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ホームサイドガール  作者: 狐塚仰麗(引退)
八月の鳴嶺女学院にて
72/92

久しぶりの談話室

 なあ、俺、俺なんかでも、先生みたいな教師になれるんだろうか。

「突然相談があると聞いて、何を言うかと思えば。まあ私は、止めはしないけどさ、教師になって何をしたいんだい」

 そりゃ、何ていうか、先生みたいに、その、生徒一人一人の悩みとか、聞いてあげられるような、そういう慕われるやつになりたいって言うか、さ、憧れって言うんですか、うん、憧れです。

「あはは、まさか君が、そう言ってくれるなんて。私のこと鬱陶しいとか思ってるんじゃないかって考えてたんだよ。うん、嬉しいな。でもさ、憧れるのは勝手だけど、目標にするって言うなら、ちっと覚悟が必要かもしれないね」

 鬱陶しいだなんて思ってません。当然です、感謝だってしきれないくらいしてますし、って、覚悟。

 それはどういう意味の覚悟なんですか。そりゃ、勉強しなきゃならない事はたくさんあると思う。その覚悟なら、できてるつもりだ。今すぐにでも学ぶべき事があると思う。だから相談しようと思ってて。

「そうだね。――酷な事を言うようだけど、君は、進学するつもりがないって言ってたそうじゃないか、昔から。うん、聞いてるんだよ、ちゃんと。その辺、私が聞いてもいいのかな」

 ……すいません、ほら吹きました。正直、今の俺にはそんな覚悟なんてないっす。でも、憧れるのは勝手って言いましたよね。そこにちょっと救われたかもしれない。なれたらいいなという憧れが最初の一歩じゃあ、この年だと少し気恥ずかしいもので。

「そうだね、相談するのは良い事だ。恥ずかしがることはないさ、君らの年には目標もなくでかい口叩いてる連中の方が多いだろう、今のうちサインもらっておいた方がいいぜ、みたいなさ」

 ……えっと、さっきの、進学するつもりはなかった、のは確かにそうですが、――今そいつを、死に物狂いで進学する、にこの際指標と言うか、志を変えるには、確固たる信念と覚悟が必要だと思います、今までの俺は、相当だらし無かったと思う。……反省は尽きません。でも、確かに、先生が聞きたいこともわかりますよ。そう、何と言うか、俺の家はそれなりに事情があって、金銭的な話をしてしまえば、今は姉が大学行ってる分と俺が高校通ってる分で正直、手詰まりです。だからあれも、責任感じちゃってるのか、自分一人で必死に頑張ってますからね。立派ですよ。それで、俺も大学に行くってなったら、俺自身が何とかしなければいけない。そうでしょう。

「私もね、そういう経験があるんだ」

 えっと、それは。

「学費をね、自分で稼いでたんだよ。仕方なかったんだ。辛かったけど、まあなんとかなってる。先輩として忠告だ、無理だけはするな、身体が一番大事だゾ」

 そんな可愛く言われても説得力無いっすね。

「あ、かわいかったんだ、今の。そっか、私もまだまだイケるかな」

 全然イケると思います、こないだ準備室で昼寝してるときとか、意外と――

「あ、布団かけてくれたの君か。変な事はしなかったかね青少年」

 するわけねーだろ、真昼間っから。

「――こんな事おススメするような教師はいないだろうと思うんだけど、割りのいい仕事があるって言ったら食いつくのかな、君は。私じゃなくて、友人の頼みで探してるだけなんだけども」

 先生、自分で稼いでたって言いましたよね。それってまさか、正直なんか、ヤバそうな仕事っすかね。

「まぁ、うまい話には気をつけろって言うし、あながち君の想像も間違ってないよ。私なんかに憧れるのは勝手だけど――」

 目標にするなら覚悟しろ。

「――そういうことだ。うん、ほら若い時の苦労は買ってでもしろって言うじゃないか。まあ、君の場合は、……そうか、ちょっと不謹慎だったかもしれない、ごめんね」

 あ、いえ、気にしないでください。その件はもう問題ないっす。俺はもう――笑えますから。

「そっか」

 そうです。

 俺は。

 ――そう、俺は教師になりたくなったのだ。俺なんかに真摯に接してくれているあの人の姿を見てたら、何となくそう思ったってだけだが、きっかけは些細だったとしても、今、俺はどうやら教師になっている、らしい。結果としては、そうなっている。

