の現実も……過去の支配者が、イメージした世界……だったのかもしれんな】
【お前はどうするんだ。アズダハ脳】
「何をごちゃごちゃと、訳の分からない話を。貴方を倒して、この悪夢は終わりよ」
【悪夢。はっ――かかかかかッ!! はははッ!! 終わるといいなぁ!! なあ!! 終わらせてくれ!! 全部全部――こんな糞見たいな現実ぅぅ……ッ!!】
やはり、予想通り幻術使い自体は弱いものだった。小突いたら死んでしまった。ただ、おかしなことに、それもまるで幻のように、煙のように、消えてしまった。
本当に本体を倒したのだろうか。
「アイツが言った通り、終わらない。あれもまた幻……本体はどこにいるのよ」
魔法には起点がある筈だ。例え夢とてそれは同じ。夢の中に起点という弱点を設けてリスクを取っていなければ、ここまで強力な幻術か、悪夢を再現なんて出来ない筈だ。
目を覚ますイメージを強める。同時に、自分が広がって行くような感覚があった。
【嘘――だろ。×××か。この世界は、君が作ったのか】
【凄いわ……×××達は、アズダハを舐めてた。聞いて知っていても、いまいち実感が無かったけれど、ここまでの事が出来てしまうのね】
呆れる。今度はビコゥのような人とヒルダのような人が目の前に現れる。光王蝕を構えると、二人が手を前に出して制止を促す。
【すとっ、ストップ!! 僕だ、×××だ!!】
【×××、聞いて。落ち着きましょう。×××達が解らない? 確かに、ヴァルハラとは少し容姿も違うかもしれないけれど、×××達は本人よ】
言われ、攻撃する手を止める。似ている。とても似ているが、似ているだけ。攻撃を止める意味はない。こうして私を惑わせているだけ、配慮の必要もない。
その筈なのに、手が動かない。
「本物? 悪夢に介入して来たの? 私を助ける為に?」
【なるほど、そういう設定になってるのか……正気じゃないな。どうする】
【いったん引きましょ、殺されるわ】
【×××はどうするんだ。助けないと】
【爆心地の中に行けっていうの? 解るでしょ、空気そのものが指向性アズダハを帯びてる。無策で飛び込んだら、×××達の構成要素丸ごと改変されてヴァルハラの人間にされちゃうわよ】
【くそ……】
「――何がしたいのよ」
そういって、ビコゥとヒルダ、のような人物二人が飛ぶように逃げて行く。敵の行動としては挙動が可笑しいものの、かといって仲間の介入というには不可思議だ。これは後で仕留めるとして、まずは周囲を把握しなければ。
私は近くにあった金属の塔に飛び乗り、周囲を見渡す。近場は確かに私の知っている世界のものだが、遠くを望むと、とても文明度の高いガラス張りの塔が幾つか見えた。ただ、どうも人は住んでいないようで、荒廃しているのが見受けられる。
どんな設定の世界を悪夢で再現したのだろうか。高レベルの私すらここまで惑わせるのであるから、確実に神格級の敵だろう。一体どこの神に恨みを買っただろうか。
とはいえ、自分の今までの行動を顧みると、恨まれていそうな事は幾つもある。特定は難しい。大体は何でもかんでも喧嘩を吹っ掛けるエヴェルナインの所為ではあるが。
「魔力もちょっと変ね。使える要素自体はあるのだけれど」
この世界でも魔法を使える。ただどうも、自分の知っている魔素とは勝手が違うと見える。それらはまるで無害なカタチで、この世界のあらゆるものに付着している。木にも土にも草にも水にも、全てにそれ等は満ち満ちている。
「変換してしまえばいいわ」
それ等『要素』を自分の使える形に変えて行く。私がそう願うと、それ等は――自分の知っている魔素エネルギーとして働き始めた。いざ変換を始めると、それに呼応するようにして、世界に散りばめられた魔素が輝き、同等のエネルギーへと変換されていった。
「綺麗ね」
世界に七色の光彩が満ちる。木々草花が輝き煌めき、幻想的な景色が広がった。悪夢の中でもその美しさは決して卑下するものではない。ともすると……これは悪夢というよりも、自分を取り巻く周囲……かなりの範囲を、術士の結界で覆い、別の世界として再現したものではないか。