 ……なれているのだろうか。

 まあ、考えるまでもない、そんなのは俺が決めることじゃあないんだ。前にも同じような事を聞いたような気がする。

「……そうか、そうだよなあ」

 俺はテーブルに突っ伏して、部屋に広がるコーヒーの香りに陶酔しながら、呟いた。

「どうかしたのかー、秋聞君。久しぶりの学校じゃないか、だから、もう少し嬉しそうにしてくれ。今、寝てたんじゃないか、人に珈琲入れさせといて」堅城が言った。

「お前、お茶でも珈琲でも用意して待ってると言ったじゃあないか。ここは居心地いいんだ、静かだと特にな。昼寝だってしたくもなるよ」

 暑い。流石に夏だと思う。

 今日は八月一日である。

 どういう訳だか、いつの間にやら、電話をもらって数日中には学院に来るつもりでいた七月は通り過ぎて、八月になってしまっていた。前から、八月の二週間ばかりはこっちの寮で生活しようと考えていたっていう予定を、ここにきて実行に移したわけだが、いつの間にか過ぎたその一週間は、同時に随分と長かった気もする。ちょっとだけ久しぶりに顔を合わせた堅城は、相変わらずだった。

 七月は半分、教師の仕事よりはイラストレーターの仕事の方が多かったんじゃないかと言う気分だ。確かに学院ではテストもあったし成績付けたり、祝勝会を開いたり部活の顧問になったりしたけど、休日に入ってからパソコンの前にいることが多くなったわけで、七月末の絵仕事の方が直近の記憶であるから、印象が強いのだ。

 その甲斐あってゲーム関連の仕事はすっかり片付けてやった。新作を作り始めるにしたって夏を越えてからだと思うので、八月の末には予定が空く。これも、広津がサポートしてくれたおかげである。その広津はと言うと、おそらく今も俺のマンションの方にいると思う。《夏の戦》が終わるころまでの間は、うちに住み込むつもりでいるらしい。つまり、俺が寮にいる二週間は、あいつもマンションにいると言う事だ。さすがに悪さはしないと思うから、信用してるし、留守番を任せてきたわけだ。適当に香芝や自販機さんと仲良くやってくれたらいいと思う。あと、広津も自販機さんに名前を覚えられてしまった。

「ところでな、俺、八月の末に予定を入れたんだよ」

「え、ああ、そうか。じゃあ遊びに行くのは八月の前半にしておかなきゃって事だ」

「その、前から言ってるけども、遊びに行くってのはどういう具合の話なんだ」

「世に言う普通のレジャーだよ。遊園地とか行ったらいいんじゃないか」

「レジャー。レクリエーションって言えよ、そういうなら。お前のクラスの暇人を寄せ集めて行くわけだろ。俺も行けたら行くって言ったけども、なにもわざわざ俺の予定に合わせる必要なんてないだろうに」

「いやいや、お茶会に参加した仲じゃないか。もしかしたら君が来るかもって行ったら、うちの子らはみんな喜んでたよ、さすが秋聞君だね。本性を表した途端に生徒たちの人気がまた上がったんだから」

「あぁ、そうですかそうですか」

「やっぱり普段の君はちょっとガサツな感じだもんね、そっちの方が生徒受けは良いよ。下手に紳士ぶったキザキャラはないね、やっぱり。あははは」

「笑うなよ、仕方なかったんだからさ」

「君は社会人一年目なんだものね、最初はそんなもんだよ。前にも言ったかなこれは」

 社会人一年目。俺には一年ブランクがある――と言うのは勿論ゲームを作ったり絵を描いたり、塾で教えたりしてた期間の事を指すわけだが、教師生活を新しいスタートとして考えての、社会人一年目である。