「なら合点が行くわ。悪夢にしても幻覚にしても、規模が大きすぎたもの。大規模な結界術だわ。じゃあ当然、敵はその中心に居る筈」
……しかしその思考の結論は、つまり自身が実体である事を意味する。
「じゃあ……わ、私は……本当に、犯されたの?」
「というか、この身体は……そう、なんだかおかしいわ」
「さっき、知り合いのようなカタチをしたものを、殺した気がするけれど……」
自身の不安を否定する為に、私は先ほど出て来た穴倉へと踵を返す。自分でぶち空けた穴を下り、"黄萌のようななにか"を殺した場所へと赴く。
【ああああ、ああああぁぁ……あぁぁぁあああぁ……】
そこでは……見知った彼……のような人物が、その手でナニカをかき集めながら、狂ったように泣き叫んでいた。
「あ」
煙のように消えた? 全ては幻? 良く見ろ、良く見ろ。真っ赤な血液がまき散らされた地面と壁を。そこに転がる人間の破片を。それをかき集める男の顔を。男が胸に抱く、人間の頭を。
【お前が……お前がやったのか……お前がやったのかぁぁあぁッッ!!】
「ち、ちが……私は……」
【××!! 黄×!!】
「違う……」
【×萌!!】
「違う」
【黄萌を殺したのかッ!! お前がぁッ!!】
「違うの、アラタ」
【バケモンがぁぁッ!! お前のせいで!! 全部全部、お前の所為だぞ!! なんなんだよお前はッ!! ちくしょう、ちくしょうちくしょう!! 消えろ!! 消えてなくなれ、化物ぉぉぉぉッッ!!!!】
こんなの ぜんぶ うそだ
私は駆け出した。
否定する。否定する。否定する。今見ている景色を。今を現実とする現実を。ここは自分の世界ではない。こんな場所は自分が居て良い場所ではない。ここに仲間なんかいない。ここに居るのは全て敵ばかり。私は私を肯定し続けなければいけない。他を否定しなければいけない。皆を幸せにしなきゃいけない。幸せを形作る世界を産み出さなければいけない。こんなものは受け入れられない。私は私が暮らした世界に帰りたい。無いならば想像するしかない。生み出すしかない。
全部否定して、全部直さなきゃ。みんなが幸せになれる世界に。
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"麻生麗"が烏丸研秘匿研究所を脱してから一週間で、関東圏は全てヴァルハラに飲み込まれた。地上に残っていた街は軒並みファンタジー中世風の建物に置き換えられ、地下に潜っていた人類達は全て表へと出て、その世界の住人として暮らしている。
生物も、生態系も、まるで華やかとなり、空では現実に存在しない程の大きな鳥や竜種が飛び交い、地上では大型哺乳類と"魔物"相当の生物が跋扈している。
どこから湧いて来たのか突如として東京は王政国家となっており、恐らくは皇族であったと思しき人物が王として君臨している。転換されている為特定は不可能。
アズダハ型スーパーコンピューター『扶桑』は製作中であったが、麻生麗のアズダハに乗っ取られた事で完成。その演算能力とアズダハの特殊性を利用し、効率的に人類を、ヴァルハラの住人として変換し続けている。現在は巨大な樹木として聳え立っており、この世界の基底部分を支えているようだった。
何よりも特筆すべき事は……フォールンが無害化した事である。
厳密に消えた訳ではない。フォールンがアズダハ化……アズダハほど万能ではないが、アズダハに幾許か劣る万能性を備えたエネルギーとして、確固としてこの世界の基盤を支えている事である。
皮肉にも、彼女のイメージ拡散により、人類最大の脅威が消えたのだ。
美公将、武蔵野ヒルダの両名は、最後まで麻生麗の説得を試みたようだが、通らず。恐らくは殺されて、転換されてしまっただろう。麻生麗は現在、日本を脱し、大陸へと進出している。彼女に距離など関係ないが、少なくとも今はこの土地にはいない。
元烏丸研秘匿研究所に足を踏み入れる。当時程の指向性アズダハはなく、なんとか自身を保っていられる程度だった。麻生麗が空けた穴を下って行くと、そこには彼が……座り込んでいた。