「思った以上に順調で、何とか軌道に乗った感じ、かな。だから、八月末に予定を入れてみたわけだよ」俺は出来上がった珈琲を受取る。うん、さっきから部屋に薫っていたが、カップに近づけて嗅ぐとまた格別だ、思わずため息が出てしまった。このままブラックでいただくとしよう。こいつも、珈琲淹れるのが上手くなったと思う。それを口に出して褒める事はしない。雰囲気で察してるはずだ。

「そうだ、それって何の予定なのかな」同じくブラックのままコーヒーを啜り、堅城が聞いてきた。ちょっと苦かったらしい表情で。

「ああ、夏期講習の講師だ。予備校や塾で教えてたことも多少はあるから」

「それでまた塾に、それとも外部の学校でかな」堅城は、きれいなガラス容器に入っている砂糖を、スプーンで掬ってコーヒーに加えた。さっきから置いてあったが、あんなもの、ここにあっただろうか。誰かの私物かもしれない。些細な変化だが、少し離れてみるとやっぱり世界は、風景は、変化するのであろう、って、詩人みたいだな。いやいや。

「うむ、應仙学園で美術を教える」

「ほぉ、美術に夏期講習なんてあるんだ、おもしろいね」素直な反応である。

「うん、多分面白いんだろうな。つまるところ、今年は進路選択で美大行きたい奴が多いんじゃあないかと思うんだ、なかなか向上心があるもんだ。予備校に行かせるより、学校に講師を招いた方が生徒たちのためになるって考えでわざわざ講師を募集してたら、なかなか素晴らしい事だとは思うがね」應仙に以前足を運んだ際はあまりうまくいかなかったからな、今回はリベンジのようなものである。というか、應仙学園からの採用通知が七月の末まで届かなかったのも、俺が学院に来るのが遅れた要因の一つなのだが、どうもあの学園は事務処理とか適当な感じがする。

「なるほど。君は、誰かに何かを教えるのが楽しくなっちゃったわけだね」

「楽しいと感じることはあるが、本当のところ昔から教えるのは苦手だよ。塾の時も、経験は確かにあるんだが、どうにも生徒に慕われていると言う感じではなかったからな。教える自信がない、とか生徒に聞かれちゃまずいんだろうか」

「最近は少しは自信がついたって事だね、よかった。――塾講師相手と、教師相手とはそりゃ違うと思うよ。言ってみりゃ《たかがバイト相手》なわけだし」堅城はあっけらかんとして言った。

「おいおい。それってやっぱりなめられてたって事なのか。塾講師なんて単なる通過点だとか、そう言う風に見てるのかね、受験生って言う生き物は。教わりに来てやってるんだから給料分は仕事しろよ、とか。――だからバスや電車の中で迷惑も考えずに、ばかでかい参考書広げて問題解いたりできるんだな。きっと世の中の大人を舐めてるんだ、お前ら全員俺より下の人間だ、って思いながら電車の中で勉強してるんだ」何か考えたら少し空しくなってきた。適当にある事ない事まくし立ててやった。

「何か嫌なことでもあったのか秋聞君。少し辛辣だぞ」と、反対に堅城は心配してくれた。いい先輩である。

「学歴社会って、こわいもんだな。いい大学を目標に頑張れてる時点で、世の中の大人はだいたい自分より学歴低い事になるかもしれない予定ってわけだから、受験生は結構大人を見下せると思うんだよ。だって政治家の学歴だけで足元見る時代だぜ――いや、気にしないでくれ、教師の発言ではないよなこれは。とにもかくにも、應仙は行く甲斐があるってものだ」

「へえ、そんなに面白い学校なのかな」堅城は興味深そうな眼差しを注いできた、曇った眼鏡の向こうから。

「面白いかどうかは抜きにしても、俺はあそこにもう一度行かなきゃいけないような気がしてたんだよ」堅城さんの眼鏡が面白いです。

「随分な使命感だね、もう一度、あ、もしかして――」

「その通り、俺が教育実習をした学校ってのが、應仙学園高等部、ってわけだ」


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