あれから時間が経っている筈だ。死体であってもおかしくなかったが、周囲にこびり付いた血と思しき汚れは、全て目の前の腐った肉片のものであろう。既に顔も解らないが、鈴谷黄萌が行方不明であった事も考えれば、彼女のものだ。
「アラタ」
「……」
彼は生きていた。その手に、その首に、幾度も瓦礫の破片を突き刺したような跡が見受けられる。しかし死ねなかったのだろう。周囲には、彼の……腕だったものと思しきものも落ちている。腕を引きちぎったところで、また生えて来たのだと予測される。
「アラタ」
「死ねない」
「そうね」
「殺してくれ……」
「そうもいかないわ」
「俺にはもう何もない」
「責任だけならあるわよ」
「そんなものは果たしたくない」
蹴り飛ばす。胸倉を捕まえる。
「果たせ!! 責任を!! 全部アンタのせいでしょうが!!」
「俺じゃない……」
「知ってるわよ!!」
「どっちだよ……」
「だいたい私達の所為よ!! でもアレ作ったのはアンタ!!」
「……」
「今から種子島に連れて行くわ」
「……――は?」
「月に行く。麻生麗はネットを介して世界中に広がり始めてる。もう終わりが近いわ」
「……無重力訓練は受けてないな」
「死ねない奴に必要ないわよ。立って」
「……今更俺に何が出来るってんだ」
「アンタしか思いつかないわよ、そんなの。何とか逃げて何とかするのがアンタの仕事」
「……アズダハはあるのか、月に」
「形式は少し違うみたいだけれど、地球産アズダハに類似した無垢のものが、かなり」
「……それで月の開発を急いでいたのか」
「アンタが居れば、形になる。アンタがいれば、なんとかなる。そう願うしかないの」
「英雄にでもなりたいのか、お前」
「死ねないのよ」
「……」
「正直全部ぶっ壊れて全部死んじまえとも思ってたけど、死なないとなると他にやる事もないの。だから、アンタを連れて、月に行くの。私と一緒に」
「……」
「早くして。アンタの事を奴が思い出したら、戻って来るわ。今は錯乱してる最中でしょう。アレが少しでも理性的になる前に、早く」
「――分かった」
鈴谷新を引き連れて外へと出ると、東京のど真ん中に聳える『扶桑』が、一条の光を空へとまき散らしているのが見えた。あれは人間を誘引する。固有のアズダハを身体に埋め込んでいない限り、否定しようがない光だという事だけは解っている。
「綺麗だわ、とっても」
「……」
「ヴァルハラでも似たような光景があったわね。麻生麗は、自分の世界に戻りたがっている。でもそんなものはない。だから、彼女は自分で、その世界を作り始めた。彼女は、創世神話の神なの」
「……」
「私達は、それに歯向かう悪神。行きましょう」
世界にアズダハの光彩が広がって行く。悪いのは自分達だ。だが、きっと遅かれ早かれ、こうなっていただろうという事だけは解る。むしろ、彼女がアズダハの支配者となったのは、ある種人類に対する慈悲であるとさえ思うのだ。
彼女には下卑た欲望がない。自分の世界を取り戻したいだけなのだから。人類は個を失い、全て彼女に管理される事になるだろう。その時点で、死という概念すらも、彼女の掌の上でしかなくなる。
正直、こんなものどうしようもない。彼を月に連れていったからと、解決されるものでないとも理解している。しかし、していたとしても、何かしなきゃならない。生きていて、まだ動けるのならば、動かねばならない。どうせ死ねないのだから。
「幸せって何かしら?」
「次の手段を考えてるんだ、ちょっと待ってくれ。必ず助ける」
「助けるべき人はもう死んだわよ」
「なんとか、するんだ。何年、何万年かかっても。アズダハがあるなら、やり直せる。まだ試していないアズダハ操作方法がある。月のアズダハにどれほど通用するか解らんが、試す価値はあるだろう。なんとしても」
助けるのだという。彼の視線に気が付き、ゾッとして顔を上げる。
「安心しろ。お兄ちゃんが助けてやるからな」
「……アラタ?」
その目からは、正気の一切を感じない。
「ああ、そう。じゃあ、頑張って助けてね、お兄ちゃん」
「ああ!! 大丈夫さ、何とかする。今までだって、お兄ちゃんは何とかして来たからな」
彼は……――壊れてしまっていた。




